批評 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

批評

「批評ニューウェーブ」についての疑問への疑問への疑問への疑問?


未来1月号、4月号の中島裕介の時評では二つの「対立」について書かれている。

http://www.miraitankakai.com/comments.html

(4月号が現時点では最新。1月号は少し下にスクロールすれば読めます)

ちょうど手元に評論のために用意した資料を持っていたので、インターネット上での議論と併せて、この二つの「対立」についての議論の経緯が分かる状態だった。

今までは歌集などを初読で読んでの印象批評のようなものが中心だったこのブログだが、もうちょっと「きちんと調べて」「俯瞰的に見る」ような記事のほうが重要かなと思い、ささやかだが文章を書く事にした。

私自身は、最近「傾聴」の大切さというか、書かれた文章が何を書こうとしているか、細やかに相手の意見を聞くことが非常に大切なのではないか、と思っている。

この問題についてもちゃんと議論の出どころを抑えて、問題を整理しておいたほうがいいように思う。

まず、一つ目の「対立」の発端は山田航が2015年4月11日の東京新聞に、「批評ニューウェーブ」という記事を書いたことにある。

これに対して、大森静佳が結社誌「塔」の短歌時評でこの記事に対しての疑問を提出した。(私は初出に当たっていないので、ズルと言えばズルである)
http://toutankakai.com/magazine/post/4917/

それについては三上春海(2015年10月8日)
http://kamiharu.hatenablog.jp/entry/2015/10/18/231642


さらに久真八志(2015年11月20日)といった論客たちがそれぞれブログで意見を述べている。
http://blogs.yahoo.co.jp/okirakunakuma/64115590.html


特に九真は大森の時評について自身のブログで反論を述べており、見解の相違があらわになっている。

まず、少ない字数と締め切りという制約のなかで、短歌界でリアルタイムで起こったことについて、自らの見識のみを頼りにして、意見を述べなければならないという課題をこなしている時評の執筆者には敬意を表したい。

その上で私自身は、個人ブログの利点である、「締め切りがない」「字数が自由」という点を利用して、すこし込み入ったことを、できるだけ丁寧にわかりやすく文章にしていきたいと思う。

さて、この問題について個人的に議論を整理して行こう。

私自身の直感というか、第一印象では「「批評ニューウェーブ」って言われてもなあ」。という印象だった。

簡単に言うと、確かに統計を用いた批評も大事だと思うが、そこだけをクローズアップして、「ニューウェーブ」と名付けるのは新聞の誌面に掲載される時評としてはどうなのか、という疑念が湧いた。当初、私は、大森の「批評ニューウェーブへの疑問」をネットで読んだことから始まったので、大森の言っていることのほうが(なんとなく)私の考えていることに近いのではないか、と頷きながら読んでいたのであった。

しかし、山田の東京新聞の元の原稿を調べて読んで、私自身は大森の時評についても、やや粗っぽい見え方をしているかなとも思った。

たとえば、山田の時評について、大森は次のように指摘する。


まず議論の出だしである。

「例えば、光森裕樹は自身の運営するウェブサイト「tankaful」や「短歌研究」の時評(二~四月号)で、結社数や新人賞応募者の推移をグラフ化したものや統計データを活用してさまざまな問題提起をしている。田中濯は「短歌」の歌壇時評で、発行歌集数の推移を示すグラフを用いて歌集出版費用の問題に踏みこむ(二月号)。また、語彙計量ソフトを用いて歌集の分析をし(四月号)、歌集賞の在り方に疑問を投げかける(六月号)。「未来」の時評を担当する中島裕介も、結社論、電子書籍版歌集、著作権問題などをめぐって視野の広い批評を展開している。」(大森原文)

それに対して大森は次のように言う。

「いずれも短歌の未来を見据えた鋭い危機意識から書き起こされたものである。資料を集めて数字を拾い、グラフ化する作業には大変な手間と時間がかけられているだろう。」(大森原文)

ここまでは全くその通りで、私も光森、田中、そして中島の時評を読んで、大変な苦労をしているなあと思いながら拝読してきた。

しかし、問題になっているのは以下の箇所である。

「山田は、これら統計を活用した批評は従来の批評の在り方を転換させうると評価し、具体的な利点として①印象批評を抑制し、ある程度客観的な議論をするためのインフラになる、②歌集出版や結社運営をビジネス化させるために必要なものが何なのか分析できる、という二点を挙げる。
 確かに、短歌の今後を照らすものとして統計データやグラフは貴重である。従来の印象や思い込みを覆す、スリリングな新鮮さもある。風通しもいい。その点、利点②に異論はない。ただ、①についてはどうだろうか。
 私たちが目指すべきなのは、本当に客観的な批評なのだろうか。客観的であることはそんなに無条件で肯定されるべきことなのだろうか。歌をほとんど引用することなく、数字やデータから読み取れることを抽出・分析するという批評の後ろには誰がいるのだろうか。そういった言わば透明な批評ばかりでは、案外つまらなくないだろうか。 」(大森原文)

もちろん、結社誌の時評という、非常に少ない文字数を考えれば、どうしてもまとめて自分の意見を言わないといけないという制約があったのだろう。そこは痛いほど伝わってくる。

その上で、大森はやや抑え気味に、

「私たちが目指すべきなのは、本当に客観的な批評なのだろうか。客観的であることはそんなに無条件で肯定されるべきことなのだろうか。歌をほとんど引用することなく、数字やデータから読み取れることを抽出・分析するという批評の後ろには誰がいるのだろうか。そういった言わば透明な批評ばかりでは、案外つまらなくないだろうか。」(大森原文)

と、反論を加えている。

このまとめて、やや比喩的に、(たとえば岡井隆の影響をうけている、と三上春海は指摘しているし、久真八志は、この部分を明確な「ミス」とまで言い切っている。)自分の意見を表明したところがやや粗っぽかったのかもしれない。

確かに私もこの箇所はすこし強引だったかもしれないと思う。

私が問題だと思ったのは、おそらく久真と同じところだと思うが、

大森がこの部分について「客観的な批評」、「透明な批評」、「つまらない」という感じで短くやや印象批評的に議論をまとめすぎてしまったことである。

これは山田の原文でもそうなっているが

「①印象批評を抑制し、ある程度客観的な議論をするためのインフラになる」

というところと、

「②歌集出版や結社運営をビジネス化させるために必要なものが何なのか分析できる」

という二つの問題は、微妙に混線している。

「①印象批評を抑制し、ある程度客観的な議論をするためのインフラになる」

これは一首あるいは一連あるいは一冊の歌(集)の「読み」についての話である。

「数字やデータから読み取れることを抽出・分析するという批評」は客観的ではない、客観的であるという議論以前に、「自分がこの一首についてどう思ったか」という解釈を書くことが、「統計で分析できる」とはそもそも思えない。

まずもって、「統計で分析」された「一首の歌についての解釈」を光森も田中も中島も行っていない。

たとえば田中濯が角川短歌2月号で行っていたのは、私なりに要約すると、歌集の発行部数が減っているという現状をグラフ化し、その理由をいくつかまとめ、歌集出版という行為そのものが「おカネがかかる」という現実について述べたものである。私もむしろまったくお金がないので、身につまされながら読んだが、とてもわかりやすい「短歌を取り巻く環境について」の話だった。歌の読みについての話ではない。「統計を使用した分析」が新たな知見をもたらしたのは、山田、大森の時評で言えば、「②歌集出版や結社運営をビジネス化させるために必要なものが何なのか分析できる」の部分ではなかろうか。

田中は歌の読みに関わる部分として、やはり角川「短歌」6月号で「歌の背景」という時評を書いている。

・これはテキストマイニングという手法の紹介(簡単に言うと、文章の単位を出来る限り細かい語彙の「単位」に分類し、統計的に「数える」手法(「語彙計量」というものらしい)と、

・テキストマイニングが、「歌集を読み込むさいに、単語等の出現頻度をチェックして、そこから話を始める批評法」の助けになるということ、

・さらにはテキストマイニングが、「万葉集」において既に実践されていること。語彙計量や計量言語学といった分野が、議論が普遍性を獲得しやすい「議論のためのインフラ」になると述べていることなどが書かれている。

おそらく山田や大森が「ある程度客観的な議論をするためのインフラ」と呼んだものは、この計量言語学という新たな学術領域についての田中の知見を踏まえてのものだったのだろう。(ここが唯一短歌の「読み」と交差するところではある)

