2007年05月 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

2007年05月

ネット短歌の火を消すな

笹短歌ドットコムが1周年を迎えた。

J-waveがスポンサードしていた「短歌ブログ」の時代から数えると、足掛け2年となる。

私の歌歴は、ほぼこのJ-wave時代の後期に短歌を投稿し始めた頃から始まると言える。その頃同じ時期にインターネットで短歌をされていた方とは今でもつながりは大きいし、おこがましい言い方だけれども、200年後半のインターネット短歌の文化圏のなかで、歌を作り始めることができたのは、自分にとっても幸せなことだったように思う。

とっても残念なこともいくつか体験してきた。

同じ時期に歌を作り始めた人で、今では歌を作っていない人も増えてしまったことだ。

無論、枡野浩一の「かんたん短歌ブログ」が終わったことも大きいのだろう。インターネット上の場がなくなったことで、難民化する人が非常に増えてしまったのだ。

2004年くらいまでのネット短歌というのは、「ラエラティア」「ちゃばしら」「歌葉」に代表されるように、いわゆるネットと口語短歌が入り混じった新たな感受性の新人の排出、という機能を持っていたが、そのようなネット環境は急速に衰退した。

2005年あたりから、インターネットは、教育的な志向を持った、枡野浩一、笹公人という二人の歌人による、投稿の「場」としての意味合いが非常に大きくなってくる。

しかし、これらのネット環境は、商業的な成功を収めはしなかった。

現在、二つの場は、スポンサードする企業の撤退によって、廃止・縮小を余儀なくされてしまっている。

(これは講座の場で笹公人自身が語っていたことなので、この場で書いても問題はないだろうが、笹短歌ドットコムは今や、笹公人自身のボランティアによって支えられている)

結局、短歌そのものが読み手と作り手がほぼイコールであるという現実を、ネットの場でも再反復したに過ぎなかったのだった。
            
そもそも、短歌というビジネスモデルは、作り手自身がお金を出して自分の発表の場を確保する、というシステムによって成り立っている。

企業からのスポンサードによって、その機能を成立させるという試みは、残念ながら、本質的な意味での短歌システムにはなじまなかったようだ。

             ★

1周年を迎えた笹短歌ドットコムから、何首か引いてみよう。
(わたし自身は出詠できなかったが…)

・「降参」のメールに笑みはひろがりて春の勝鬨橋を渡りぬ(瑞紀)

・手のひらに花びらが舞い落ちてきて手つかずのまま春はすぎゆく(嶋田電気)

・芽吹くその瞬間にただ焦がれつつ雪を静かに静かに融かす(はせがわゆづ)

・ねがわくばうまれかわって花びらをあなたのあなたの窓辺に散らす 
(富田林薫)

・米を研ぐ水道水の冷たさに気付かぬ朝は春の始まり(あきえもん)

これらの歌には、もう「笹短歌調」とも言える感受性がしっかりと根付いているし、短歌としても安心して読める水準の作品になっている。

もう笹短歌ドットコムとは、一つの「選歌欄」として成熟期、完成期を迎えつつあるのではないか、という感じもするのである。

初学の私たちに「詩」と「散文」の違いを繰り返し解いてきた笹公人の功績は大きい。

しかし、その成熟さ、ある種の完成度の高さが、笹公人個人の努力によって培われ、維持されているということを考えると、私たちは、そろそろ考えるべき時期に来ているのではないだろうか。と感じてしまう。

残念ながら、インターネット短歌ブームはもう終わった。

私たちは、今までのように誰かが無償で自分の歌を取り上げてくれる、ぽかんと口を開けて、「何もしない投稿者」として、振舞っていればそれで済む、という状況ではなくなっていくだろう。

雑誌で選を受けるときにも、最低限その雑誌を買わなければならない。

笹短歌ドットコムは、そのような経済原理から離れた無償の愛で維持されているのである。(これは、笹公人自身が、選者の「無償の愛」で成立している「未来」という場のよさを理解しているから、としか言えないのだろうが…)

