2014年02月 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

2014年02月

歌集の感想について

難しい時代になりました。誰もが情報を発信することが出来るようになって、誰もがメディアだけではなくて、その他のネット上のオピニオンリーダーみたいな人が数多く出てくるようになって、様々な角度から、様々な問題について意見を述べています。そしてその意見があちらこちらに拡散して、いまyoutubeを見ても、ツイッターを見ても、いろいろな言動の人がごっちゃになって入り乱れている、そんな時代になってしまいました。

情報の戦国時代といいましょうか。

中には眼を疑うようなものもありますし、聞くに耐えないようなものも多くあります。

そんな中で、自分が最近痛感しているのは、自分の中の弱さというか、ちょっとした情報に過敏に反応してしまう自分の心の弱さのようなものです。

そして同時に、情報発信者としての自分の声の小ささというか、影響力の低さのようなものです。

(僕は毎日ツイッターのフォロワーさんの人の会話を眺めたり、羨ましく思ったり、これはひどいと思ったりして、1900人分全員チェックしたりしていた時期もありましたが、とんでもなく疲れる作業なので、今年に入ってからはもうしていません。個人が許容できる情報の量の限界を、あきらかにオーバーしていると思います。)

僕自身、これから何を書くかはよくわかっていないのですが、おそらく「誠実さ」のようなものについて語りたいのではないかと思います。

去年まで僕は「自分の中で」は誠実に、いただいた歌集については全力で歌の感想をブログに書いていましたが、岡大短歌さんの感想を書いた以後の歌集については、感想を書くことをためらっています。

自分の感想が、とても批評的になってしまうことを恐れるからです。

もしかして僕に歌集を送ってくれる人は、そんなことを望んでいないのではないのか。

ただ一読して、好きな歌をいくつかツイートしてそれで良いのではないか
とかいろいろ考えたりしました。

これだけ情報が入り乱れて、まあ歌集の感想についてはたいていささやかに好きだというくらいの感想が流れているだけなので、コミュニティというか、好きという共同体を壊してまでも、あえて批判的なことを書く必要があるのかどうか。自分の文章が、もしかして誰かにとって暴力になりうるかもしれない。それが「誠実な」文章のあり方だろうか。

ということについて少しためらっています。

去年についていうと、彗星集の仲間の歌集も含めて、実はたくさん歌集を送っていただいたのですが、どうも自分のなかで今「なんでも書く」スタイルを続けることが、必ずしもベストだとは思えずに、かといってスルーするわけにもいかずに、とまどっています。

ツイッターについてもそうです。

最近自分の身の回りでは排外的というか、ちょっと相手を貶めることで自分に有利な言説になるように仕立て上げるような言い方がものすごく目に入ってきます。

世の中のことについても、なんだか今まではすごく楽観的で、僕一人くらい攻撃的な事を言っていてもまあいいか

くらいに考えていたのですが

どうもそうではない。おかしいぞ。

と思っているうちに、あれよあれよというまにインターネットと言うメディアが、とても攻撃的になってしまいました。

僕は、そろそろ穏やかさとか優しさというものを大切に生きていきたいというふうに思うようになってきました。

ネットの上でも、頼まれもしない「感想」を書き続けても本当にいいのかどうか。
自分自身のあり方が少し見えなくなってきています。

そういう訳で、いま、僕は自分自身の「ためらい」のようなものと格闘しながら、ひそかに沈黙しています。

できれば、どういうふうに話をすればいいのか、誰かに教えてもらいたいという気持ちでいっぱいなのです。

ということで、アプローチの方法が見つかるまで、まだ少し言葉の扱い方について、考えさせていただきたいと思います。

ツイッターでは伝わらないと思うので、長々と文章を書きました。

事実上は、今現在もブログを休止している状態なのですが、
あらためて、暫くの間、ブログを休止させていただきたいと思います。

最終的には、ネット上に歌集の感想を書き下ろすことは、もしかしたらもうないかもしれません。

もし差し支えなければ、ツイッター上でも、どなたかご相談に乗っていただけると嬉しいです。
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短歌の読みについて(初出:「未来」2013年9月号)

振り返れば、2012年は若手歌人の優れた第一歌集が多く世に出た年であった。しかしその一方で、世に出た新しい歌人の個々の営みは多く、「内省的」と言えるようなものであった。例えば光森裕樹は次のような指摘をしている。
「従来の物に対してどう新しい動きなのかではなく、自分の中で何を大切にし、何をルールに定め、それをどこまで突き詰めるかの新しさが大切になっている。個々人での新しさを丹念に見ていかないと、若い人に共通の「これが新しい」というものは語れないと思います。」(「新春座談会―新しい歌とは何か」「短歌」角川学芸出版、2013年1月号)
光森の指摘にほぼ同意する。私たちは、前衛短歌、ニューウェーブといった「文学運動」「ムーブメント」からは既に遠く離れてしまった。おのずと、短歌は大状況に対してアプローチするような種類のものではなく、より内省的なものへとシフトしているという仮説が成り立つだろう。2012年は内山晶太、山田航、田村元、永井祐など、それぞれに特色のある若手歌人が多く世に出たが、彼らは総じて、自らの手に届く範囲以上のことを歌わないというスタンスの歌人だったように思う。当然、それぞれの歌の個性、それぞれの良さを丹念に見て行かなければならない。評論に求められている役割も変化している。新しい文学運動を提言するような情熱的な言挙げや論争は、もう求められていないのかもしれないし、文学史を記述する、というような野心ももしかしたら、無為なのかもしれない。
歌人に求められていることと言えば、目の前の歌集を「どう読むか」という小さな試みの積み重ねのみではないか。こういう一見瑣末な、局地戦のような議論は正直私の好みではないのだが、これだけ歌人と歌人との距離が遠く離れてしまった現代において、残されたものは「読み」という小さな架け橋を通じて、ささやかでも歌人と読者との、歌人と歌人との距離を詰めることではないかと思う。



2012年で最も話題になった歌集は、間違いなく永井祐の『日本の中でたのしく暮らす』だった。今回は読みの例としてあえて永井を取り上げる。永井の歌ほど鑑賞の難しい歌人は多くはないが、私は例えば永井を、大辻隆弘や斉藤斎藤がそうしたように「てにをは」の捌きがうまい歌人というように概括して新しさを見ようとする議論にはあまり説得されていない。大辻はレ・パピエ・シアンⅡ誌上に8ページにもわたる「新しきてにをは派」(「レ・パピエ・シアンⅡ、2012年9月号」)という論稿を寄せている。
全文を引用すると紙幅に詰まってしまうので概略だけ述べるが、大辻は永井の、

たよりになんかならないけれど君のためのお菓子を紙袋のまま渡す

という歌を引いて、未来のシンボジウムで柳澤美晴が永井に対して行った「修辞の武装解除」というレッテル張りを批判し、この歌の第三句目の「君のための」の「の」の使い方で、微妙な揺らぎを見せているということを力説した。私なりに敷衍すると、ここで「君のため」と定型に収めることもできただろうが、「君のための」とあえてすることで、永井の歌はこの「紙袋」を「きみ」本人ではなく、第三者に手渡した、という解釈が生じるとしている。つまり、別の人に「君のための」お菓子を(渡してほしい)と「渡す」という行為に、ナイーブな青年像が見て取れるような揺らぎが生じる、と主張している。
はたして、そのように読むことでこの歌が本当に良くなるだろうか。私は、ここで「の」が入っていたとしても、このお菓子を紙袋のまま手渡した相手はやはり「きみ」だろうと考える。大辻の解釈では、この「の」は意味的に「きみ」に手渡した可能性と「第三者」に手渡した可能性に分裂してしまうことになるが、そこまで歌の読み幅がぶれてしまうてにをはの使い方をもし永井がしていたのなら、この歌ははっきり言って失敗ではないか。もしここで「君のため」ではなく、あえて「君のための」としたことが問題になるとすれば、それは「意味的」に解釈を揺らがせることが目的だったのではなく、韻律上の要請があったということを視界に入れておかなければならないのではないか。
この歌は上の句、たよりになんかならないけれど、が全てひらがな書き、ふわっとした雰囲気で入ってくる77調のリズムである。それを「君のため」と受け止めては日本語的にも助詞がひとつ省略されてしまうのでおそらく作者の美学にそぐわず、韻律的にも若干腰が折れる印象がある。そこで「君のための」とあえて六音で受けることで、読者に第三句を読む呼吸を若干滞留させ、その上で下の句にフォーカスをする時間的余裕を歌に持たせている。歌としては、たよりになんかならないけれどという上の句の77調で不安定な感触を読者に暗示させ、「君のための」で一旦受け、「お菓子を紙袋のまま渡す」と具体的な行為を下の句で提示している歌だ。意味的にも「たよりになんかならない」自分と、「紙袋のまま渡す」という行為で、がさっとした無骨な作者像を提示している歌だと思う。
永井の歌に限ったことではないのだが、「てにをは」を読むことだけで歌を読解するという一つの方法論を、私は是としていない。短歌にはそれが名詞であるか副詞であるかという日本語的な細かい区分け以前に、作者が一首に刻印する呼吸のような、息遣いのようなものがあり、一首を通して読んだときにあらわれるその息遣いをまず読者は感じとり、一首から引き出されるイメージと合わせて、感動の衝撃のようなものを受け止るのではないか。
その点で、大辻の「てにをは論」は必ずしも永井の中でベストな歌を引いてきているようには、私には思えない。さらにこの議論に乗るのは申し訳ない気もするのだが、人口に膾炙した永井の歌、

わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる

という歌にも、内容ではなく、言い回しの巧みさを見なければならないという大辻の主張には、半分は首肯しながらも、どうしても賦に落ちない部分が残る。「この歌、どんな歌だっけ」と言われた時、「あ、「別に」の歌だよね、「撮ったり」の歌だよね」と言われて、読者に共通理解が生まれるのだろうか。仮に名詞として「地元」の歌だよね、といっても共通理解は生じないだろう。この歌はやはり「「写メール」の歌だよね」と言ったときに、読者に共通理解が生まれるのではないだろうか。
その理由は、当然「写メール」「地元」という名詞に意外性があるという「名詞読み」の効能もあるのだろうが、この歌の場合、「写メール」という名詞の挿入の仕方が、内容面だけではなく、韻律面でも工夫が凝らされているからだと考える。
やはり初句七音で入るこの歌は、先述の「たよりになんかならないけれど」の句の入れ方とはおそらくまったく違うロジックで七音が入れられていると思う。「たよりになんかならないけれど」は一首のなかで「ん」が使われていることもあるのだろうが、響きはどちらかというと軽い。しかし、この歌は、前述の歌よりも若干リズムが遅く、「私は別におしゃれではなく」、というやや内省的で底ごもるような呼吸が続いている。その後、いきなり「写メールで」というやや伸びた調子の5音が挿入される。ここで読者は意外な調子の変化を感じることになるだろう。そのあとに、ここは大辻も主張しているが、下の句の77で「地元を撮ったりして暮らしてる」と言う完全口語の言い回しが入る。この「撮ったりして」という言い回しに所在なさげで投げやりな気分が感じとられてうまいという点では、大辻の意見にほぼ同感だが、さらに細かくいうと「撮ったりして暮らしてる」という細かな口語のリズムの動かし方にも心地よい響きの躍動があると思う。この歌はやはり、「写メールで」以降の転調の巧みさに眼を配らないとといけない歌なのではないか。



繰り返しになるが、私は歌を名詞、動詞という日本語的な区別ではなく、全体的に歌が持っている「呼吸」に注目して歌を読みたいと思う。そもそも言語が名詞なのか副詞なのか、助詞なのかといった「文法的な」区別は、言葉の発生からあった自然なものではない。言葉を整理したり、区別したりする過程で後付けで生まれたものだ。私は言葉が持つ生来のリズムとイメージをできるだけ大切にして歌を作りたいと思っているし、鑑賞の際にも言葉の持つ「息遣い」にまず注目したい。
紙幅が尽きてきたので、私が永井の歌で秀歌だと思っている歌を挙げて拙論を閉じる。

・五円玉 夜中のゲームセンターで春はとっても遠いとおもう
・テレビみながらメールするメールするぼくをつつんでいる品川区

一首目は永井独自の韻律の伸ばし方が巧みだと思う。五円玉、で一回韻律を切って、そのあとに「夜中のゲームセンター」というなめらかな長音の響きを持った上の句が挿入されている。そして結句では「春はとってもとおい」というあえかな感触を持った語句が入っている。上の句の出発点から、下の句の着地点まで、全体的に呼吸がなだらかに伸びて行く感じがある。上の句を一時空けるという技法は永井が時折試みる手法で、「なまけもの 僕は散歩して道に落ちてるお金を拾う」という歌も歌集には収録されているが、この歌のほうが私はいいと思う。「五円玉」という言葉の持つ響きと、そこから導き出される「春はとっても遠いと思う」という全体的な長音の持つ響きのよさと、歌の内容でもある「春はとっても遠い」という清澄な抒情は、響きと内容の面で、作者の独特の美的なセンスが感じられる秀歌に仕上がっているように思う。この歌は五円玉という小さいものから、春はとっても遠いという作者の感慨までを、なだらかな調べにのせて歌いあげている秀歌だと思う。
二首目、この歌は、メールするという言葉がまるで二回のリフレインのように美しく決まっているところにポイントがあると思う。最初のメールするの呼吸と、二度目のメールするの呼吸はそれぞれ早さが異なる。意味的には「テレビみながらメールする/メールするぼくをつつんでいる品川区」で区切ると分かりやすい印象があるが、「メールするメールする」の二回のリフレインの歌ととったほうが、辞としても新鮮な印象を受けるのではないか。二回目のメールすると言う言葉は、一回目のメールするという言葉よりも若干早く読むことができるように思う。メールすると言う長音の響きに、まるでするすると読者をいざなうかのような独特の加速感がある。その加速感に身を任せて一首を読み下していくと、読者は急に「ぼくをつつんでいる品川区」という即物的ともいえない、即物性から少し離れた抒情を持った風景に出会う。おそらくこの品川区は、夜の情景だろうととりたい。作者は、品川区の家々に明かりがともるような空間のなかでメールを打っている。その感触を、メールするメールするという長音の響きの加速感がつなげてくれる。そして、最後の下の句で読者は品川区というやわらかな「ひかり」に包まれる美しい風景に出会う。
永井について語ることは、どうしても「その批判」をするより先に、「まずその良さ」についてしっかりと述べなければなければならないというあたりに難しさがある。『日本の中でたのしく暮らす』には必ずしも全面的に肯定するとまではいえない歌も多数含まれているが、それを指摘することはまたの機会にしなければならないようだ。とりあえず今回は私の読みの一例として、「てにをは」に主眼をおくという読み筋に対してささやかだが、異なる意見を提示した次第である。

遠いこととリアリティ―近藤芳美『黒豹』鑑賞(初出:「未来」2013年2月号)