しかしこれも、突き詰めて言えば、「自分がこの一首についてどう思ったか」という解釈の分析ではない。テキストマイニングという新たな知見を含めたとしても、短歌の解釈についての個人の「主観」は揺らぐことがないのではないかと私は思う。

                       ※

さて、山田は実際には後の文章で、次のように書いている。(これは紙データを文字起こししているので、少し間違いがあるかもしれない。)

「こうした短歌批評のニューウェーブといえる動きが始動したことは、従来の短歌批評の方法の説得力を低下させるだろう。とりわけ、「この結社の歌人ならこうであるはず」「この世代ならこうであるはず」といった属人性に基づく批評は、根拠のないものとして排される。また、多様な表現ジャンルが相互に影響し合う現状においては、漫画なり現代美術なり社会学なり、短歌以外の知識を武器として歌論へ導入していくことが重要になる。当然一人では難しいので、エキスパートたちの集合知として、短歌批評は成り立っていゆくことになる。」2015年4月11日東京新聞「短歌月評」

山田はあまり無理なことは言っていない。とは一瞬思わせるだけの説得力を持っていると思う。

「漫画なり現代美術なり社会学なり、短歌以外の知識を武器として歌論へ導入していくことが重要になる。当然一人では難しいので、エキスパートたちの集合知として、短歌批評は成り立っていゆくことになる」

この部分は納得できる知見というべきところで、様々なジャンルの専門家たちが揃って、短歌は深まっていく。「エキスパートたちの集合知」ということは間違いない。もともと、たとえば大学で勉強したとしても、いろいろな学術部門があるし、もちろん計量言語学という分野を応用した短歌の批評があったら、そういう批評は積極的に私も読みたいし、興味がある。

ところが、その前の部分はどうだろうか。

「この結社の歌人ならこうであるはず」「この世代ならこうであるはず」といった属人性に基づく批評は、根拠のないものとして排される。」

確かにこういう「属人的な批評」をする人はいる。山田が誰を推定して言っているのかはわからないが、しかしこんな分析をする批評家は、「従来の短歌批評の方法」を用いる歌人だとしてもほぼ論外だと思う。それをまとめて、古い短歌批評と言われても、私は全く納得できない。一首の読みを細やかにすることが、属人的な批評に繋がるとは私には思えない。

もう一つ。

「漫画なり現代美術なり社会学なり、短歌以外の知識を武器として歌論へ導入していくことが重要になる。」

こちらのほうははっきりいって、こういう指摘をすることすら、もう時代遅れとしか私には思えない。

山田がおそらく把握している、「従来の短歌批評」ですら、「歌論」という枠組みだけでものごとを考えているとは思えない。少なくとも私の周囲の歌人たちは、様々な学術領域の影響を受けているので、これは私のいる環境が恵まれているのか、それとも山田の認識が間違っているのか、ちょっと考えこまざるをえなかった。

たとえば私自身が触れてきた歌人は、みな、何らかのジャンルのエキスパートだった。

文学、比較文学、哲学、美学、解釈学、精神分析、ポストコロニアリズム、あるいはいわゆるど基本の、言語学、国語学、
山田が指摘する「社会学」、「表象文化論」だって、当然視野に入っている方もいる。

既に現在の批評自体が、様々なジャンルの専門家が寄り集まって、一つの批評を形づくっていると思うのだ。既に、「短歌以外の知識を武器として歌論へ導入する」ことは、異なる学部の専門家である大学や大学院などを卒業した、一人ひとりの歌人が行っていることなのではないか。

もちろん、様々な学術領域の知識が導入され、山田の言う「エキスパートたちの集合知」を作っていくことは、これからも大切になるだろう。しかし、山田自身が、「従来の短歌批評の説得力が低下する」と指摘している文章の根拠は、あまりにも薄弱なものではないかと思えた。

確かにいろいろなところから知識を重ねて、短歌は読みを深くしていくと思う。
もちろん、社会学や表象文化論を用いた批評を誰かがこれから書いて行くならそれは望ましいことだが。

やはり前提となるのは、従来の歌論というか、歌のよみの蓄積をしっかり当たって、その上で「新しい読みではこう読めるよね」ということまで明らかにした歌についての分析なのではないかと思った。

一応ぐるぐる回って、私自身は、どこが批評ニューウェーブなのか。という最初の直感に戻ってくるに至った。

ひとつ目の「対立」、中島裕介が1月号の時評で述べていた意見の相違に対する私の見解は、おおむねこのようなものだと思う。

二つ目の対立については、要望があったら書くが、おおむね、山田の文章のやや視点を変えた角度からの読みなおしなので、あまり意味がないかもしれない。

(2016・4・10 書き下ろし)
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短歌の読みについて(初出:「未来」2013年9月号)

振り返れば、2012年は若手歌人の優れた第一歌集が多く世に出た年であった。しかしその一方で、世に出た新しい歌人の個々の営みは多く、「内省的」と言えるようなものであった。例えば光森裕樹は次のような指摘をしている。
「従来の物に対してどう新しい動きなのかではなく、自分の中で何を大切にし、何をルールに定め、それをどこまで突き詰めるかの新しさが大切になっている。個々人での新しさを丹念に見ていかないと、若い人に共通の「これが新しい」というものは語れないと思います。」(「新春座談会―新しい歌とは何か」「短歌」角川学芸出版、2013年1月号)
光森の指摘にほぼ同意する。私たちは、前衛短歌、ニューウェーブといった「文学運動」「ムーブメント」からは既に遠く離れてしまった。おのずと、短歌は大状況に対してアプローチするような種類のものではなく、より内省的なものへとシフトしているという仮説が成り立つだろう。2012年は内山晶太、山田航、田村元、永井祐など、それぞれに特色のある若手歌人が多く世に出たが、彼らは総じて、自らの手に届く範囲以上のことを歌わないというスタンスの歌人だったように思う。当然、それぞれの歌の個性、それぞれの良さを丹念に見て行かなければならない。評論に求められている役割も変化している。新しい文学運動を提言するような情熱的な言挙げや論争は、もう求められていないのかもしれないし、文学史を記述する、というような野心ももしかしたら、無為なのかもしれない。
歌人に求められていることと言えば、目の前の歌集を「どう読むか」という小さな試みの積み重ねのみではないか。こういう一見瑣末な、局地戦のような議論は正直私の好みではないのだが、これだけ歌人と歌人との距離が遠く離れてしまった現代において、残されたものは「読み」という小さな架け橋を通じて、ささやかでも歌人と読者との、歌人と歌人との距離を詰めることではないかと思う。



2012年で最も話題になった歌集は、間違いなく永井祐の『日本の中でたのしく暮らす』だった。今回は読みの例としてあえて永井を取り上げる。永井の歌ほど鑑賞の難しい歌人は多くはないが、私は例えば永井を、大辻隆弘や斉藤斎藤がそうしたように「てにをは」の捌きがうまい歌人というように概括して新しさを見ようとする議論にはあまり説得されていない。大辻はレ・パピエ・シアンⅡ誌上に8ページにもわたる「新しきてにをは派」(「レ・パピエ・シアンⅡ、2012年9月号」)という論稿を寄せている。
全文を引用すると紙幅に詰まってしまうので概略だけ述べるが、大辻は永井の、