幸い、インターネットという場は、紙媒体と違って、多額の費用を必要とはしない。

インターネットというシステムを通じて、ある程度投稿者が、選者に費用を還元するシステムというものを作ることができれば、(つまりはネットに結社の選歌機能のみを移管させてしまえば)、紙媒体では選歌欄を持っていない歌人が、独自の価値基準で作品を編成する、ということができるかもしれないし、投稿する側も安心して場の維持を期待できるのではないだろうか。

もちろん、短歌を続けるためにはある程度の覚悟が必要。というのは厳然たる事実だが、同時に「締め切りに追われて、大してうまくもないと思っているけど、ただ歌だけは出している」というのも、すごく大切なことなのだと思う。

歌を読み続ける場が何よりも重要なのは、自分の歌が誰の歌のとなりに並んでいるか、ということだろう。

自分の歌は当然読むし、同様に同じ時期に歌を作っていた仲間の歌を見ることができる。それが、相互に影響を与えながら、作風というものを形づくっていくのではないだろうか。

そのような場を、ネットからなくしてはいけない。

             ★

(お知らせ)
             
今まで、個人的に題詠100首ブログのスペースを借りて、文章を書いてきましたが、2007年9月より、新たな場を立ち上げることにしました。

まだいろいろと書きたいことがありますが、とりあえず9月までは、ネット上での文章の公開はお休みさせていただきます。

くだらない文章にながながとお付き合いいただきました方、ほんとうにどうもありがとうございました。

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物語化された私像-コンセプチュアルな時代に向けての試論-

私たちは、どういう経路を伝ってある作品を「わかる」と感じるのだろう。

私たちがその作品を「わかる」というとき、私たちの既存のデータベースのなかに、その作品を受け入れるだけのバックボーンが存在していることは疑いようもない。

・あかあかと一本の道通りたりたまきはるわが命なりけり

斉藤茂吉の名歌として今も知られているこの作品は、「たまきはる」ということばが枕詞であることがわかっても、一本の道と命がつながっているいうことがわかったとしても、どうも私たちの心のなかにぴたっと収まる、という感じがしない。

なんとなく韻律的な修練を積んでくると、「通りたり」「なりけり」の間にある微妙な緊張感であるとか、そういう「短歌としてのよさ」を感じとることができるかもしれないが、それでも茂吉と自分の間にはなんとなく距離感があって、素直に一首だけを読んで、「ああ、そうだよなぁ」、という感じにはなかなかなれない。

しかし、私たちが以下のような作品を読むとき、素直にそれらの作品が「わかった」ような気になってくる。

・3回も食事したからバレてるよ生春巻とわたしが好きね(佐藤真由美)

・午後10時 月が大きい 今もまだ信じる魔法がいくつかはある(加藤千恵)


実際に二人の作家は文庫本にまでなり、多くの読者の共感を呼ぶ作品として、今も認知され続けている。

私もこれらの作品を読むと、「うーん、そうだよなぁ、わかるよなぁ」という気持ちになるのだけれども、「いったいどうして、これらの作品を自分が「わかる」と感じるのか」という自分のなかの回路について、考えを進めざるをえなくなってくる。

どうして、これらの作品がわかるのか。

いったい、いつごろから、私たちはこういう作品を「わかる」と感じるようになったのか。

そもそも、「わかる」とはどういうことなのか。

             ※

荻原裕幸は吉川宏志との対談でこのようなことを述べていた。

「どこかに分岐点があると思うのだけれども、たとえば父親の歌を東さんが書いたとき、東さんのお父さんはどんな人だったんだろう、という
方向に考えがいくんじゃなくて、その言葉がもたらしているイメージみたいなものを、自分の側の体験に重ねたくなるんです。情報が切断されているせいもあるんだけれど、読者の方からそこに乗り入れちゃうんだよね。恋愛の作品なんかでもそうだけど、感情移入というか、自分がもう東さんの一人称に乗っかって読むっていうところがあるんじゃないかな」『短歌ヴァーサス4号』