近藤芳美の第八歌集『黒豹』には、「言葉」や「思想」、「戦争」といった歌材を真正面から取り扱った作品が頻出する。

 幾夜短き北爆飛行の報つづくことばの虚しさに又耐えんとき
   
 戦争を既に賭けたる飛行の音思想と脆く呼ぶものを断つ

 うつうつと国ひたす雨一民族をかかる寡黙に戦わしむるもの

 処刑待つ少年兵にしてまなこ澄む忘れて寝ねん過ぎてゆく死は

 額あげて生き行く昼と夜の吾と夜は舟艇を霧に守る兵

 一首目。「幾夜短き北爆飛行の」という上の句の破調が切迫感をもって読者に響いてくる。作者はテレビかラジオで、ベトナムの北爆飛行の短い「報」が続々と入ってくるのを感じている。その「報」に触れ続けながら、「ことばの虚しさに又耐えん」とする。「ことばの虚しさ」とは何だろうか。北爆を前にして、いかなる抗議も無力だというような言挙げだろうか。おそらくは「思想」を伴った言葉が、最終的には「権力」には届かないだろうという「断念」のようなものだろう。「又耐えん」と言っているということは、北爆以前にも同じような体験があったことを指すだろう。つまり、日本で体験した「戦争」である。ベトナムの「戦争」に、実体験としての日本の「戦争」が投影された一首である。
 二首目は、一首目の直後に置かれた歌。「戦争を既に賭けたる飛行」とはまさに今戦場へ飛び立とうとしている飛行機の出発音である。それを作者が「「思想」と自分自身で「脆く」呼んでいるものを「断つ」としている。この二首はセットで解釈されることが多く、既に田井安曇は、この前の歌集『異邦者』の平和な紀行詠と対比して、「歌人として「ことば」につながり、「ことばの虚しさに」「耐え」ねばならぬ痛みを、万力につぶされる自分自身として感じなければならなかったとし、「思想」の歌もそういった「痛覚」なくしては生まれなかったと評価している(「巨人のかなしみ」「短歌」1984年5月号、角川書店」)。また岡井隆は同じ掲出歌を二つの点から批判する(「黒豹の背景」「短歌研究」1969年11月号、短歌研究社)。私なりに敷衍すると、一つは、近藤芳美の思想を「反戦思想」と既定した上で、この反戦やことばの力が作用した上で、「北爆停止」が現実的になり得たのであって、全く無力だとは言えないという点(実際の北爆停止は1969年10月だった)。もう一つは、北爆をおしすすめた政治家や軍人たちも同様の「ことば」をもっており、「反戦思想」のみを言葉だとするのは片手落ちではないか、という点である。つまりは近藤の思想そのものにバイアスがかかっているのではないか、という点だが、これを岡井はさらに掘り下げて、近藤芳美の歌に「生活に密着した思想」というのがほとんど出ていないのではないか、という疑問を提示している。これについては後述する。
 三首目は、「沈黙」を主題として歌が作られている。「雨」という言葉は、鬱勃とした情感を醸し出す措辞として成功している。この「雨」のイメージと共に、「一民族をかかる寡黙に戦わしむるもの」とやや破調気味に入る下の句には、破調が醸し出す音韻のよさのなかに、ベトナムにおける民族の無言の戦いが歌われている、ととるのがたとえば田井安曇の見解であり、正道だろう。
 しかし読者が感興を得るとすれば、この「一民族」の中に、ベトナムではなく、かつて同じように「寡黙」に戦った日本民族の姿を投影することができるからだと思う。「ことばの虚しさ」に「又耐えん」とする近藤の日本への戦争の意識がここでは「寡黙」という言葉で捉え直されている。われわれは無言で戦争をした、そういう思いが歌に吐露されているように私には感じられる。
 四首目は、「処刑待つ少年、兵にしてまなこ澄む」と区切って読みたい。補足すると、処刑を待つ少年(が)兵であって、そのうえ目が澄んでいる、という並列関係をあらわした上の句だろう。これはおそらくテレビで放映された少年の死の瞬間だろうと上田三四二は指摘している(「近藤芳美氏と『黒豹』」「短歌」1969年7月角川書店)。そのあと作者は大きく場面転換し、「忘れて寝ねん過ぎて行く死は」と非常にクールに死を捉えようとする。「少年」の澄んだ「まなこ」という清らかな存在を上の句で提示し、そのあとそれすらも「過ぎて行く死」にすぎないと断じるところにこの歌の非情の情の核心がある。おそらく幾度も「まなこ澄む」人間の死を見てきたのであろう、戦中体験を持った作者だからこそ書ける歌だ。
 四首目、「額あげて生き行く昼と夜の吾と」の表現からは、本業の建築家として額をあげて「未来」を目ざして働いている「昼」の近藤芳美と、「過去」の影を負い、「霧」のなかで舟艇を守るおぼろげな「兵」として、回想に苦悩する「夜」の近藤芳美という、二つに分断された作者像が提示されている。
 前掲の上田三四二の概略によれば、近藤芳美は大戦中、揚子江で上陸用舟艇を守る任務についており、護衛の工兵として現地民の反抗に怯えながら、自分が「異国の侵略者である」ということを常に意識して過ごさざるをえなかったらしい。さらに近藤の部隊はその後、大陸から太平洋に移り、敵前上陸をして全滅してしまう。しかし、それ以前に、近藤自身は胸部疾患の病兵として内地に送還されており、その敵前上陸の報を内地の病院で聞くことになった。近藤は、「侵略者」であると同時に自分自身が「戦場離脱者」であるという思いにも捕らわれていたという。 

 霧の夜ごと舷にめぐりし稲妻の記憶よ一生の逃亡者われ

 連作「霧の舷」は、おそらく妻と一緒に船に乗った体験に基づく、美しい叙景を紡ぎ出している一連だと思うが、ここにも「逃亡者」として一生を生きねばならないという苦い戦中体験が歌い込まれている。歌としては「霧の夜ごと舷にめぐりし稲妻の」で一回区切って読みたい。霧の夜の間に、船の舷をめぐってくる稲妻があり、その光る一瞬のなかに記憶が蘇ってくる。その記憶は逃亡者としての「われ」の記憶である。深く刻みこまれた逃亡者としての「われ」の記憶は、稲妻のひかりのように一瞬ごとにふとよぎっては消えてゆく。そういう情景を思い起こさせる一首である。
 このような苛烈な戦争体験によって苛まれた近藤の過去への痛みは、まさにベトナム戦争という遙かな遠くの「戦争」によって再び誘発されることになる。自身が体験した日本での戦争と、戦後に起こったテレビから見る遠い国の「戦争」。二つの戦争が共鳴する時、作者の痛みは掲出六首のように苦い実感となって読者の前に立ち現れる。この遠い国の「戦争」が持つリアリティを、岡井のように「生活者」としての立場が欠けている、というように断罪することはできるのか。
 私は読者として、たとえ近藤のいう「ことば」や「思想」が反戦思想に満ちていたものだったとしても、それが歌の持つリアリティをいささかも削ぐものにはならないと思う。戦争体験を通過していない私のような読者からは、例えばこれらの歌からは作者個人の「戦争」にに対する「体験」のリアリティを感じることができる。私は例えば岡井の挙げる、
 
 広島の夏来たりつつ墓をうつすひしめく墓は日本のもの

 ヘリコプター敵地に降りてなびくすすきいだく悲しみのすき透るまで
 
 といった歌を逆に良いとは思えなかった。『黒豹』は概念をぽんと提示するところに作者の痛みを感じ取るべき歌集であり、はるかなものへの憧憬、硬質な表現に魅力を感じ取るべき歌集だと思った。
 そういった方針で近藤芳美の歌のイメージを自分なりに咀嚼していくと、『黒豹』のなかには、概念を通過してイメージのみが非常に先鋭化した作品もかなり存在する。表題歌の「森くらくからまる網をのがれ逃れひとつまぼろしのわれの黒豹」は既に名高いが、それとは異なった、あたかも自身の体験を抽象化したような作品や、前衛短歌と同時代的に歌われたかと思われる作品も見受けられる。次に引くのはそのような作品である。