たよりになんかならないけれど君のためのお菓子を紙袋のまま渡す

という歌を引いて、未来のシンボジウムで柳澤美晴が永井に対して行った「修辞の武装解除」というレッテル張りを批判し、この歌の第三句目の「君のための」の「の」の使い方で、微妙な揺らぎを見せているということを力説した。私なりに敷衍すると、ここで「君のため」と定型に収めることもできただろうが、「君のための」とあえてすることで、永井の歌はこの「紙袋」を「きみ」本人ではなく、第三者に手渡した、という解釈が生じるとしている。つまり、別の人に「君のための」お菓子を(渡してほしい)と「渡す」という行為に、ナイーブな青年像が見て取れるような揺らぎが生じる、と主張している。
はたして、そのように読むことでこの歌が本当に良くなるだろうか。私は、ここで「の」が入っていたとしても、このお菓子を紙袋のまま手渡した相手はやはり「きみ」だろうと考える。大辻の解釈では、この「の」は意味的に「きみ」に手渡した可能性と「第三者」に手渡した可能性に分裂してしまうことになるが、そこまで歌の読み幅がぶれてしまうてにをはの使い方をもし永井がしていたのなら、この歌ははっきり言って失敗ではないか。もしここで「君のため」ではなく、あえて「君のための」としたことが問題になるとすれば、それは「意味的」に解釈を揺らがせることが目的だったのではなく、韻律上の要請があったということを視界に入れておかなければならないのではないか。
この歌は上の句、たよりになんかならないけれど、が全てひらがな書き、ふわっとした雰囲気で入ってくる77調のリズムである。それを「君のため」と受け止めては日本語的にも助詞がひとつ省略されてしまうのでおそらく作者の美学にそぐわず、韻律的にも若干腰が折れる印象がある。そこで「君のための」とあえて六音で受けることで、読者に第三句を読む呼吸を若干滞留させ、その上で下の句にフォーカスをする時間的余裕を歌に持たせている。歌としては、たよりになんかならないけれどという上の句の77調で不安定な感触を読者に暗示させ、「君のための」で一旦受け、「お菓子を紙袋のまま渡す」と具体的な行為を下の句で提示している歌だ。意味的にも「たよりになんかならない」自分と、「紙袋のまま渡す」という行為で、がさっとした無骨な作者像を提示している歌だと思う。
永井の歌に限ったことではないのだが、「てにをは」を読むことだけで歌を読解するという一つの方法論を、私は是としていない。短歌にはそれが名詞であるか副詞であるかという日本語的な細かい区分け以前に、作者が一首に刻印する呼吸のような、息遣いのようなものがあり、一首を通して読んだときにあらわれるその息遣いをまず読者は感じとり、一首から引き出されるイメージと合わせて、感動の衝撃のようなものを受け止るのではないか。
その点で、大辻の「てにをは論」は必ずしも永井の中でベストな歌を引いてきているようには、私には思えない。さらにこの議論に乗るのは申し訳ない気もするのだが、人口に膾炙した永井の歌、

わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる

という歌にも、内容ではなく、言い回しの巧みさを見なければならないという大辻の主張には、半分は首肯しながらも、どうしても賦に落ちない部分が残る。「この歌、どんな歌だっけ」と言われた時、「あ、「別に」の歌だよね、「撮ったり」の歌だよね」と言われて、読者に共通理解が生まれるのだろうか。仮に名詞として「地元」の歌だよね、といっても共通理解は生じないだろう。この歌はやはり「「写メール」の歌だよね」と言ったときに、読者に共通理解が生まれるのではないだろうか。
その理由は、当然「写メール」「地元」という名詞に意外性があるという「名詞読み」の効能もあるのだろうが、この歌の場合、「写メール」という名詞の挿入の仕方が、内容面だけではなく、韻律面でも工夫が凝らされているからだと考える。
やはり初句七音で入るこの歌は、先述の「たよりになんかならないけれど」の句の入れ方とはおそらくまったく違うロジックで七音が入れられていると思う。「たよりになんかならないけれど」は一首のなかで「ん」が使われていることもあるのだろうが、響きはどちらかというと軽い。しかし、この歌は、前述の歌よりも若干リズムが遅く、「私は別におしゃれではなく」、というやや内省的で底ごもるような呼吸が続いている。その後、いきなり「写メールで」というやや伸びた調子の5音が挿入される。ここで読者は意外な調子の変化を感じることになるだろう。そのあとに、ここは大辻も主張しているが、下の句の77で「地元を撮ったりして暮らしてる」と言う完全口語の言い回しが入る。この「撮ったりして」という言い回しに所在なさげで投げやりな気分が感じとられてうまいという点では、大辻の意見にほぼ同感だが、さらに細かくいうと「撮ったりして暮らしてる」という細かな口語のリズムの動かし方にも心地よい響きの躍動があると思う。この歌はやはり、「写メールで」以降の転調の巧みさに眼を配らないとといけない歌なのではないか。



繰り返しになるが、私は歌を名詞、動詞という日本語的な区別ではなく、全体的に歌が持っている「呼吸」に注目して歌を読みたいと思う。そもそも言語が名詞なのか副詞なのか、助詞なのかといった「文法的な」区別は、言葉の発生からあった自然なものではない。言葉を整理したり、区別したりする過程で後付けで生まれたものだ。私は言葉が持つ生来のリズムとイメージをできるだけ大切にして歌を作りたいと思っているし、鑑賞の際にも言葉の持つ「息遣い」にまず注目したい。
紙幅が尽きてきたので、私が永井の歌で秀歌だと思っている歌を挙げて拙論を閉じる。

・五円玉 夜中のゲームセンターで春はとっても遠いとおもう
・テレビみながらメールするメールするぼくをつつんでいる品川区

一首目は永井独自の韻律の伸ばし方が巧みだと思う。五円玉、で一回韻律を切って、そのあとに「夜中のゲームセンター」というなめらかな長音の響きを持った上の句が挿入されている。そして結句では「春はとってもとおい」というあえかな感触を持った語句が入っている。上の句の出発点から、下の句の着地点まで、全体的に呼吸がなだらかに伸びて行く感じがある。上の句を一時空けるという技法は永井が時折試みる手法で、「なまけもの 僕は散歩して道に落ちてるお金を拾う」という歌も歌集には収録されているが、この歌のほうが私はいいと思う。「五円玉」という言葉の持つ響きと、そこから導き出される「春はとっても遠いと思う」という全体的な長音の持つ響きのよさと、歌の内容でもある「春はとっても遠い」という清澄な抒情は、響きと内容の面で、作者の独特の美的なセンスが感じられる秀歌に仕上がっているように思う。この歌は五円玉という小さいものから、春はとっても遠いという作者の感慨までを、なだらかな調べにのせて歌いあげている秀歌だと思う。
二首目、この歌は、メールするという言葉がまるで二回のリフレインのように美しく決まっているところにポイントがあると思う。最初のメールするの呼吸と、二度目のメールするの呼吸はそれぞれ早さが異なる。意味的には「テレビみながらメールする/メールするぼくをつつんでいる品川区」で区切ると分かりやすい印象があるが、「メールするメールする」の二回のリフレインの歌ととったほうが、辞としても新鮮な印象を受けるのではないか。二回目のメールすると言う言葉は、一回目のメールするという言葉よりも若干早く読むことができるように思う。メールすると言う長音の響きに、まるでするすると読者をいざなうかのような独特の加速感がある。その加速感に身を任せて一首を読み下していくと、読者は急に「ぼくをつつんでいる品川区」という即物的ともいえない、即物性から少し離れた抒情を持った風景に出会う。おそらくこの品川区は、夜の情景だろうととりたい。作者は、品川区の家々に明かりがともるような空間のなかでメールを打っている。その感触を、メールするメールするという長音の響きの加速感がつなげてくれる。そして、最後の下の句で読者は品川区というやわらかな「ひかり」に包まれる美しい風景に出会う。
永井について語ることは、どうしても「その批判」をするより先に、「まずその良さ」についてしっかりと述べなければなければならないというあたりに難しさがある。『日本の中でたのしく暮らす』には必ずしも全面的に肯定するとまではいえない歌も多数含まれているが、それを指摘することはまたの機会にしなければならないようだ。とりあえず今回は私の読みの一例として、「てにをは」に主眼をおくという読み筋に対してささやかだが、異なる意見を提示した次第である。

遠いこととリアリティ―近藤芳美『黒豹』鑑賞(初出:「未来」2013年2月号)