私もこの分岐点を指摘するだけの知識を持たないが、この感覚は非常に共鳴できる感覚だ。

私たちは、一首を読もうとするとき、その背景にあるリアルな作者をおもいうかべるという「読み」を、いつのまにかしなくなってきてしまっている。むしろ、作品の内部には「作品空間」とでも言うしかないものが拡がっていて、その像を自己のなかで再構成して読む、という読み方が当たり前になってきている。

3回も食事したからバレてるよ生春巻とわたしが好きね

というとき、この会話の作品空間のなかで、まず、どこかで二人の男女が食事をしていることがわかるだろうし、しかも会話している場所は、なんだか「道頓堀横丁」とか「居酒屋和民」のようなダサい場所ではなく、渋谷のオープンテラスといった場所であることがイメージできるだろう。かなり踏み込んだ情景のイメージの共有が存在していて、はじめてこの一首はこの一首として存在している。

午後10時 月が大きい 今もまだ信じる魔法がいくつかはある

この歌に関しても、基本的には「魔法」という言葉がある種の共有化ワードになっている。この魔法というのは「ロードス島戦記」のようなオタッキーな世界で流通する「魔法」でもないし、古典的な意味での妖術でもないことがわれわれの読むコードとして存在しうるだろう。

これらの短歌は、背景にある種のシチュエーションに対する前提があって、そこに作中主体を置き、その作中主体に自己を投影して共振させるという読みが前提として存在している。その感覚が、私たちのいう「わかる」ということなのではないか、とあらかじめ結論を出しておこう。

短歌史的に見れば、80年代以降の口語短歌には、この種のシチュエーションに対する共振とでも言うしかない物語的な磁場の導入が存在していた。

・「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの

・「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

                     『サラダ記念日』俵万智

俵万智のサラダ記念日は、そのような背景のシチュエーションに依存するために、物語空間の導入を会話体によって連想させるという手続きをふまえた、新たな口語短歌の地平を切り開いた歌集として認知されている。

よく専門的な歌人たちが、これらの作品を「通俗的」と非難する大きな理由は、これらの短歌がその作品のシチュエーションを、外部に求めることに根拠を置いている。

たとえば、伝統的な文語の短歌では、一つの状況の圧縮に作品そのものの価値がおかれていた。

・廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり(小池光)

・撒水のいち早く消え道白く過ぎし孤独の日に続きをり(島田修二)

いずれの二首も、状況の圧縮がよく効いた短歌だ。

小池作品では、満開の紫陽花の花の様子を「花占めて」と省略的に表現することで、詩的圧縮をよく表現しているし、島田作品では、撒水が乾いていく道の様子を、「白く」と表現することで、簡素に状況を把握している。

しかし、サラダ記念日以降、私たちが口語的なものを短歌に導入する際に、口語体が持つ一つの物語性を作品空間のなかに導入するという手続きからは避けては通れない。90年代以降のライトバースが導入した「口語短歌」は、口語であること以前に、作品空間が物語であることを私たちに強いたのである。

人形が川を流れていきました約束だからみたいな顔で(兵庫ユカ)

特急券を落としたのです(お荷物は?)ブリキで焼いたカステイラです(東直子)

ここで「いきました」、「みたいな」、「~です」という口語体を採用するとき、私たちはこのテクストの発話主体が女性であるということを無意識に前提とせざるをえないだろう。現代の口語短歌には、多かれ少なかれ、この文体それ自体が持つ「物語への共有」が所与のものとして組み込まれている。

2000年以降の口語短歌は、読みのコードがそのように決定されてしまっている以上、この「主体」と「物語」の関係を前提にして、ほとんどが成立せざるをえなくなってしまっているのではないだろうか。