 孤立してゆくひそかなる時の推移空の制圧を告げ告ぐるとも

 月のおもて寂しき隕石のかげ曳くを思いて眠る霜告ぐる夜を

 帰休兵深夜の基地をはるか発つ虚空の音か雪深ければ

 一首目は「黒豹」の歌に匹敵するほど抽象度が増した歌だ。失敗歌と断じることも簡単だろう。しかし、連に即して読むと、具体物から発想されているのがわかる歌だ。前後の歌との関連から、この歌から読み取れるのは、もはや完全に純粋化された「雷雨の到来」である。作者は雷雨がやってくる空の「時の推移」の下に立っているのだと思う。「孤立してゆく」のは「われ」である。下の句ではさらに、「時の推移」の説明に移る。「空の制圧を告げ告ぐるとも」というのは、雷雨が次第に空を覆っていく様子を抽象的に表現している詩句だ。そう解釈すると、「われ」が雷雨の「制圧」のなかに「孤立」して空を見上げているという立ち位置の解釈が可能になる。こう読むことで、作者の「孤立」した心情が投影されると言えよう。また同時にこの歌は、「ひそかなる時の推移」のなかに、時代の移ろいや、ベトナムに代表される権力が弱者を「制圧」するという図式を読み取ってもいいのかもしれない(吉田漱『近藤芳美私註』1979年、愛育出版)。ここには具体を歌いながら、具体を突抜けて抽象化させるという近藤の概念歌の特色がよく出ているように思う。
 二首目、遙かなものに着目した歌だ。私はここに「おおはるかなる沖には雪のふるものを胡椒こぼれしあかときの皿」に代表される、塚本邦雄の「はるかなるもの」への憧憬と同質のものを読み取る。巻頭近くには、「火星の面(も)過ぎつつ伝え来る電波白き死火口のかげうつすのみ」「砂漠のかげ白くむなしく映りつつ彼の遊星の彼方の虚空」という、テレビが伝える火星や遊星というイメージが取り入れられた歌があるが、こちらの歌はそれよりもさらに想像の度合いが増している。作者はおそらく実体験として「月のおもて」に「隕石のかげ」が曳く様子などは一度も見たことがないはずである。しかし、ここには「はるかなとおいもの」として「月のおもて」に寂しき「隕石のかげ曳く」、というイメージが「想像」されている。そして作者がいるのは、「霜告ぐる夜」という完全に日常の世界である。「霜告ぐる夜」と「隕石のかげ曳く」というイメージは冷ややかに共鳴している。ベトナム戦争がテレビから伝えるはるかなとおい戦争であったように、近藤の詩心はこのようにはるかな遠いものとしての「隕石」や「火星」にも着目している。「はるかなとおいもの」を歌うという点で、近藤には塚本邦雄と同時代的に共鳴する詩心が感じられるように思う。
 三首目、現在では「虚空」という表現は大袈裟な表現として忌み嫌われる傾向にあるが、この歌では虚空も含めて新鮮な措辞が生きているように思う。まず「帰休兵」という措辞が斬新である。ここにあるのは近藤芳美の自画像としての、苦しみを負った「兵」が投影された姿ではなく、単に描写の対象として、戦争のさなかに一時の羽を休める優しく無力な「兵」の姿がある。その「帰休兵」が深夜の基地を飛行機か何かで出発しようとしているのだろう。歌としては三句切れ。「帰休兵深夜の基地を遙かたつ」まででは非常に断言的に、スタイリッシュに上句がまとめられているが、下の句の情感は微妙だ。「虚空の音か雪深ければ」の「虚空の音か」は自問自答である。そして「雪深ければ」というやや言い淀んだような結句、これは基地の様子ともとれるし、近藤が自室で雪の深さをみて詠嘆している様子ともとれる。私は近藤の自室ととった。下の句で「帰休兵」が「基地」を発つ音を「虚空の音か」と自問自答する様子は、作者の「体験」からはちょっと離れて、日常のなかで「はるかなとおい」音として「虚空の音」を想像し、雪の深さのなかでその微細な音を感じ取っているのだろう。リアリズムのなかに「はるかとおいもの」へのまなざしと、繊細な音を感じとる近藤の姿がある。
 一読すると確かに『黒豹』は、「生活者としての営み」に欠けた感触があるのかもしれない。しかし、同時に体験者としてのリアリティ、はるかなものへの憧憬に根ざした先鋭化したイメージが読み取れる。その体験や憧憬と言ったものに、私は深い感銘を受けた。『黒豹』は、生活詠が欠けているとして読み捨てられるべき歌集では決してない。むしろ遠いことを歌ったリアリティを読み継ぐべき歌集であると私は思う。

三月兎はなぜ忘れ去られたのか? 〈初出:「未来」2009年11月号)

 2007年に六花書林から『仙波龍英歌集』が刊行された。これによって、第一歌集『私は可愛い三月兎』を含めて、仙波龍英の歌業にあまねく触れる機会を得たことになる。林あまり、中山明、加藤治郎、俵万智らとともに「ライトヴァース」と呼ばれ、一世を風靡したと伝えられる仙波龍英だが、その過去の名声に比して、彼を理解・再評価するための資料は決して多いとは言えない。また、藤原龍一郎を始めとした同世代の優れた理解者に比べて、若い世代への浸透度はいま一歩という感を否めない。
 森本平が、当時ライトヴァースの話題の中心にいたのは仙波龍英であったと言う時代状況を示し、加藤治郎、俵万智のみが「ライトヴァース」の中心的存在であったという印象を払拭しようと試みている*1。しかし、残念ながら私たちの年代のなかで、加藤、俵よりも仙波にネームバリューを感じるという人間は稀少であろう。森本自身が「仕方ない」と述べているように、加藤、俵は未だなお現役で活躍し、短歌界に影響力を保持しているのに対して、仙波はかなり早い時点で短歌から遠ざかってしまった(その点は中山明も同様だが)。現代の状況から逆算して、ライトヴァース=「俵万智・加藤治郎」、つまり漠然と「口語体」を思い浮かべてしまう若年の読者は多いのではないだろうか。
 確かに仙波が未だに存命で、今日でもホラー小説などで高い支持を得ていれば、状況は多少は変わったのかもしれない。ただ、同じように初期歌集発表後に短歌から一度遠ざかった村木道彦や平井弘が、作品未発表中も、後継世代の短歌に多大な影響を与えていたことを考えれば、必ずしも活動期間と後続世代への影響は比例しているわけではないように思う。どうして仙波龍英のような個性が、後続世代にほとんど影響力を持っていないのか。多くの偉大な歌人がそうであるように、亜流とも言うべき多くの後継歌人を生み出さなかったのか。仙波がライトヴァースであるか否かという線引きをする前に、少しじっくり考えてみたい問題である。
 短歌史において仙波を高く評価する点として挙げているのが、風俗やサブカルチャーを積極的に作品世界に取り込んだ点である。もちろん、ただそれだけなら「ポップ」や「先鋭的」という一言で片付けられてしまいそうだが、多くの評者が指摘するように仙波の作品世界は決して「軽く」はない。「硬派のクルシサの化粧」*2(小池光)、「存在することに対する仙波自身の苦しい違和感」*3(川本千栄)といった、極めて「重い」評が並ぶ。
 「固有名詞を短歌に取り込む」と言う技法の継承性については、池田はるみの指摘*4が先行するだろう。池田は仙波を連想させる歌人として、笹公人・斉藤斎藤の短歌を挙げ、歌のなかの語句が「一首の中で、作者とは直接関係が無いのに無理やり関係してくる存在なのだ」としている。その一方で、「一首に固有名詞が目立っていて、歌っている作者の心が見えがたい」点を面白いと指摘する。もちろん池田は、確定的な影響関係を述べているわけではないが、私見では、一首単位ではなく歌群として見た場合、笹公人や斉藤斎藤の短歌に仙波が直接の影響を与えているとは考えにくい。
 
 ・メールでは加藤あい似のはずだった少女と寒さを分かつ夕暮れ(笹公人)
 ・トキワ荘のまぼろし浮かぶ夏の路地 誰かのベレー帽を拾った
 
 笹の短歌の良質の部分には、誰でも共感しやすい抒情性やノスタルジーが底流にあり、さりげなく笑える一首目に置かれた「夕暮れ」や、トキワ荘の「夏の路地」といった、読者にイメージを共有させやすい場面設定が施してあったり、アイテムが使われていることが多い。池田が取り上げている一首、

 ・ヒロスエと縁はあるかと問われおり黒いリュックを背負う男に

 は、私の解釈では「ヒロスエと縁があるか」と尋ねた男は、いわゆるオタク男子であるという読みと同時に、当時の映画「WASABI」で広末涼子を口説いたと噂されているリュック・ベッソンがかけてあるのだろう。映画の中でも黒服の男をジャン・レノが演じていることからも、この「黒いリュック」には「WASABI」のややスキャンダラスなゴシップも組み込まれていて、わかる人はくすっとするという構造になっていると見るべきだと思う。
 本質的にアイテムや場面を歌のなかに馴染ませることで、一首を構築する笹の世界には、いわゆる陰惨さとは無縁な抒情性や共感できる笑いが滲んでいる。ライトヴァースの歌人と言う点では、むしろ俵万智に近い感受性すら感じさせるのではないだろうか。
 斉藤斎藤はあえてここでは詳述しないが、やはり仙波とは別の回路から言葉を発している歌人であると言うことは指摘しておかなければならない。

・雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁(斉藤斎藤)