近藤芳美の第八歌集『黒豹』には、「言葉」や「思想」、「戦争」といった歌材を真正面から取り扱った作品が頻出する。

 幾夜短き北爆飛行の報つづくことばの虚しさに又耐えんとき
   
 戦争を既に賭けたる飛行の音思想と脆く呼ぶものを断つ

 うつうつと国ひたす雨一民族をかかる寡黙に戦わしむるもの

 処刑待つ少年兵にしてまなこ澄む忘れて寝ねん過ぎてゆく死は

 額あげて生き行く昼と夜の吾と夜は舟艇を霧に守る兵

 一首目。「幾夜短き北爆飛行の」という上の句の破調が切迫感をもって読者に響いてくる。作者はテレビかラジオで、ベトナムの北爆飛行の短い「報」が続々と入ってくるのを感じている。その「報」に触れ続けながら、「ことばの虚しさに又耐えん」とする。「ことばの虚しさ」とは何だろうか。北爆を前にして、いかなる抗議も無力だというような言挙げだろうか。おそらくは「思想」を伴った言葉が、最終的には「権力」には届かないだろうという「断念」のようなものだろう。「又耐えん」と言っているということは、北爆以前にも同じような体験があったことを指すだろう。つまり、日本で体験した「戦争」である。ベトナムの「戦争」に、実体験としての日本の「戦争」が投影された一首である。
 二首目は、一首目の直後に置かれた歌。「戦争を既に賭けたる飛行」とはまさに今戦場へ飛び立とうとしている飛行機の出発音である。それを作者が「「思想」と自分自身で「脆く」呼んでいるものを「断つ」としている。この二首はセットで解釈されることが多く、既に田井安曇は、この前の歌集『異邦者』の平和な紀行詠と対比して、「歌人として「ことば」につながり、「ことばの虚しさに」「耐え」ねばならぬ痛みを、万力につぶされる自分自身として感じなければならなかったとし、「思想」の歌もそういった「痛覚」なくしては生まれなかったと評価している(「巨人のかなしみ」「短歌」1984年5月号、角川書店」)。また岡井隆は同じ掲出歌を二つの点から批判する(「黒豹の背景」「短歌研究」1969年11月号、短歌研究社)。私なりに敷衍すると、一つは、近藤芳美の思想を「反戦思想」と既定した上で、この反戦やことばの力が作用した上で、「北爆停止」が現実的になり得たのであって、全く無力だとは言えないという点(実際の北爆停止は1969年10月だった)。もう一つは、北爆をおしすすめた政治家や軍人たちも同様の「ことば」をもっており、「反戦思想」のみを言葉だとするのは片手落ちではないか、という点である。つまりは近藤の思想そのものにバイアスがかかっているのではないか、という点だが、これを岡井はさらに掘り下げて、近藤芳美の歌に「生活に密着した思想」というのがほとんど出ていないのではないか、という疑問を提示している。これについては後述する。
 三首目は、「沈黙」を主題として歌が作られている。「雨」という言葉は、鬱勃とした情感を醸し出す措辞として成功している。この「雨」のイメージと共に、「一民族をかかる寡黙に戦わしむるもの」とやや破調気味に入る下の句には、破調が醸し出す音韻のよさのなかに、ベトナムにおける民族の無言の戦いが歌われている、ととるのがたとえば田井安曇の見解であり、正道だろう。
 しかし読者が感興を得るとすれば、この「一民族」の中に、ベトナムではなく、かつて同じように「寡黙」に戦った日本民族の姿を投影することができるからだと思う。「ことばの虚しさ」に「又耐えん」とする近藤の日本への戦争の意識がここでは「寡黙」という言葉で捉え直されている。われわれは無言で戦争をした、そういう思いが歌に吐露されているように私には感じられる。
 四首目は、「処刑待つ少年、兵にしてまなこ澄む」と区切って読みたい。補足すると、処刑を待つ少年(が)兵であって、そのうえ目が澄んでいる、という並列関係をあらわした上の句だろう。これはおそらくテレビで放映された少年の死の瞬間だろうと上田三四二は指摘している(「近藤芳美氏と『黒豹』」「短歌」1969年7月角川書店)。そのあと作者は大きく場面転換し、「忘れて寝ねん過ぎて行く死は」と非常にクールに死を捉えようとする。「少年」の澄んだ「まなこ」という清らかな存在を上の句で提示し、そのあとそれすらも「過ぎて行く死」にすぎないと断じるところにこの歌の非情の情の核心がある。おそらく幾度も「まなこ澄む」人間の死を見てきたのであろう、戦中体験を持った作者だからこそ書ける歌だ。
 四首目、「額あげて生き行く昼と夜の吾と」の表現からは、本業の建築家として額をあげて「未来」を目ざして働いている「昼」の近藤芳美と、「過去」の影を負い、「霧」のなかで舟艇を守るおぼろげな「兵」として、回想に苦悩する「夜」の近藤芳美という、二つに分断された作者像が提示されている。
 前掲の上田三四二の概略によれば、近藤芳美は大戦中、揚子江で上陸用舟艇を守る任務についており、護衛の工兵として現地民の反抗に怯えながら、自分が「異国の侵略者である」ということを常に意識して過ごさざるをえなかったらしい。さらに近藤の部隊はその後、大陸から太平洋に移り、敵前上陸をして全滅してしまう。しかし、それ以前に、近藤自身は胸部疾患の病兵として内地に送還されており、その敵前上陸の報を内地の病院で聞くことになった。近藤は、「侵略者」であると同時に自分自身が「戦場離脱者」であるという思いにも捕らわれていたという。 

 霧の夜ごと舷にめぐりし稲妻の記憶よ一生の逃亡者われ

 連作「霧の舷」は、おそらく妻と一緒に船に乗った体験に基づく、美しい叙景を紡ぎ出している一連だと思うが、ここにも「逃亡者」として一生を生きねばならないという苦い戦中体験が歌い込まれている。歌としては「霧の夜ごと舷にめぐりし稲妻の」で一回区切って読みたい。霧の夜の間に、船の舷をめぐってくる稲妻があり、その光る一瞬のなかに記憶が蘇ってくる。その記憶は逃亡者としての「われ」の記憶である。深く刻みこまれた逃亡者としての「われ」の記憶は、稲妻のひかりのように一瞬ごとにふとよぎっては消えてゆく。そういう情景を思い起こさせる一首である。
 このような苛烈な戦争体験によって苛まれた近藤の過去への痛みは、まさにベトナム戦争という遙かな遠くの「戦争」によって再び誘発されることになる。自身が体験した日本での戦争と、戦後に起こったテレビから見る遠い国の「戦争」。二つの戦争が共鳴する時、作者の痛みは掲出六首のように苦い実感となって読者の前に立ち現れる。この遠い国の「戦争」が持つリアリティを、岡井のように「生活者」としての立場が欠けている、というように断罪することはできるのか。
 私は読者として、たとえ近藤のいう「ことば」や「思想」が反戦思想に満ちていたものだったとしても、それが歌の持つリアリティをいささかも削ぐものにはならないと思う。戦争体験を通過していない私のような読者からは、例えばこれらの歌からは作者個人の「戦争」にに対する「体験」のリアリティを感じることができる。私は例えば岡井の挙げる、
 
 広島の夏来たりつつ墓をうつすひしめく墓は日本のもの

 ヘリコプター敵地に降りてなびくすすきいだく悲しみのすき透るまで
 
 といった歌を逆に良いとは思えなかった。『黒豹』は概念をぽんと提示するところに作者の痛みを感じ取るべき歌集であり、はるかなものへの憧憬、硬質な表現に魅力を感じ取るべき歌集だと思った。
 そういった方針で近藤芳美の歌のイメージを自分なりに咀嚼していくと、『黒豹』のなかには、概念を通過してイメージのみが非常に先鋭化した作品もかなり存在する。表題歌の「森くらくからまる網をのがれ逃れひとつまぼろしのわれの黒豹」は既に名高いが、それとは異なった、あたかも自身の体験を抽象化したような作品や、前衛短歌と同時代的に歌われたかと思われる作品も見受けられる。次に引くのはそのような作品である。