・この夢をあきらめるのに必要な「あと一年」を過ごしはじめる

・好きだった雨、雨だったあのころの日々、あのころの日々だった君
               枡野浩一『ますの。』

1999年、枡野浩一は、一首全体の背景を最大公約数的な「誰にでも起こりうる物語」に仮託することで、極めて愛唱性の高い新たな口語短歌の地平を切り開いた。

・明け方に雪そっくりな虫が降り誰にも区別がつかないのです

・新婚旅行へ行きましょう、魂のようなかたちのヘリコプターで
         穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』

2001年、穂村弘は、口語文体が持つ独特の女性的な会話体で全体を構成することで、歌集全体を穂村弘本人に向けて届いた「まみ」の手紙として、つまりは女性の書いた物語として一冊の歌集を提示した。

いずれも、短歌以外の世界では既に当たり前のできごとだったが、作者と作中主体がもはや完全に切り離されたストーリーとして提示されうることを示したのである。

そして、2000年以降に第一歌集を出した歌人たちは、多かれ少なかれ、このような「物語化された私」から、どのようにコンテクストをずらしていくか、という一点にかけて、作歌を行っているように見える。

二年間暮らした街を出て行こう来た時と同じくらい他人か(松村正直)

遠ざかる光 これから僕がゆく道を照らして電車は消えた(千葉聡)

オーバーオールのほかなにも着ず春小麦地帯をふたり乗りで飛ばそう(飯田有子)

風船を放してしまったその日から悲しむことを覚えたのです(天野慶)

海水に耳までつかり実況のない夏休み後半へ続く(盛田志保子)

嫌いって言えないジンに浮いたまま拾い上げないライムの輪っか(佐藤りえ)

茸たちの月見の宴に招かれぬほのかに毒を持つものとして(石川美南)

既に、これらの作品には、近代短歌の伝統としてあった「見る主体」としての私は存在しない。中城ふみ子以来の、「演ずる自己」としての私が存在すると考えてもいいかもしれない。

当然、個々の作家にはいくつかのモチーフの差異は誕生しているが、多かれ少なかれ、私たちの間には、意図的に自己像を演出し、作品空間を作りあげるという回路が存在してしまっているのである。

これは、現代の口語短歌を作歌する上で避けては通れない共通認識のように思える。

私たちは、既に歌人ではなく、短歌作家として生きる道を選んでいくことも可能な時代になっているのだ。

この前提のなかで、2006年から2007年の「現在の」口語短歌を考えていく必要がありそうだが、それはまた、次の考察に席を譲ることにしよう。

修正稿:2007年5月8日

勝負はこれからだ(第5回NTC第二部)

それが、イベントとして、まったく面白くなかったのである。ニューウェーブ短歌コミュニケーション。特に第二部。

石川美南、ひぐらしひなつ、廣西昌也、生沼義朗の4氏の議論は、それぞれがそれぞれの問題設定で話をすすめていくために、基本的にはディスカッションとしての相互の交流がなく、1500円払って見に行く議論として、どうなの?

という感じだった。

舞台裏はよくわからないけど、「短歌は新人に何を求めるのか」という大枠の問題設定で、事前にどんな話をすればいいのか、という打ち合わせもない状態で個々が勝手に話をする、なんてことがあっていいのだろうか。4人の議論がかみ合わないまま、「この辺で会場に振りましょう」なんて話をしても、会場だってどう答えていいかわかるはずがない。

私自身は特に発言はしなかったが、これはなんというか主催者側の怠慢ではないのか。

少なくともパネルディスカッションとして設定するためには、依頼を出す側が明確なコンセプトをもっておかないといけないのではないのか。

短歌のイベントに参加していて、いつもいつも「ああ、まただ」という感覚になってしまうのだけれども、「議論がまったくかみ合わない」

そして、「こういう話は議論がかみ合う性質のものでもないので…」という感じですげなくまとめられて、二次会へなだれこむ、といういかにもアマチュアリズム丸出しのイベントというのはもうそろそろやめにしてほしい。