 この一首は、「のり弁」を「のり弁」そのものとして出す即物性が斬新なのであり、この歌の場合、仙波とも笹とも固有名詞の使い方は大きく異なっている。斉藤は言葉の繰り出し方が特異な歌人であって、必ずしも固有名詞にのみこだわる歌人ではない。確かに仙波と笹はかなり意図的に固有名詞を多用しているが、そこから醸し出される抒情質は大きく異なっていると言っていい。技法の継承という点ではなく、抒情質の問題も考えて見るべきだろう。笹は仙波の底流にある「硬派のクルシサ」を、受け継いではいない。
 もう一度、なぜ仙波の系譜が、現代の若手に受け継がれていないのかという問題に戻ろう。それは、仙波自身の問題もあるだろうが、当時仙波が感受していたはずの「サブカルチャー」という言葉で括られるイメージが、80年代と現代とでは大きく変質しているということも指摘しておいて間違いはないだろう。
 私のかすかな記憶*5を頼りに論を進めることになるが、80年代から90年代の初頭にかけてのアングラ・サブカルチャーの中心は、アニメーションではなく、むしろホラーだったように思う。特に欠かせない映画として挙げられていたのは、70年代後半に登場したジョージ・A・ロメロ監督の「ゾンビ」三部作や、ダリオ・アルジェントの「サスペリア」など、視覚的刺激の強いホラー映画だった。81年にルチオ・フルチの「地獄の門」「ビヨンド」「サンゲリア」、82年にはサムライミの「死霊のはらわた」がヒットし、スプラッタというジャンルが確立されることになる。これ以降、ホラーは恐怖よりも残虐性・猟奇性を追求するようになり、「食人族」などのモンド映画も脚光を浴びるようになった。80年代後半にビデオが家庭に普及した影響も大きく、これらの作品は、「ゲテモノ」と呼ばれながらも、レンタルビデオのラインナップに並ぶことになる。私が中学生のころ専ら見ていた映画は、レンタルビデオで借りたこれらの映画だった。その残酷な表現にある種の嫌悪感を抱きつつ、同時に自虐的な笑いを持って鑑賞し続けたのを覚えている。
 実際に仙波が書いた小説『ホーンテッド・マンション』*6では、このスプラッタ映画と同質の猟奇性が指摘できる。蚯蚓の群れの中に全裸で横たわり性の快感を得ようとする女性を描いた「桃源の館」、「恐怖の痙攣的美」を追求する詩人が、自分の恋人の妹たちを猟奇的に殺害し、その恐怖の表情を保つためにホルマリン漬けや蝋人形にしてゆく「淫獣の館」など、エロスとグロテスクと狂気を追求したこれらの作品の背徳性は、まさにスプラッタの「ひきつった笑い(恐怖の痙攣的美)」と近似しているのではないか。
佐藤通雅は『リアルタイムの短歌論』*7において痛烈に仙波を批評しているが、この指摘はある側面で正鵠を射ている。
 「これはいっぱいくわされたと思った後、おのずと連想されたのは性産業のことだ。(中略)はじめの頃、舞台の女性はチラリチラリとのぞかせるだけで、ウィットに富んでいた。ところが観客はそのものズバリを見なければ満足しなくなる。そこでズバリズバリと股間を開くようになるわけだが、そこから後は何もない。なくてはたちまちあきられてしまう。やむなく次から次へと新しい手を使う。(中略・『私は可愛い三月兎』の一連を批評して)しかしこの方法によっては、どこまで行っても横すべりするだけだという批判は成立するだろう。先端を行くために固有名詞や風俗に寄りかかっていけば、とめどもなくそれらを追いかけるほかなくなる。しかも並列的である。つまり一回ズバリと見せたら、客の目をそらさないようズバリズバリとやっていくほかない。こうなると企画する方は次の新手を見つけることに四苦八苦し、客だってズバリの刺激に疲れはて、にもかかわわらず刺激を求めてまた足を運ぶ。いずれも行者めくのはゆえなしとしない。」(引用原文ママ)
 この批評の文脈は、仙波の短歌の批評というより、仙波の短歌の背景にある当時のサブカルチャーの動向にそのまま当てはまる。スプラッタは映画興行としては80年代後半に急速に失速したが、その理由は方法の過激化、マンネリ化がもたらした客離れだった。まさに「ズバリの刺激に疲れはて」たのである。直接的、猟奇的な表現はサブカルチャーの前面からは姿を消し、同時にこれらのスプラッタを「引きつった笑い」を持って見る、ある種の自虐的な鑑賞態度もほぼ失われたと言っていいだろう。
 実際に、仙波の短歌の最も重苦しい部分は、極めて直接的であり、露悪的であるがゆえに、読むものに自虐的な重苦しさを強いてくるスプラッタの鑑賞態度に近似している。

 ・ぬるき雨ふりしきる真夜さかな焼く死者の夜明けを待ちわびながら (『私は可愛い三月兎』)
 ・日没のひかりにをんな眉ひそめ屍肉煠める手をやすめたり
 ・幾億も頭(づ)に鬱ならびそむ夜半(よは)を舌のしびれるまでの飲食
 ・熱帯に畸型の蛾溶(と)け獣とけひととけゆく夜(よ)しづかに狂ふ
 ・死のはひのごとく花ふる平凡をせつなく愛す脱糞のさなか
 ・蟹の甲割って糞状くさきもの指の腹へと乗せてしゃぶりぬ

 仙波のこれらの歌では、4首目の「畸型」や5首目の「脱糞」など、日常語では口にするのもはばかられるような表現が露骨に歌われ、特に快楽の中心である飲食が、死や鬱と絡めて歌われる点は興味深い。最も秀逸なのは6首目の「蟹を食ふ」の一連だろう。通常は快楽であるはずの食事が、まるで排泄のように歌われるというスカトロジーに似た感触が、読むものに重苦しいが、ある「引きつった笑い」を誘う。
 仙波龍英のこの自虐的とも言える作歌姿勢は、母の死を歌った一連で一つの達成を見る。

 ・ひら仮名は凄(すさま)まじきかなはははははははははははは母死んだ
・まる焼きの、かんぺきにまでまる焼きの母はいまだに母であらうか                  (『路地裏の花屋』)

 自身の母への挽歌としてこの「痙攣的な笑い」を捧げ、さらに「かんぺきにまでまる焼き」とまで露骨に歌う仙波の短歌は、狂気を突抜けた「ひきつった笑い」にまで到達したと言えるだろう。しかし、この狂気を突抜けた凄みは、その背景となるカルチャーの停滞にともなって消失したのかもしれない。人口に膾炙していると思われる母への挽歌にくらべて、より重苦しい『三月兎』の前掲6首は、ほとんど短歌的には注目されていないからだ。仙波龍英を受け継ぐことは、仙波の美しさを発掘することではなく、固有名詞の影に隠れたこれらの自虐的な世界観を引き受けることであると信じる。その意味で、清潔で健康な現代短歌たちにまみれて、仙波は鑑賞態度そのものが忘れ去られてしまった歌人と言うべきかもしれない。仙波は忘れられたのではなく、目を背けられたのだろうか。

*1森本平「三月兎の死-先駆性への墓標」(「季刊現代短歌雁」18・2002年12月号・雁書館)
*2小池光 「解説 うさぎはどこで跳ねるか」(『仙波龍英歌集』・2007年・立花書林)初出絶版のため代用
*3川本千栄 「仙波龍英 ~ 風俗詠と雪月花 ~」(「D・arts」第7号・2005年4月)

*4池田はるみ「歌壇時評 『仙波龍英歌集』を読んで」(「短歌」・2007年9月号・角川学芸出版)
*5この記憶の実証にあたっては、友成純一『内蔵幻想』(1993年・ペヨトル工房)を参照した。
*6仙波龍英『ホーンテッドマンション』(1990年・マガジンハウス)
*7佐藤通雅「どこが可愛い三月兎」(『リアルタイムの短歌論』・1991年・五柳書院)

ニューウェーブの再検討をめぐって―荻原裕幸と物語的作中主体―(初出:「短歌往来」2009年1月号)

「ニューウェーブ以降、何かが変わった」という評言は、ニューウェーブが発生した当初から繰り返し語られ続けてきた。荻原裕幸が「朝日新聞」紙上で、自らの世代を「ニューウェーブ」という呼称で定義した直後、同年6月の「短歌研究」では、小池光、藤原龍一郎、加藤治郎、そして荻原によって、非常に論争的な誌上シンポジウムが開かれている。このシンポジウムの冒頭で小池光は、次のように指摘している。

 「ニューウェーブという言葉自体はさほどニューでもないわけで、昔からよく繰り返されてきたことだと思いますが、今ここに来てやはりニューウェーブというのですか、新しい何かが起きているということを言い出すのはあながちはったりではなくて、意外と本当なのかもしれないなと思わせるところがいくつかあるような気がするわけです。
  (中略)
 どこが違うかということなのですが、それを今まではかなり表面的というか現象的な面だけで、たとえば口語文脈であるとか外来語が多いとか、あるいは感性が新しいとか、現代感覚がある、そういうふうな現象的な言葉でもって、概括してしゃべってきたような気がする。けれどよく考えるとどうもそうではなくて、何かもっと根本的なところで何かが新しくなったというか、何かが壊れてしまったというか、なしくずし的に何かが消滅してしまったのではないかという、そんな印象が非常にするのです」*1

