2009年01月 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

2009年01月

2008年作品発表

最近、短歌を読む文章を全然書けていません。少し忙しくて、なかなか落ち着いて短歌に向き合えないのがつらいところです。

ブログの更新も止まり気味。。。

更新をしないと面白くないので2008年の自分の代表作として、未来年間賞を受賞したあとの受賞第一作を載せさせていただきます。

ご笑覧いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

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[sai]2号発刊

こんにちは。またしてもお知らせで申し訳ありません。

短歌同人誌[sai]の第2号が出たそうです。

第1号の発刊は2005年。短歌のこともまったくよくわからないままふらふらと
「買います」といって買った記憶があります。それから3年たって、ようやく出た
第2号ですね。

どんな雑誌になっているのか、楽しみに待っていたいと思います。
一応宣伝協力ということで、掲載させていただきますー。

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短歌同人誌[sai]2号が出ました。
http://www.kurosekaran.com/sai/

頒価 800円(税込み)
メールでお申し込みの場合、送料サービスでお届け。
karan@d1.dion.ne.jp まで発送先を明記の上、お申し込みください。


[sai]2号目次~特集「からだからでるもの」~

●特集 からだからでるもの

 ○巻頭競詠
 玲 はる名「雪のサイレン」…p.04
 盛田志保子「ゆめおち」…p.10
 岸野亜紗子「おがくづ」…p.14

 ○掌 編
 石川美南「身体から出たものと父方の祖母について、二話」…p.18

 ○詩
 今橋愛「ねこ」「井上」…p.21

 ○短歌二十首
 石川美南「もる」…p.28
 今橋愛「からだからでるもの」…p.30
 生沼義朗「クラクション」…p.34
 黒瀬珂瀾「デモの子供たち」…p.36
 高島裕「蒼き誤謬」…p.38

 ○評 論
 高島裕「涙・糞尿・詩歌」…p.40
 黒瀬珂瀾「全円が影となるとき―春日井建におけるHIVのイメージ―(1)」…p.44

 ○紹 介
 盛田志保子「『セクシャル・イーティング』について、おもうこと。」…p.50

●特集Ⅱ [sai]歌合

 ○鈴木暁世「がっつり、遊ぶ。―[sai]歌合報告ノート―」…p.52

 ○[sai]歌合2005 完全収録バージョン
   ゆりかもめ × チーム赤猫 河原町四番勝負…p.54

     第一番勝負・パパイヤ  光森裕樹(ゲスト)×石川美南
     第二番勝負・たんす   生沼義朗×今橋 愛
     第三番勝負・半島    玲はる名×黒瀬珂瀾
     第四番勝負・姉      高島 裕×土岐友浩(ゲスト)
     判者 東郷雄二(ゲスト)
     協力 京大短歌

 ○特別寄稿 東郷雄二「[sai]歌合始末記」…p.82

●小特集 高島裕『薄明薄暮集』

 岸野亜紗子「高島裕『薄明薄暮集』―生まれたままの」…p.88
 黒瀬珂瀾「消えない自我のため―高島裕『薄明薄暮集』評」…p.90

●相互評
 玲はる名「都市と歌人―黒瀬珂瀾『街角の歌』」…p.92
 鈴木暁世「矢野目源一が「少年」だったころ―『揺籃』をめぐって」…p.92
 今橋愛「うつくしい小さな箱―夜灯集のこと―」…p.93

[sai] vol.2  参加メンバー紹介…p.94
編集後記…p.96


 vol.2 2009年1月10日 A5版・本文96ページ
 頒価 800円(税込み) ISSN 1880-5183

 vol.2ゲスト 東郷雄二・土岐友浩・光森裕樹
 装丁・ロゴ制作 nakaban (きりん果 http://www.kirinca.info/

本田瑞穂「すばらしい日々」

すばらしい日々



ご購入は邑書林さんまで









・まひるまにすべてのあかりこうとつけたったひとりの海の記念日




2004年に発刊された本田瑞穂さんの第一歌集『すばらしい日々』は、俵万智や東直子といった歌人によって切り開かれてきた口語短歌のポエジーの流れを、さらにもう一歩すすめることになった意義深い歌集だと思う。

私見では、口語のポエジーは時代がくだればくだるほど、より「ミクロな感触」へと着目することによって、その手触りを確かなものにしようとしてきたのではないかと考えられる。特に、2000年以降の女性歌人の想像力のなかに、こういった「ミクロな感触」が数多く見られることは注目したい。

冒頭に上げた一首は、穂村弘によって「魂の在りようが怖い」というふうに解説の冒頭に取り上げられ、この歌集の代表歌になった一首。

真夏の「まひるま」に、全てのあかりを「こう」とつける。

この行為は異常だ。真夏の「まひるま」はもともと、別にあかりをつける必要はないほど「あかるい」ものだ。しかし、そのあかるい真夏の「まひるま」に、あえて、「すべてのあかり」を「こう」とつけるという。
そのことによって何か劇的な変化が起こるのかというと、特に変化は起こらない。ただ、「あかり」を「こう」とつけたという行為そのものに、非常に「ミクロな世界への感受性」を感じる。よくみるとどうでもいいようなことに過剰にこだわろうとするその作者の心のありようが、一つのポエジーを醸しだしているのだ。

かつての「孤独」のありようというのは、もう少しステロタイプなイメージに回収されるようなものだったはずだと考えたりする。「孤独」とは、もう少し「くらい」ものではなかったか。しかし、本田のこの歌は、「あかるい」場所のなかに「たったひとり」を見いだす。こういう「ミクロな世界への違和感」は2000年代の口語短歌の一つの基底調になっているのではないかと思う。

同様の「ミクロな世界への違和感」を歌った歌人として真っ先に僕の脳裏に浮かんでくるのは、次のようなタイプの歌だ。



・手応えでだめだとわかるクローゼットの扉のレールのわずかな歪み(兵庫ユカ)




これもミクロな違和感をポエジーとして回収させようとしている歌だ。兵庫の歌は「クローゼットの扉のレールのわずかな歪み」といったミクロな場所に「だめ」感を投影する。この「だめ」は、クローゼットが「だめ」であると同時に、やはり私が「だめ」なのだとおもう。微細なものに投影される「だめ」の取り合わせがおもしろい。

いずれも、方向性は違うかもしれないが、「かすかなもの」や「ささやかなもの」に照準を合わせようとしてくる口語短歌たち。こういう流れを口語の最先端というなら、本田は間違いなく、この流れの最先端として登場してきた歌人なのではないか。



・じゅんばんに遠いところへ近づいていく信号は青に変わって

・なかゆびのゆびわがひかる急に日が落ちたとおもう鏡の中で

・澄んでいく町に味方はいらなくて帽子を深く被って歩く





いずれも、なだらかな言葉の選択と、非常に浅い場所に強い意味付けをもたらそうとする作者の意志が全面につらぬかれている。どの歌も非常に気になって読んだ。

今後も語り継いでいかなければいけない歌集の一冊だと思う。

(しばらく更新が止まっていました。ゆっくりとですが、動かしていきたいと思っています。よろしくお願いいたします)

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お読みいただいて、ありがとうございました。
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