 孤立してゆくひそかなる時の推移空の制圧を告げ告ぐるとも

 月のおもて寂しき隕石のかげ曳くを思いて眠る霜告ぐる夜を

 帰休兵深夜の基地をはるか発つ虚空の音か雪深ければ

 一首目は「黒豹」の歌に匹敵するほど抽象度が増した歌だ。失敗歌と断じることも簡単だろう。しかし、連に即して読むと、具体物から発想されているのがわかる歌だ。前後の歌との関連から、この歌から読み取れるのは、もはや完全に純粋化された「雷雨の到来」である。作者は雷雨がやってくる空の「時の推移」の下に立っているのだと思う。「孤立してゆく」のは「われ」である。下の句ではさらに、「時の推移」の説明に移る。「空の制圧を告げ告ぐるとも」というのは、雷雨が次第に空を覆っていく様子を抽象的に表現している詩句だ。そう解釈すると、「われ」が雷雨の「制圧」のなかに「孤立」して空を見上げているという立ち位置の解釈が可能になる。こう読むことで、作者の「孤立」した心情が投影されると言えよう。また同時にこの歌は、「ひそかなる時の推移」のなかに、時代の移ろいや、ベトナムに代表される権力が弱者を「制圧」するという図式を読み取ってもいいのかもしれない(吉田漱『近藤芳美私註』1979年、愛育出版)。ここには具体を歌いながら、具体を突抜けて抽象化させるという近藤の概念歌の特色がよく出ているように思う。
 二首目、遙かなものに着目した歌だ。私はここに「おおはるかなる沖には雪のふるものを胡椒こぼれしあかときの皿」に代表される、塚本邦雄の「はるかなるもの」への憧憬と同質のものを読み取る。巻頭近くには、「火星の面(も)過ぎつつ伝え来る電波白き死火口のかげうつすのみ」「砂漠のかげ白くむなしく映りつつ彼の遊星の彼方の虚空」という、テレビが伝える火星や遊星というイメージが取り入れられた歌があるが、こちらの歌はそれよりもさらに想像の度合いが増している。作者はおそらく実体験として「月のおもて」に「隕石のかげ」が曳く様子などは一度も見たことがないはずである。しかし、ここには「はるかなとおいもの」として「月のおもて」に寂しき「隕石のかげ曳く」、というイメージが「想像」されている。そして作者がいるのは、「霜告ぐる夜」という完全に日常の世界である。「霜告ぐる夜」と「隕石のかげ曳く」というイメージは冷ややかに共鳴している。ベトナム戦争がテレビから伝えるはるかなとおい戦争であったように、近藤の詩心はこのようにはるかな遠いものとしての「隕石」や「火星」にも着目している。「はるかなとおいもの」を歌うという点で、近藤には塚本邦雄と同時代的に共鳴する詩心が感じられるように思う。
 三首目、現在では「虚空」という表現は大袈裟な表現として忌み嫌われる傾向にあるが、この歌では虚空も含めて新鮮な措辞が生きているように思う。まず「帰休兵」という措辞が斬新である。ここにあるのは近藤芳美の自画像としての、苦しみを負った「兵」が投影された姿ではなく、単に描写の対象として、戦争のさなかに一時の羽を休める優しく無力な「兵」の姿がある。その「帰休兵」が深夜の基地を飛行機か何かで出発しようとしているのだろう。歌としては三句切れ。「帰休兵深夜の基地を遙かたつ」まででは非常に断言的に、スタイリッシュに上句がまとめられているが、下の句の情感は微妙だ。「虚空の音か雪深ければ」の「虚空の音か」は自問自答である。そして「雪深ければ」というやや言い淀んだような結句、これは基地の様子ともとれるし、近藤が自室で雪の深さをみて詠嘆している様子ともとれる。私は近藤の自室ととった。下の句で「帰休兵」が「基地」を発つ音を「虚空の音か」と自問自答する様子は、作者の「体験」からはちょっと離れて、日常のなかで「はるかなとおい」音として「虚空の音」を想像し、雪の深さのなかでその微細な音を感じ取っているのだろう。リアリズムのなかに「はるかとおいもの」へのまなざしと、繊細な音を感じとる近藤の姿がある。
 一読すると確かに『黒豹』は、「生活者としての営み」に欠けた感触があるのかもしれない。しかし、同時に体験者としてのリアリティ、はるかなものへの憧憬に根ざした先鋭化したイメージが読み取れる。その体験や憧憬と言ったものに、私は深い感銘を受けた。『黒豹』は、生活詠が欠けているとして読み捨てられるべき歌集では決してない。むしろ遠いことを歌ったリアリティを読み継ぐべき歌集であると私は思う。

三月兎はなぜ忘れ去られたのか? 〈初出:「未来」2009年11月号)

 2007年に六花書林から『仙波龍英歌集』が刊行された。これによって、第一歌集『私は可愛い三月兎』を含めて、仙波龍英の歌業にあまねく触れる機会を得たことになる。林あまり、中山明、加藤治郎、俵万智らとともに「ライトヴァース」と呼ばれ、一世を風靡したと伝えられる仙波龍英だが、その過去の名声に比して、彼を理解・再評価するための資料は決して多いとは言えない。また、藤原龍一郎を始めとした同世代の優れた理解者に比べて、若い世代への浸透度はいま一歩という感を否めない。
 森本平が、当時ライトヴァースの話題の中心にいたのは仙波龍英であったと言う時代状況を示し、加藤治郎、俵万智のみが「ライトヴァース」の中心的存在であったという印象を払拭しようと試みている*1。しかし、残念ながら私たちの年代のなかで、加藤、俵よりも仙波にネームバリューを感じるという人間は稀少であろう。森本自身が「仕方ない」と述べているように、加藤、俵は未だなお現役で活躍し、短歌界に影響力を保持しているのに対して、仙波はかなり早い時点で短歌から遠ざかってしまった(その点は中山明も同様だが)。現代の状況から逆算して、ライトヴァース=「俵万智・加藤治郎」、つまり漠然と「口語体」を思い浮かべてしまう若年の読者は多いのではないだろうか。
 確かに仙波が未だに存命で、今日でもホラー小説などで高い支持を得ていれば、状況は多少は変わったのかもしれない。ただ、同じように初期歌集発表後に短歌から一度遠ざかった村木道彦や平井弘が、作品未発表中も、後継世代の短歌に多大な影響を与えていたことを考えれば、必ずしも活動期間と後続世代への影響は比例しているわけではないように思う。どうして仙波龍英のような個性が、後続世代にほとんど影響力を持っていないのか。多くの偉大な歌人がそうであるように、亜流とも言うべき多くの後継歌人を生み出さなかったのか。仙波がライトヴァースであるか否かという線引きをする前に、少しじっくり考えてみたい問題である。
 短歌史において仙波を高く評価する点として挙げているのが、風俗やサブカルチャーを積極的に作品世界に取り込んだ点である。もちろん、ただそれだけなら「ポップ」や「先鋭的」という一言で片付けられてしまいそうだが、多くの評者が指摘するように仙波の作品世界は決して「軽く」はない。「硬派のクルシサの化粧」*2(小池光)、「存在することに対する仙波自身の苦しい違和感」*3(川本千栄)といった、極めて「重い」評が並ぶ。
 「固有名詞を短歌に取り込む」と言う技法の継承性については、池田はるみの指摘*4が先行するだろう。池田は仙波を連想させる歌人として、笹公人・斉藤斎藤の短歌を挙げ、歌のなかの語句が「一首の中で、作者とは直接関係が無いのに無理やり関係してくる存在なのだ」としている。その一方で、「一首に固有名詞が目立っていて、歌っている作者の心が見えがたい」点を面白いと指摘する。もちろん池田は、確定的な影響関係を述べているわけではないが、私見では、一首単位ではなく歌群として見た場合、笹公人や斉藤斎藤の短歌に仙波が直接の影響を与えているとは考えにくい。
 
 ・メールでは加藤あい似のはずだった少女と寒さを分かつ夕暮れ(笹公人)
 ・トキワ荘のまぼろし浮かぶ夏の路地 誰かのベレー帽を拾った
 
 笹の短歌の良質の部分には、誰でも共感しやすい抒情性やノスタルジーが底流にあり、さりげなく笑える一首目に置かれた「夕暮れ」や、トキワ荘の「夏の路地」といった、読者にイメージを共有させやすい場面設定が施してあったり、アイテムが使われていることが多い。池田が取り上げている一首、

 ・ヒロスエと縁はあるかと問われおり黒いリュックを背負う男に

 は、私の解釈では「ヒロスエと縁があるか」と尋ねた男は、いわゆるオタク男子であるという読みと同時に、当時の映画「WASABI」で広末涼子を口説いたと噂されているリュック・ベッソンがかけてあるのだろう。映画の中でも黒服の男をジャン・レノが演じていることからも、この「黒いリュック」には「WASABI」のややスキャンダラスなゴシップも組み込まれていて、わかる人はくすっとするという構造になっていると見るべきだと思う。
 本質的にアイテムや場面を歌のなかに馴染ませることで、一首を構築する笹の世界には、いわゆる陰惨さとは無縁な抒情性や共感できる笑いが滲んでいる。ライトヴァースの歌人と言う点では、むしろ俵万智に近い感受性すら感じさせるのではないだろうか。
 斉藤斎藤はあえてここでは詳述しないが、やはり仙波とは別の回路から言葉を発している歌人であると言うことは指摘しておかなければならない。

・雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁(斉藤斎藤)