 ニューウェーブという言葉の登場から、まもなく20年が経過しようとしているが、現在もなお、小池のような「ニューウェーブ以降、根本的に何かが変わった」と言う指摘は多くの歌人によってなされている。それどころか、さらに新しい感性を持った若い歌人が登場するたびに、この「何かが変わった」というタイプの言説が繰り返し私たちの前に立ち現れてくるようだ。一体、何が「変わった」というのか。私は本論で、この「何か」について考えようとしているが、そのためにはまず「ニューウェーブ」という現象の短歌史的な再定義をもう一度始めなければならないだろう。まず、『岩波短歌辞典』の「ニューウェーブ」の定義を引いてみよう。

 「ライトバースの影響を色濃く受けつつ、口語・固有名詞・オノマトペ・記号などの修辞をさらに先鋭化した一群の作品に対する総称。一九九〇年代初めに加藤治郎・穂村弘・西田政史などの作品傾向に対して荻原裕幸が命名した。荻原自身もそう呼ばれた。(引用歌省略)
 コンピュータ世代が開発した文体とも言える。方法のみを磨き上げる風潮は「新人類短歌」と呼ばれた。」*2

 より掘り下げて考えようとする場合、この解説のようにニューウェーブを「方法のみを磨き上げる風潮」という評言に回収してしまうことには、慎重でなければならない。たとえば荻原がこの傾向に対して見ようとしていたのは、あるいは小池や藤原が鋭く対立していたのは、決して「方法」の新しさに還元できる種類の議論ではなかったはずなのだ。もう一度、荻原の朝日新聞紙上の文章に目を向けてみよう。

 1・「近代短歌には、作中にあらわれる主体が、そのまま作者自身であるという「約束」があった。戦後の第二芸術論を経て、塚本邦雄や岡井隆を中心とした前衛短歌運動のなかで、根拠のない「約束」は書きかえられたが、それでも作品が作者自身の「内面」に等しいものであることは誰にも疑われなかった。
 虚構の作品が書かれる場合にも、そこに作者の世界観が表現されているという具合に、作品は作者と一致したものとして書かれ、読まれてきたのだ。
    (中略)
現在から思えば不思議なこの矛盾の根底には、言葉によって成立している主体をア・プリオリなものとしてみなす近代主体主義があると考えられる。そうした「一人称の文学」としてのみ機能していた短歌にも、構造主義(ポスト構造主義およびポストポスト構造主義も含めて)の台頭によって実体的な主体主義の崩壊が露呈した現在、遅れに遅れながらも避けがたくその波が押し寄せてきている」

 2・「(ニューウェーブの短歌を※筆者補)わからないという反応を聞いていつも思うのだが、僕たちは表現されたものをありきたりの意味に「翻訳」してしか理解できないのだろうか。映像や音楽といった広義でのコトバに敏感な現在の僕たちが、どうして短歌の場合にだけその感性が鈍くなってしまうのかと不思議に思う。短歌もまた現在のコトバの一つなのだ。
 そしてまた、わからない、作品ではないという意見のかげに、実体的な主体をアルファにしてオメガとする主体主義の亡霊がひそんでいるようにも思う。彼らの作品からは、従来の作品に見られた類のいかなる主体も引き出せないのだから。」*3

 長い引用なので便宜的に番号を振ることにするが、この当時の荻原が指摘している最も重要な問題に「主体」の問題があることを見逃してはならない。1の議論において荻原は、近代短歌には作中主体と作者の一致を、前衛短歌には作中主体の「内面」と作者の「世界観」との一致をそれぞれ指摘する。そして、ニューウェーブとはこのような「内面」そのものを、荻原の言葉に忠実に言い換えるのならば「実体的な主体主義」そのものを、言葉によって解体しようという試みだと規定するのである。この当時の荻原が前提としていたものは、おそらく柄谷行人の『日本近代文学の起源』にみられるような、近代における「内面」の生成と解体の問題であろう。いわば日本文学のポストモダン批評で前提となっていた事を、そのまま「近代短歌~前衛短歌~ニューウェーブ」という形で位置づけ直そうとしたものであり、ポストモダン批評を前提とした議論の中では、説得力のある展望であったように思える。
 しかし、現在の地点から見ると、この措定そのものがいささか性急すぎたのではないか、という反省も見えてくるだろう。
 荻原自身がシンポジウムのなかで自覚しているように、短歌における「モダン」に関する総括はほとんど行われなわれないまま、並列的に「モダン」と「ポストモダン」が短歌の中にあらわれてきてしまった。短歌における「モダン」とは、このシンポジウムのなかで、「一首の主体がアニメ的、マンガ的」「映画の絵コンテのようだ」と指摘する藤原龍一郎と、短歌固有のジャンルの問題を主張して荻原と対立する小池光という二人の論客の存在が象徴している。
 確かに、記号やオノマトペをふんだんに導入した「ニューウェーブ」の短歌を鑑賞するためには、辞書的な意味を解釈するだけでは全く物足りない。同様に穂村弘や俵万智に代表される口語短歌の登場は、その背景にある言葉のコンテクストを理解できなければ、どこまでも「少女マンガ的」であり、「絵コンテ」のようである* という評言から逃れることはできない。これらの短歌の価値が現代に通じる可能性を秘めていると断定するためには、私たちに必要なのはより現代に引きつけた「読み」のバックボーンであることは疑いようがない。
 残念ながら、2008年の現在においても、そのような「読み」のバックボーンはきわめて希薄であり、ポストモダンの立場からの「読み」の理論が構築されないまま、一過性のブームとしてニューウェーブが過ぎ去ってしまったような印象がある。ニューウェーブに強いリアリティを感じ取った私のような人間がしなければならないことは、「ニューウェーブ的な主体」を前提とした、新たな短歌の「読み」の理論ではないかと考えている。本論は、そのための、ささやかな基礎論の役割を演じようとするだろう。



 1991年のシンポジウムでは、短歌固有のジャンルの立場から、荻原・加藤に対して、重要な反対意見が述べられていた。当時の小池光の議論を確認してみよう。

 1・「僕なんかの解釈でいったら、言葉それだけの純粋な美しさと、韻律それだけの麗しさなんて存在するわけではないので、つまりあらゆる言葉というのは同時に意味性を持っているわけだから、それを希薄にしようとするのは分かるけれども、それから抜け出して韻律それ自身になったり、言葉それ自身の美しさになったりするということは絶対ありえないわけです。その意味性が、最終的に何に収斂されていくかといったら、そこが問題で、一個の生きていく主体といったらいいのか、ある歴史性を背負った他の誰でもない、一個の存在のようなところで、その意味性が全部最終的に収斂されていって、そこで短歌というのが成り立ってきたというふうに思うのです」

 2・「短歌でいうなら私性論なんていう言い方で短歌史に残っているけど、あれなんか非常にモダン文学理論の典型みたいなものですね。ある一個の、各個たる存在があって、そこから何か澱のようにおりてくる。それを全部合わせると、ある一個の主体に収斂される。(中略)そういう手法と、たとえば塚本邦雄の前衛短歌とかいわゆるああいうふうな非一人称的なものというのが、まったく違うように一時期見えたけれども、しかし実は本質的な点では違っていなくて、(中略)彼の内面のまさに正確な反映であり、表現であったというふうに考えると、まったく一個の人格というか、主体に集約されていく。そういう意味では、アララギの写実も、塚本の反写実も、実は同根であるというか、そんなに違うものではないということが、今、われわれの眼から見ると割と見えるのではないですか?」*5