個々の発言者の発言が健闘していたがために、この議論の「平行線状態」が非常に惜しまれる。優秀なイベンターを、短歌界は欠いているようだ。

            ※

いきなりこんな「イベントとしての苦言」から入ってしまった今回のNTCについてだが、このような混乱状況もまた、今の短歌共同体そのものを象徴的にあらわしているのかもしれない、と考えてみたりしている。

今の短歌に起こりっているのは、なんだかよくわからないまま、それぞれが勝手にしゃべって、それでなんとはなしに場自体がどんどん拡散していく、といういわゆる「歌人カラオケ化」現象のようなものではないか。

かつて大辻隆弘はネット短歌の評価軸の不在を嘆いた。

しかし、私たちが直面しているのは、もっと深刻な事態なのかもしれない。それは、若い世代全体がかつて大辻隆弘が「ネット短歌」に感じた危機感のように、個々の歌人が確固とした評価軸や価値観のようなものを打ち出しえないまま、それぞれがそれぞれの場のなかで適当に収斂していく、という、いわば「若手歌人そのもののネット化」のようなものなのかもしれない。          

               ※

無論、これは若手歌人のみに責任がある話ではないだろう。

おそらく穂村が指摘したIN OUT BORDERは、残念ながら現在の状況では疑いようもないくらい事実だ。それは短歌界の状況を如実にあらわしている現象だからだ。

少なくとも現在で短歌専門誌に作品を掲載する基準は、全て結社内からセレクトされていく。短歌専門誌自体に、新人を発掘していこうという機能はほとんど持たれていない。巻頭作品は大方、結社の重鎮クラスの人材で占められており、年功序列制としかいいようのない紙面編制になっている。

私は3誌の短歌専門誌を購読しているが、この1年間で、巻頭連作に、若手の作品が掲載されたことは一度もなかった。そして残念なことだが、どの専門誌を読んでみても、ほとんど「どこかの専門誌」で既に書いている人材ばかりが持ち回りで執筆しているような印象があり、角川らしさ、短歌研究らしさ、などが打ち出されるような企画は残念ながら、一回もない。

新人賞を受賞したクラスの新人でも、うかうかしてはいられない。彼らの作品が今後も永続的に短歌雑誌に掲載されるわけでもない。1年、2年くらいでだいたい依頼がこなくなってしまい、あとは膨大な「7首詠」とか、「10首詠」のなかに作品が埋もれる、という程度で終わってしまうだろう。

まあ、「結社の重鎮」クラスの人材ですら、もともと数がおそろしいほど多いわけだから、当然どこにも所属していない人材であるとか、若手歌人なんて、専門誌に掲載しきれないというのが実状ではないだろうか。

専門誌がほとんど独自の価値判断をもって作品を掲載するという冒険ができない以上、若手が自分の短歌を続けていくモチベーションというのは、ほとんど下のいずれかに収斂してしまうわけだ。

1同人誌を作るか。
2結社に入るか。
3ネットで作品を発表するか。
4ぼそぼそと作品を作って、新人賞に応募するか。
5大枚をはたいて、自費出版するか。
6カルチャーセンターなどで講義を受け続けるか。

そして、それらのうち、1・3・5というのは、ほとんど「既存の短歌的なある種の価値判断」を教育される機会というのは永久にありえないわけだから、2・4・6くらいしか、既存の短歌共同体で認知される手段というのはない。(1はケースバイケースだろうけれども…)

残念ながら、2・4・6というのも、場にあってはほとんど高齢化がすすんでいて、「既存の短歌的な価値判断」〈以外〉のものを受け付ける度量などがないケースも多い。

ということで、「既存の短歌的な伝統を踏まえながら、若い感性を持った価値観を創出する」という、短歌革新運動みたいなものは、永久に起こらないのではないか、という暗澹とした気持ちになってしまうのである。

            ※

歌葉新人賞は、このような歌壇全体に対する危機感から、ニューウェーブの旗手といわれた三人が創設した一種の短歌革新の試みと捉えることができよう。

今までの短歌的な伝統を踏まえながら、それとは大きく抜け出す短歌を、というコンセプトを全面に打ち出して、新たな価値観の創出を意図したもの、という選考方針であったように思える。