 この一首は、「のり弁」を「のり弁」そのものとして出す即物性が斬新なのであり、この歌の場合、仙波とも笹とも固有名詞の使い方は大きく異なっている。斉藤は言葉の繰り出し方が特異な歌人であって、必ずしも固有名詞にのみこだわる歌人ではない。確かに仙波と笹はかなり意図的に固有名詞を多用しているが、そこから醸し出される抒情質は大きく異なっていると言っていい。技法の継承という点ではなく、抒情質の問題も考えて見るべきだろう。笹は仙波の底流にある「硬派のクルシサ」を、受け継いではいない。
 もう一度、なぜ仙波の系譜が、現代の若手に受け継がれていないのかという問題に戻ろう。それは、仙波自身の問題もあるだろうが、当時仙波が感受していたはずの「サブカルチャー」という言葉で括られるイメージが、80年代と現代とでは大きく変質しているということも指摘しておいて間違いはないだろう。
 私のかすかな記憶*5を頼りに論を進めることになるが、80年代から90年代の初頭にかけてのアングラ・サブカルチャーの中心は、アニメーションではなく、むしろホラーだったように思う。特に欠かせない映画として挙げられていたのは、70年代後半に登場したジョージ・A・ロメロ監督の「ゾンビ」三部作や、ダリオ・アルジェントの「サスペリア」など、視覚的刺激の強いホラー映画だった。81年にルチオ・フルチの「地獄の門」「ビヨンド」「サンゲリア」、82年にはサムライミの「死霊のはらわた」がヒットし、スプラッタというジャンルが確立されることになる。これ以降、ホラーは恐怖よりも残虐性・猟奇性を追求するようになり、「食人族」などのモンド映画も脚光を浴びるようになった。80年代後半にビデオが家庭に普及した影響も大きく、これらの作品は、「ゲテモノ」と呼ばれながらも、レンタルビデオのラインナップに並ぶことになる。私が中学生のころ専ら見ていた映画は、レンタルビデオで借りたこれらの映画だった。その残酷な表現にある種の嫌悪感を抱きつつ、同時に自虐的な笑いを持って鑑賞し続けたのを覚えている。
 実際に仙波が書いた小説『ホーンテッド・マンション』*6では、このスプラッタ映画と同質の猟奇性が指摘できる。蚯蚓の群れの中に全裸で横たわり性の快感を得ようとする女性を描いた「桃源の館」、「恐怖の痙攣的美」を追求する詩人が、自分の恋人の妹たちを猟奇的に殺害し、その恐怖の表情を保つためにホルマリン漬けや蝋人形にしてゆく「淫獣の館」など、エロスとグロテスクと狂気を追求したこれらの作品の背徳性は、まさにスプラッタの「ひきつった笑い(恐怖の痙攣的美)」と近似しているのではないか。
佐藤通雅は『リアルタイムの短歌論』*7において痛烈に仙波を批評しているが、この指摘はある側面で正鵠を射ている。
 「これはいっぱいくわされたと思った後、おのずと連想されたのは性産業のことだ。(中略)はじめの頃、舞台の女性はチラリチラリとのぞかせるだけで、ウィットに富んでいた。ところが観客はそのものズバリを見なければ満足しなくなる。そこでズバリズバリと股間を開くようになるわけだが、そこから後は何もない。なくてはたちまちあきられてしまう。やむなく次から次へと新しい手を使う。(中略・『私は可愛い三月兎』の一連を批評して)しかしこの方法によっては、どこまで行っても横すべりするだけだという批判は成立するだろう。先端を行くために固有名詞や風俗に寄りかかっていけば、とめどもなくそれらを追いかけるほかなくなる。しかも並列的である。つまり一回ズバリと見せたら、客の目をそらさないようズバリズバリとやっていくほかない。こうなると企画する方は次の新手を見つけることに四苦八苦し、客だってズバリの刺激に疲れはて、にもかかわわらず刺激を求めてまた足を運ぶ。いずれも行者めくのはゆえなしとしない。」(引用原文ママ)
 この批評の文脈は、仙波の短歌の批評というより、仙波の短歌の背景にある当時のサブカルチャーの動向にそのまま当てはまる。スプラッタは映画興行としては80年代後半に急速に失速したが、その理由は方法の過激化、マンネリ化がもたらした客離れだった。まさに「ズバリの刺激に疲れはて」たのである。直接的、猟奇的な表現はサブカルチャーの前面からは姿を消し、同時にこれらのスプラッタを「引きつった笑い」を持って見る、ある種の自虐的な鑑賞態度もほぼ失われたと言っていいだろう。
 実際に、仙波の短歌の最も重苦しい部分は、極めて直接的であり、露悪的であるがゆえに、読むものに自虐的な重苦しさを強いてくるスプラッタの鑑賞態度に近似している。

 ・ぬるき雨ふりしきる真夜さかな焼く死者の夜明けを待ちわびながら (『私は可愛い三月兎』)
 ・日没のひかりにをんな眉ひそめ屍肉煠める手をやすめたり
 ・幾億も頭(づ)に鬱ならびそむ夜半(よは)を舌のしびれるまでの飲食
 ・熱帯に畸型の蛾溶(と)け獣とけひととけゆく夜(よ)しづかに狂ふ
 ・死のはひのごとく花ふる平凡をせつなく愛す脱糞のさなか
 ・蟹の甲割って糞状くさきもの指の腹へと乗せてしゃぶりぬ

 仙波のこれらの歌では、4首目の「畸型」や5首目の「脱糞」など、日常語では口にするのもはばかられるような表現が露骨に歌われ、特に快楽の中心である飲食が、死や鬱と絡めて歌われる点は興味深い。最も秀逸なのは6首目の「蟹を食ふ」の一連だろう。通常は快楽であるはずの食事が、まるで排泄のように歌われるというスカトロジーに似た感触が、読むものに重苦しいが、ある「引きつった笑い」を誘う。
 仙波龍英のこの自虐的とも言える作歌姿勢は、母の死を歌った一連で一つの達成を見る。

 ・ひら仮名は凄(すさま)まじきかなはははははははははははは母死んだ
・まる焼きの、かんぺきにまでまる焼きの母はいまだに母であらうか                  (『路地裏の花屋』)

 自身の母への挽歌としてこの「痙攣的な笑い」を捧げ、さらに「かんぺきにまでまる焼き」とまで露骨に歌う仙波の短歌は、狂気を突抜けた「ひきつった笑い」にまで到達したと言えるだろう。しかし、この狂気を突抜けた凄みは、その背景となるカルチャーの停滞にともなって消失したのかもしれない。人口に膾炙していると思われる母への挽歌にくらべて、より重苦しい『三月兎』の前掲6首は、ほとんど短歌的には注目されていないからだ。仙波龍英を受け継ぐことは、仙波の美しさを発掘することではなく、固有名詞の影に隠れたこれらの自虐的な世界観を引き受けることであると信じる。その意味で、清潔で健康な現代短歌たちにまみれて、仙波は鑑賞態度そのものが忘れ去られてしまった歌人と言うべきかもしれない。仙波は忘れられたのではなく、目を背けられたのだろうか。

*1森本平「三月兎の死-先駆性への墓標」(「季刊現代短歌雁」18・2002年12月号・雁書館)
*2小池光 「解説 うさぎはどこで跳ねるか」(『仙波龍英歌集』・2007年・立花書林)初出絶版のため代用
*3川本千栄 「仙波龍英 ~ 風俗詠と雪月花 ~」(「D・arts」第7号・2005年4月)

*4池田はるみ「歌壇時評 『仙波龍英歌集』を読んで」(「短歌」・2007年9月号・角川学芸出版)
*5この記憶の実証にあたっては、友成純一『内蔵幻想』(1993年・ペヨトル工房)を参照した。
*6仙波龍英『ホーンテッドマンション』(1990年・マガジンハウス)
*7佐藤通雅「どこが可愛い三月兎」(『リアルタイムの短歌論』・1991年・五柳書院)

ニューウェーブの再検討をめぐって―荻原裕幸と物語的作中主体―(初出:「短歌往来」2009年1月号)

「ニューウェーブ以降、何かが変わった」という評言は、ニューウェーブが発生した当初から繰り返し語られ続けてきた。荻原裕幸が「朝日新聞」紙上で、自らの世代を「ニューウェーブ」という呼称で定義した直後、同年6月の「短歌研究」では、小池光、藤原龍一郎、加藤治郎、そして荻原によって、非常に論争的な誌上シンポジウムが開かれている。このシンポジウムの冒頭で小池光は、次のように指摘している。