 たとえば2におけるの小池の「近代短歌~前衛短歌」に対する認識は、荻原の認識とそれほど大きく異なっているわけではない。この当時の小池と荻原の間での大きな対立点として存在していたのは、小池の1の「ある歴史性を背負った他の誰でもない、一個の存在のようなところで、主体が収斂されていく」短歌観が、短歌というジャンルにおいて不可欠なものとしてなおも現前していると考えるのか、それとも荻原のように、そのような「実体的な主体主義」が無効化しつつあると捕らえるのか、という一点に尽きよう。
 昭和30年代の「私性」論議を追っていくと、「一人称文学」としての短歌の特性はやはり一首の背後にただ一人の主体がいることであり、荻原の言う「実体的な主体主義」が何を指していたかということはおいても、一首の背後に一つの「主体」があることは読みの上では動かしようがない前提であるように感じられる。しかし、大きな問題となるのは、「ある歴史性を背負った他の誰でもない私」のような、「歴史性」にそのまま結びつくような主体が現代において創造可能なのかと言うことだ。この歴史性とは、狭い意味でとれば「人生」になると言えるし、ひろくとれば「人間の過去の記憶の総体」ということにもなるだろう。ニューウェーブやライトヴァースの短歌は、そのような最終的に「一人の人間」の主体に収斂されていく旧来の「私」を前提にするだけでは、読み解けないような作品が登場してきている。
 この点について岡井隆は、非常に重要な示唆を私たちにもたらしてくれている。既に1992年に、ライトヴァースについて次のように概括しているのである。

 「ライトヴァース派には、多かれ少なかれ、作者(作中主人公といったほうが正確だが)にまつわる〈ストーリー物語〉のイメージが濃厚だった。作者は架空のであれ事実のであれ〈物語〉の中に在る。これは、近代短歌が既成概念とした、歌による〈人生記録〉の思想を、うらがえしにして利用したものである。ライトヴァース派が口語(というより話体といったほうが正確だが)を短歌に導入して成功したとは定説だろうが、読者は、この話体を主人公(たち)の劇中のせりふとして聞いていたのである。」*6

 岡井の言葉を敷衍すれば、ライトヴァース、あるいはライトヴァースに影響を受けた後続の短歌の主体は、「物語的主体」と言うより他ならないものだったと言うことができる。それはニューウェーブが登場した時点で小池が主張していた、「ある歴史的な意味性を背負った」主体とは大きく異なるものだ。

 砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね(俵万智)

 たとえばこの俵万智の短歌を「わかる」と感じるとき、私たちは俵万智という一人の作者の人生について理解しなければならないということはない。掲出歌はおそらく恋の歌だが、この歌が私たちに「わかる」と感じられるとすれば、「砂浜で翼の折れた飛行機を二人で埋めた」というシチュエーションに対する共感可能性が高いからだと言える。私たちは一読して、この「飛行機」が現実の飛行機などではなく、模型飛行機だということを理解することができるし、「砂浜」という舞台設定が、「恋の思い出」を想起するのにふさわしい場所であることを感受することができるだろう。それは、この歌の背景にある「物語」の舞台設定が、私たちのなかに暗黙のうちに共有化されているからに他ならない。私たちはライトヴァース、ニューウェーブの短歌作品を「わかる」ときに、作品の外部の「何らかの物語」を、暗黙のうちに共有しているのである。

 朝のパンがジャムでべたべた恋人の曰く火星ぢやみんなこーなの(荻原裕幸)
 恋の呪文をおぼえたのかい朝食のパンが麒麟になつたやうだね (同)
 四月なのに結論が出ずデカルトに何を足したらポタージュになる?(同)
 哲学に耽るアリョーシャぽぽとして猫の明日は?/ボクノ明日ハ?(同)

 全歌集『デジタル・ビスケット』におさめられた荻原の短歌をもう一度読めば理解できるように、この時期の荻原には、きわめて類縁的なイメージの作品が頻出する。恋人と朝食をとるのは決まって「パン」であり、「ごはん」ではない。ペットになっているのは決まって「猫」であり、「犬」ではない。そして作中主体が読んでいるのはほとんど「哲学」である。「恋人と朝食にパンを選び、家には猫がいる生活」とは、荻原個人のものというよりも、当時の時代的な空気を感じさせる一つの舞台設定となっているように思う。これは荻原だけではなく、ほぼ同時期にニューウェーブと言われた西田政史や、ひいては中山明などにも共通する特性であろう。
 私たちは、ある主体が選択しているアイテムによって、その主体が抱えている「物語」や、「世界観」のようなものを理解したような気になることがある。実際、商品の選択の差によって、その人間の価値観が異なる、「世界観」が異なるという現象は、今なお私たちの周りで日常的に起こっている。ちょうど荻原が朝日新聞紙上で「短歌も映画や音楽と同じ広義のコトバのひとつ」と指摘していた事実が、私には思い起こされる。
 穂村弘は、『短歌の友人』のなかで、前衛短歌から現代短歌までの、短歌の「読み」のモードの変化を「写実モード」「アニメモード」という言い方で説明しようとしていた。穂村によれば、近代以降の短歌はすべて「現実的な等身大の対象」を写生するというひとつのモードの下で詠われつづけて来たが、前衛短歌では、その近代短歌的なモードの影響力がうすれ、「現実的で等身大なモノ」の手触りを失っていると穂村は指摘する。前衛短歌の中に、言葉を「等身大の生命」としてとらえるのではなく、「自由に扱えるモノとして捉える言葉のフェティシズム」があるとする穂村の指摘は極めて重要だ。*7
 消費社会を通過したニューウェーブの短歌は、この言葉のモノ化という現象を逆に利用し、ある文化的な記号やアイテムを盛り込むことによって、一つの物語内存在ともいうべき主体を一首のなかに導入しようとした。これは、前衛短歌以降たびたび問題にされていた「虚構性」の問題と
似ているようでいて、微妙に異なる。たとえばライトヴァースやニューウェーブに、菱川善夫が塚本邦雄に見ていたような、「強い寓意性」や「文明への批判」*8 を見ることは不可能だ。「物語的主体」は、いわば自分たちが「読者とともに共有化された物語(虚構)のなかにいる」ということを既に前提としており、現実と対峙するような虚構を構築する方向へ向かうことができない。俵万智の作中主体が、塚本とは違いあまりにも「ふつう」に見えすぎることに注意しなければならない。それは口語を通じて、読者とともに共有化される「フィクション」のなかでのふつうさなのだ。
 もし「物語的な世界」のなかに安住せず、現実と対峙しようとすれば、まず自分を覆っている「物語そのもの」を解体しなければならない。この時期の荻原は、おそらくそのようなアンビバレンツを抱えながら、より先鋭的な言語そのものへの解体実験へと向かったのだろう。

 (ケチャップ+漱石)それもゆふぐれの風景として愛してしまふ(荻原裕幸)
 蒲公英にさす目薬が切れたつてそれだつて比喩ぢやないかおやすみ(同)

 全ての言葉が、アイテムや比喩として何かを表象してしまうのが現代の「読み」の難しさである。決して意味にも比喩にも還元されない「記号そのもの」を提示することによって、荻原はそう主張しているように感じられる。問題は全く解決していないのだ。このような「物語化され、共有化された私」の中に私たちが生きている限り、ニューウェーブは影響力を持ち続けると、私は確信している。


*1  小池光、荻原裕幸、加藤治郎、藤原龍一郎「現代短歌のニューウェーブ―何が変わったか、どこが違うか」(「短歌研究」一九九一年十一月号、短歌研究社)
*2   栗木京子「ニューウェーブ」(『岩波現代短歌辞典』一九九九年、岩波書店)
*3 荻原裕幸「現代短歌のニューウェーブ」(「朝日新聞」一九九一年七月二十三日夕刊)
*4  註1の誌上シンポジウムでの、藤原龍一郎の発言より
*5  註1の誌上シンポジウムでの小池光の発言より
*6 岡井隆「跋―『BARCAROLLE』の初章」より(鳴海宥『歌集BARCAROLLE』一九九二年、砂子屋書房)
*7  穂村弘「モードの多様化について」(『短歌の友人』二〇〇七年、河出書房新社)
*8  菱川善夫「溶けるピアノ」(現代歌人文庫『歌のありか』一九八〇年、国文社)

「インターネット短歌と少女ゆうれいたち」初出:歌クテル5号(2008年)