それは同様に、既存の短歌共同体が、インターネットという新しい「場」に出会った衝撃、口語短歌に影響を受けた若い感受性の歌人たちの登場、朗読の登場といった、短歌の大胆な「場」の変容が絡み合って、一気に噴出したムーブメントのようなものだったのである。

それらのムーブメントが、確実にある種の若い世代を短歌の世界に引き込んだ功績は疑いようもない。

しかし、そのムーブメントが5年で終了を迎え、そして最後に「事実確認」のようにイン、アウト、ボーダーなどと言われても。。。というやりきれない思いを感じざるをえない。

               ※


私が短歌を始めたのは2005年。第一部のほうで軽くまとめを出しておいたけれども、私は2003年くらいに第一歌集を出した歌人の方の影響を強く受けて、「ああ、短歌ってこんなに面白いのか」と思って、自分でも歌を作り始めた。

そして2001年頃の「マスノ短歌教」に見られる「かんたん短歌」の台頭、「かんたん短歌ブログ」の登場と、穂村弘の「短歌という爆弾」、そして「歌葉新人賞」の登場という二つの大きな磁場のなかで、
歌を作り始めたというのが来歴だ。

自分が始めた頃、「もっと情報が欲しい」と思ってみたはいいけれども、気がついたら「ちゃばしら」も配信を終了しているし、歌葉のホームページも一向に更新されない。ラエテティアという歌人集団もあったらしいが、どこへいったのかもわからない。

初学の自分に残されていたのは、ケータイ短歌、かんたん短歌ブログと、笹公人の短歌ブログの、それにちょうど選考会を行っていた第4回歌葉新人賞だけ、という状況だったような気がする。

以前ミクシィで書いたことがあるが、「なんか面白いおまつりをやっているなぁ」と思って短歌をはじめて、「ぼくも混ぜてもらおうかなぁ」と思って、東京に出てきたのはいいのだけれども、気がついたら、2007年の現在、そんなおまつりはもう全部終わっていて、なんだかしらないがみんなが後片付けをはじめているときに、のこのこ一人「わっしょいわっしょい」言いながら、出てきたようなものだ、という実感がある。

加藤治郎が2001年から2006年のまとめという形で第一歌集を語りはじめたとき、

「ああ、なんかネット短歌も一つの「時代」として、確実に歴史化されていくのかなぁ」

というような実感を持った自分が、なんとなく面白かった。

               ※

若い世代の真価が問われるのは、これから、という気がしている。

歌葉が終わってしまった現在、幸か不幸か、私たちは既に「場を自分たちで作りだしていかなければいけない」という状況におかれつつある。

これは完全に資本の敗北、と言わざるをえないだろうが、近いうちに、商業誌というレベルでは短歌がとりあげられることはない、という時代が到来するのではないだろうか。

そのためには、インターネットというツールは、やはりこれからも重要なものとして存在するだろう。

私たち自身が、しっかりしたそれぞれの態度表明を、多くの人たちに伝えなければならない。

先行世代の評価を頼って短歌を作り続けているだけだと、いつの間にかムーブメントに流されてしまう。そのような失敗を、私たちは2001年~2004年の間に一度経験してしまっている。

ニューウェーブの3人や枡野浩一は、この世代のなかでは圧倒的に鋭利な歌人であって、だからこそこのムーブメントを起こすことができた、といえなくもないけれども、「その後」のことを考えてみると、やはり私たちはこの人たちに「全部評価をお任せする」というのはいささか虫が良すぎる。

インターネットで文章を書き始めたのは、その辺の必要性を痛感してしまったからだ。

とにかく地道な活動になるのかもしれないけれども、文章を書いてネット上で発表をする、というのは、今後も絶対に必要なことであるような気がしている。

この辺で第二部も締めておきたいが、この辺の問題に関する考察は、作品レベルの話も含めて、引き続き、引き続きくどくどやっていくだろう。

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