 「ニューウェーブという言葉自体はさほどニューでもないわけで、昔からよく繰り返されてきたことだと思いますが、今ここに来てやはりニューウェーブというのですか、新しい何かが起きているということを言い出すのはあながちはったりではなくて、意外と本当なのかもしれないなと思わせるところがいくつかあるような気がするわけです。
  (中略)
 どこが違うかということなのですが、それを今まではかなり表面的というか現象的な面だけで、たとえば口語文脈であるとか外来語が多いとか、あるいは感性が新しいとか、現代感覚がある、そういうふうな現象的な言葉でもって、概括してしゃべってきたような気がする。けれどよく考えるとどうもそうではなくて、何かもっと根本的なところで何かが新しくなったというか、何かが壊れてしまったというか、なしくずし的に何かが消滅してしまったのではないかという、そんな印象が非常にするのです」*1

 ニューウェーブという言葉の登場から、まもなく20年が経過しようとしているが、現在もなお、小池のような「ニューウェーブ以降、根本的に何かが変わった」と言う指摘は多くの歌人によってなされている。それどころか、さらに新しい感性を持った若い歌人が登場するたびに、この「何かが変わった」というタイプの言説が繰り返し私たちの前に立ち現れてくるようだ。一体、何が「変わった」というのか。私は本論で、この「何か」について考えようとしているが、そのためにはまず「ニューウェーブ」という現象の短歌史的な再定義をもう一度始めなければならないだろう。まず、『岩波短歌辞典』の「ニューウェーブ」の定義を引いてみよう。

 「ライトバースの影響を色濃く受けつつ、口語・固有名詞・オノマトペ・記号などの修辞をさらに先鋭化した一群の作品に対する総称。一九九〇年代初めに加藤治郎・穂村弘・西田政史などの作品傾向に対して荻原裕幸が命名した。荻原自身もそう呼ばれた。(引用歌省略)
 コンピュータ世代が開発した文体とも言える。方法のみを磨き上げる風潮は「新人類短歌」と呼ばれた。」*2

 より掘り下げて考えようとする場合、この解説のようにニューウェーブを「方法のみを磨き上げる風潮」という評言に回収してしまうことには、慎重でなければならない。たとえば荻原がこの傾向に対して見ようとしていたのは、あるいは小池や藤原が鋭く対立していたのは、決して「方法」の新しさに還元できる種類の議論ではなかったはずなのだ。もう一度、荻原の朝日新聞紙上の文章に目を向けてみよう。

 1・「近代短歌には、作中にあらわれる主体が、そのまま作者自身であるという「約束」があった。戦後の第二芸術論を経て、塚本邦雄や岡井隆を中心とした前衛短歌運動のなかで、根拠のない「約束」は書きかえられたが、それでも作品が作者自身の「内面」に等しいものであることは誰にも疑われなかった。
 虚構の作品が書かれる場合にも、そこに作者の世界観が表現されているという具合に、作品は作者と一致したものとして書かれ、読まれてきたのだ。
    (中略)
現在から思えば不思議なこの矛盾の根底には、言葉によって成立している主体をア・プリオリなものとしてみなす近代主体主義があると考えられる。そうした「一人称の文学」としてのみ機能していた短歌にも、構造主義(ポスト構造主義およびポストポスト構造主義も含めて)の台頭によって実体的な主体主義の崩壊が露呈した現在、遅れに遅れながらも避けがたくその波が押し寄せてきている」

 2・「(ニューウェーブの短歌を※筆者補)わからないという反応を聞いていつも思うのだが、僕たちは表現されたものをありきたりの意味に「翻訳」してしか理解できないのだろうか。映像や音楽といった広義でのコトバに敏感な現在の僕たちが、どうして短歌の場合にだけその感性が鈍くなってしまうのかと不思議に思う。短歌もまた現在のコトバの一つなのだ。
 そしてまた、わからない、作品ではないという意見のかげに、実体的な主体をアルファにしてオメガとする主体主義の亡霊がひそんでいるようにも思う。彼らの作品からは、従来の作品に見られた類のいかなる主体も引き出せないのだから。」*3

 長い引用なので便宜的に番号を振ることにするが、この当時の荻原が指摘している最も重要な問題に「主体」の問題があることを見逃してはならない。1の議論において荻原は、近代短歌には作中主体と作者の一致を、前衛短歌には作中主体の「内面」と作者の「世界観」との一致をそれぞれ指摘する。そして、ニューウェーブとはこのような「内面」そのものを、荻原の言葉に忠実に言い換えるのならば「実体的な主体主義」そのものを、言葉によって解体しようという試みだと規定するのである。この当時の荻原が前提としていたものは、おそらく柄谷行人の『日本近代文学の起源』にみられるような、近代における「内面」の生成と解体の問題であろう。いわば日本文学のポストモダン批評で前提となっていた事を、そのまま「近代短歌~前衛短歌~ニューウェーブ」という形で位置づけ直そうとしたものであり、ポストモダン批評を前提とした議論の中では、説得力のある展望であったように思える。
 しかし、現在の地点から見ると、この措定そのものがいささか性急すぎたのではないか、という反省も見えてくるだろう。
 荻原自身がシンポジウムのなかで自覚しているように、短歌における「モダン」に関する総括はほとんど行われなわれないまま、並列的に「モダン」と「ポストモダン」が短歌の中にあらわれてきてしまった。短歌における「モダン」とは、このシンポジウムのなかで、「一首の主体がアニメ的、マンガ的」「映画の絵コンテのようだ」と指摘する藤原龍一郎と、短歌固有のジャンルの問題を主張して荻原と対立する小池光という二人の論客の存在が象徴している。
 確かに、記号やオノマトペをふんだんに導入した「ニューウェーブ」の短歌を鑑賞するためには、辞書的な意味を解釈するだけでは全く物足りない。同様に穂村弘や俵万智に代表される口語短歌の登場は、その背景にある言葉のコンテクストを理解できなければ、どこまでも「少女マンガ的」であり、「絵コンテ」のようである* という評言から逃れることはできない。これらの短歌の価値が現代に通じる可能性を秘めていると断定するためには、私たちに必要なのはより現代に引きつけた「読み」のバックボーンであることは疑いようがない。
 残念ながら、2008年の現在においても、そのような「読み」のバックボーンはきわめて希薄であり、ポストモダンの立場からの「読み」の理論が構築されないまま、一過性のブームとしてニューウェーブが過ぎ去ってしまったような印象がある。ニューウェーブに強いリアリティを感じ取った私のような人間がしなければならないことは、「ニューウェーブ的な主体」を前提とした、新たな短歌の「読み」の理論ではないかと考えている。本論は、そのための、ささやかな基礎論の役割を演じようとするだろう。



 1991年のシンポジウムでは、短歌固有のジャンルの立場から、荻原・加藤に対して、重要な反対意見が述べられていた。当時の小池光の議論を確認してみよう。

 1・「僕なんかの解釈でいったら、言葉それだけの純粋な美しさと、韻律それだけの麗しさなんて存在するわけではないので、つまりあらゆる言葉というのは同時に意味性を持っているわけだから、それを希薄にしようとするのは分かるけれども、それから抜け出して韻律それ自身になったり、言葉それ自身の美しさになったりするということは絶対ありえないわけです。その意味性が、最終的に何に収斂されていくかといったら、そこが問題で、一個の生きていく主体といったらいいのか、ある歴史性を背負った他の誰でもない、一個の存在のようなところで、その意味性が全部最終的に収斂されていって、そこで短歌というのが成り立ってきたというふうに思うのです」

 2・「短歌でいうなら私性論なんていう言い方で短歌史に残っているけど、あれなんか非常にモダン文学理論の典型みたいなものですね。ある一個の、各個たる存在があって、そこから何か澱のようにおりてくる。それを全部合わせると、ある一個の主体に収斂される。(中略)そういう手法と、たとえば塚本邦雄の前衛短歌とかいわゆるああいうふうな非一人称的なものというのが、まったく違うように一時期見えたけれども、しかし実は本質的な点では違っていなくて、(中略)彼の内面のまさに正確な反映であり、表現であったというふうに考えると、まったく一個の人格というか、主体に集約されていく。そういう意味では、アララギの写実も、塚本の反写実も、実は同根であるというか、そんなに違うものではないということが、今、われわれの眼から見ると割と見えるのではないですか?」*5

 たとえば2におけるの小池の「近代短歌~前衛短歌」に対する認識は、荻原の認識とそれほど大きく異なっているわけではない。この当時の小池と荻原の間での大きな対立点として存在していたのは、小池の1の「ある歴史性を背負った他の誰でもない、一個の存在のようなところで、主体が収斂されていく」短歌観が、短歌というジャンルにおいて不可欠なものとしてなおも現前していると考えるのか、それとも荻原のように、そのような「実体的な主体主義」が無効化しつつあると捕らえるのか、という一点に尽きよう。
 昭和30年代の「私性」論議を追っていくと、「一人称文学」としての短歌の特性はやはり一首の背後にただ一人の主体がいることであり、荻原の言う「実体的な主体主義」が何を指していたかということはおいても、一首の背後に一つの「主体」があることは読みの上では動かしようがない前提であるように感じられる。しかし、大きな問題となるのは、「ある歴史性を背負った他の誰でもない私」のような、「歴史性」にそのまま結びつくような主体が現代において創造可能なのかと言うことだ。この歴史性とは、狭い意味でとれば「人生」になると言えるし、ひろくとれば「人間の過去の記憶の総体」ということにもなるだろう。ニューウェーブやライトヴァースの短歌は、そのような最終的に「一人の人間」の主体に収斂されていく旧来の「私」を前提にするだけでは、読み解けないような作品が登場してきている。
 この点について岡井隆は、非常に重要な示唆を私たちにもたらしてくれている。既に1992年に、ライトヴァースについて次のように概括しているのである。

 「ライトヴァース派には、多かれ少なかれ、作者(作中主人公といったほうが正確だが)にまつわる〈ストーリー物語〉のイメージが濃厚だった。作者は架空のであれ事実のであれ〈物語〉の中に在る。これは、近代短歌が既成概念とした、歌による〈人生記録〉の思想を、うらがえしにして利用したものである。ライトヴァース派が口語(というより話体といったほうが正確だが)を短歌に導入して成功したとは定説だろうが、読者は、この話体を主人公(たち)の劇中のせりふとして聞いていたのである。」*6

 岡井の言葉を敷衍すれば、ライトヴァース、あるいはライトヴァースに影響を受けた後続の短歌の主体は、「物語的主体」と言うより他ならないものだったと言うことができる。それはニューウェーブが登場した時点で小池が主張していた、「ある歴史的な意味性を背負った」主体とは大きく異なるものだ。

 砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね(俵万智)

 たとえばこの俵万智の短歌を「わかる」と感じるとき、私たちは俵万智という一人の作者の人生について理解しなければならないということはない。掲出歌はおそらく恋の歌だが、この歌が私たちに「わかる」と感じられるとすれば、「砂浜で翼の折れた飛行機を二人で埋めた」というシチュエーションに対する共感可能性が高いからだと言える。私たちは一読して、この「飛行機」が現実の飛行機などではなく、模型飛行機だということを理解することができるし、「砂浜」という舞台設定が、「恋の思い出」を想起するのにふさわしい場所であることを感受することができるだろう。それは、この歌の背景にある「物語」の舞台設定が、私たちのなかに暗黙のうちに共有化されているからに他ならない。私たちはライトヴァース、ニューウェーブの短歌作品を「わかる」ときに、作品の外部の「何らかの物語」を、暗黙のうちに共有しているのである。

 朝のパンがジャムでべたべた恋人の曰く火星ぢやみんなこーなの(荻原裕幸)
 恋の呪文をおぼえたのかい朝食のパンが麒麟になつたやうだね (同)
 四月なのに結論が出ずデカルトに何を足したらポタージュになる?(同)
 哲学に耽るアリョーシャぽぽとして猫の明日は?/ボクノ明日ハ?(同)

 全歌集『デジタル・ビスケット』におさめられた荻原の短歌をもう一度読めば理解できるように、この時期の荻原には、きわめて類縁的なイメージの作品が頻出する。恋人と朝食をとるのは決まって「パン」であり、「ごはん」ではない。ペットになっているのは決まって「猫」であり、「犬」ではない。そして作中主体が読んでいるのはほとんど「哲学」である。「恋人と朝食にパンを選び、家には猫がいる生活」とは、荻原個人のものというよりも、当時の時代的な空気を感じさせる一つの舞台設定となっているように思う。これは荻原だけではなく、ほぼ同時期にニューウェーブと言われた西田政史や、ひいては中山明などにも共通する特性であろう。
 私たちは、ある主体が選択しているアイテムによって、その主体が抱えている「物語」や、「世界観」のようなものを理解したような気になることがある。実際、商品の選択の差によって、その人間の価値観が異なる、「世界観」が異なるという現象は、今なお私たちの周りで日常的に起こっている。ちょうど荻原が朝日新聞紙上で「短歌も映画や音楽と同じ広義のコトバのひとつ」と指摘していた事実が、私には思い起こされる。
 穂村弘は、『短歌の友人』のなかで、前衛短歌から現代短歌までの、短歌の「読み」のモードの変化を「写実モード」「アニメモード」という言い方で説明しようとしていた。穂村によれば、近代以降の短歌はすべて「現実的な等身大の対象」を写生するというひとつのモードの下で詠われつづけて来たが、前衛短歌では、その近代短歌的なモードの影響力がうすれ、「現実的で等身大なモノ」の手触りを失っていると穂村は指摘する。前衛短歌の中に、言葉を「等身大の生命」としてとらえるのではなく、「自由に扱えるモノとして捉える言葉のフェティシズム」があるとする穂村の指摘は極めて重要だ。*7
 消費社会を通過したニューウェーブの短歌は、この言葉のモノ化という現象を逆に利用し、ある文化的な記号やアイテムを盛り込むことによって、一つの物語内存在ともいうべき主体を一首のなかに導入しようとした。これは、前衛短歌以降たびたび問題にされていた「虚構性」の問題と
似ているようでいて、微妙に異なる。たとえばライトヴァースやニューウェーブに、菱川善夫が塚本邦雄に見ていたような、「強い寓意性」や「文明への批判」*8 を見ることは不可能だ。「物語的主体」は、いわば自分たちが「読者とともに共有化された物語(虚構)のなかにいる」ということを既に前提としており、現実と対峙するような虚構を構築する方向へ向かうことができない。俵万智の作中主体が、塚本とは違いあまりにも「ふつう」に見えすぎることに注意しなければならない。それは口語を通じて、読者とともに共有化される「フィクション」のなかでのふつうさなのだ。
 もし「物語的な世界」のなかに安住せず、現実と対峙しようとすれば、まず自分を覆っている「物語そのもの」を解体しなければならない。この時期の荻原は、おそらくそのようなアンビバレンツを抱えながら、より先鋭的な言語そのものへの解体実験へと向かったのだろう。

 (ケチャップ+漱石)それもゆふぐれの風景として愛してしまふ(荻原裕幸)
 蒲公英にさす目薬が切れたつてそれだつて比喩ぢやないかおやすみ(同)

 全ての言葉が、アイテムや比喩として何かを表象してしまうのが現代の「読み」の難しさである。決して意味にも比喩にも還元されない「記号そのもの」を提示することによって、荻原はそう主張しているように感じられる。問題は全く解決していないのだ。このような「物語化され、共有化された私」の中に私たちが生きている限り、ニューウェーブは影響力を持ち続けると、私は確信している。


*1  小池光、荻原裕幸、加藤治郎、藤原龍一郎「現代短歌のニューウェーブ―何が変わったか、どこが違うか」(「短歌研究」一九九一年十一月号、短歌研究社)
*2   栗木京子「ニューウェーブ」(『岩波現代短歌辞典』一九九九年、岩波書店)
*3 荻原裕幸「現代短歌のニューウェーブ」(「朝日新聞」一九九一年七月二十三日夕刊)
*4  註1の誌上シンポジウムでの、藤原龍一郎の発言より
*5  註1の誌上シンポジウムでの小池光の発言より
*6 岡井隆「跋―『BARCAROLLE』の初章」より(鳴海宥『歌集BARCAROLLE』一九九二年、砂子屋書房)
*7  穂村弘「モードの多様化について」(『短歌の友人』二〇〇七年、河出書房新社)
*8  菱川善夫「溶けるピアノ」(現代歌人文庫『歌のありか』一九八〇年、国文社)

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