はじめまして。「未来短歌会」という結社に所属しています、西巻真といいます。「歌クテル」のAIさんから、「ネット短歌」について文章を書いてほしいという依頼をいただきました。あんまり自信はありませんが、全力でがんばりますので、よろしくお願いします。
結社といわれる世界で2年くらい短歌をやっていると、「ネット短歌・ネット歌人」という言葉がなんとなく「蔑称」らしいぞ。ということに気がついてきます。そして、もっというと「ネット歌人」という言葉のなかに、どうやら「ぼく」はまったく入ってないぞ。。。(←注・さみしいらしい)ということにも気が付きます。これは残念ながら、歌クテルのみなさんにも言えることで、どうやら「ネットで短歌を書いている=ネット歌人」というわけでもないようです。
いわゆる結社・歌壇の世界で「ネット歌人」、「ネット歌人」といろいろ言われている人は、どうやらぼくや「歌クテル」のみなさんよりもうちょっと前に有名になった人たちのことを言うらしいです。
そもそもインターネットと短歌のかかわりが有名になってきたのは、どのあたりからなんでしょう。ちょうど「現代短歌大事典」が手元にあるので、ちょこっと引いてみました。
「インターネットを媒介とした短歌の活動は、1995年秋から盛んになり、翌年春に、短歌界全体のホームページと歌人有志をメンバーとする超結社のメーリングリストが開設されてから大きな展開を見た。(中略)98年には、歌人の情報交換や議論にインターネットは不可欠なものとなった」
あらら。けっこう前なんですね。今から12年も前じゃないですか。この記事を書いた坂井修一さんは、僕の師匠である加藤治郎さんとと並んで、インターネット上で短歌の場をつくることに尽力した歌人さんと言われています。
『短歌ヴァーサス』11号の年表によると、1996年に「ASAHIIネット歌会」というのが発足していますから、これをインターネット歌会のはじまり、97年の「現代歌人会議の発足」を、歌人さん同士のインターネットによるメーリングリストによる情報交換のはじまり、と考えてもいいようです。
 98年には、「ラエティティア」という文芸サークルが、加藤治郎、荻原裕幸、穂村弘という三人の歌人さんによる、いわゆる「エスツープロジェクト」によって始められます。
 加藤治郎さんは、同じ短歌ヴァーサス11号のなかの評論で、「インターネット世代」を、「96年以降に登場した歌人」と考えています。そこには、こういう前提があるみたいですね。「ネット短歌」というのは、意外と古い言葉のようです。。
それでは、、「ネット短歌」という蔑称的な言い方で短歌が使われ始めたのは一体いつなのか、調べてみましょう。
2001年に、「未来」の大辻隆弘さんが、未来本誌の「時評」のなかで、「ネット歌人は傷つかない」という文章をお書きになっています。この文章は、ネット上で短歌を発表する人たちのイタイところを、けっこうついているような気がします。少し引用してみましょう。
「いま、結社やグループに属さない純粋な「ネット歌人」たちが増えている、という。さもありなん、と思う。自分のホームページに、自作の歌を載せる。膨大な「声なき黙殺」のなかで、ごくわずか、好意を持ったものだけが掲示板に言葉をのこす。歌人はその耳ざわりのいい言葉だけを読んで喜ぶ。基本的に自分の歌のダメな部分には気づかない。掲示板は、基本的に、傷つかずに済むシステムだと言っていい(中略)たしかに、いわゆる「ネット短歌」は、短歌を不特定多数の人々の前に開く、という機能を持ってはいる。(中略)が、天才ではない、平凡な才能しか持ち合わせていない若者が、インターネットの世界で成長することは、恐らく、ない。歌人が、他人の批判に触れ、新たな表現領域を獲得し自分の歌を自立させてゆくのは、現在のインターネットシステムの状況のなかでは、きわめて困難だと思う」
ぼくもまったく素人のとき、「あ、短歌やってみようかな。」と思ってブログに短歌を書き始めて、すこししてこの文章を読んだのですが、はじめてこれを目にしたとき、かなりショックを受けました。
たとえばブログで短歌をぽんぽん出し始めると、確かに「いいですね。」とか、「西巻さんの作品は大好きです」という感想が(ごくたまーに)かえってきたりはするんですが、「お前ダメ」とか、「この歌おもしろくない」という感想が来ることはほとんどありません。そうすると、どんどん調子にのってきてしまって、「あ、俺こんなもんでいいんだ。」と思ってしまう可能性がある。それって、単なる甘えかもしれない。。。ということですね。
当然ここで言われている「ネット短歌」というのは、枡野浩一さんの「かんたん短歌ブログ」や、笹公人さんの「笹短歌ドットコム」というような、有名な歌人さんが「選」をしてくれる場というのがなかったころのインターネット短歌のことを言っているわけです。どうも「ネット歌人」=「わがままな歌人」というのが、当時の結社側の〈少なくとも未来に長年所属していた歌人の)典型的な反応だった、という感じになるでしょうか。
わがままと言えば、大辻さんは「ネット短歌の仕掛け人」のひとり、穂村弘さんもぼこぼこにしてます。
この「わがまま」というのが、ネット短歌の受け止められ方の大事なキーワードになっているようです。ついでに引用しちゃいましょう。穂村さんの有名な短歌入門書『短歌という爆弾』を読んだことがあるという方なら、何について書いているかわかる、とおもいます。

「穂村弘の『短歌という爆弾』が出版された。(中略)若者に焦点を絞ったシャープな入門書だ。自分の叫びを世界に届かせたい。と身もだえている若者にとって、この書は限りない魅力を湛えているのだろう。と思う。が、私が不快に思ったのは、過激な自己主張を推奨するこの本の、その底に流れている人恋しさのようなものだった。(中略)多分、読者はこのような親しげな会話を読んで、他者とのコミュニケーションの潤滑剤として短歌をとらえ、それに魅力を感じるに違いない。
何か、むしょうに腹立たしい。
一方で、世界に爆弾を仕掛けようなどと大言壮語しながら、その背後で、自分の主張を受け入れてくれそうな者だけとの傷つかないコミュニティを作ろうとする若者たち。自分の主張を世界に響かせたい。が、それを否定する人とは話したくない(後略)」

き、きついなあ。大辻さんは、評論の世界では遠慮なく発言する歌人さんとして有名です。これは、穂村さんだけではなく、「最近の若者たち」もふくめて、ごっそりと批判している感じです。確かに穂村さん自身、ご自分で著書のなかで「ほむほむ」と書いたり、親しい間柄と素敵な関係を築いたりという習性もあります。このあたりを読んでいくと、当時の大辻さんの頭のなかにあった、「ネット短歌=わがまま=ほむほむ」という図式が、なんとなく浮かびあがってくるような気がします。でもまだまだ、「ネット短歌」ってなんなの?というのがよくわかりません。
 
 2004年の12月に発行された『短歌ヴァーサス』7号には、「ネット短歌はだめなのか?」という特集が組まれています。このなかで「リアルな歌のありか」という対談が、荻原浩幸さんと吉川宏志さんによって行われています。そこで、荻原裕幸さんが、対談のなかで「そもそもネット短歌とは?」ということに少しだけ触れています。同じ2004年の10月に発表された「現代短歌研究評論賞」の受賞作が、森井マスミさんの「インターネットからの叫び―「文学の延長線上に」というものでした。それに対する若干覚めた反応としても読めるようなニュアンスがあります。
 森井さんの論文は、若い有力歌人たちからは非常に受けが悪くて、僕自身もちょっとどうかな?と思うところもたくさんあるのですが、そこで森井さんはとりあえず飯田有子さんの短歌を「ネット短歌」として呼んでいます。
 飯田有子さんの有名な短歌を引いてみましょう。

・たすけて枝毛ねえさんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中に撫でまわす顔

これ、ちょっと何を言っているかわかりませんよね。5・7・5・7・7でもなくて、とにかく「たすけて~、たすけて~、たすけて~」と言っている感じ。この歌は、歌人たちの間でも評判がまちまちで、絶賛する人もいれば、「二度と読みたくない」というくらい全否定する人もいます。そのくらいセンセーショナルな作品だったといえるでしょう。
 この対談でも、飯田有子さんの作品に対して、吉川さんと荻原さんの評価は真っ二つにわかれました。吉川さんは「とても奇妙な歌であることは認めるけれども、言葉があまり切実につたわってこない。読者が今までの短歌の文脈で読んだ場合、実感的に読めない」という立場から論を展開されましたし、荻原さんは「従来の短歌史の文脈で読もうと思えば読める歌も飯田さんの歌にはあるけど、飯田さんの歌は、従来の短歌との軋轢、短歌の文脈から出よう出ようという切実さを感じる」というふうに評価しました。
 このことの是非についてはあまり触れませんが、飯田さんの歌は、「従来の短歌とは全然違う、異質なもの=ネット短歌」として、歌壇のあちこちから火の手があがった、象徴的な存在になってしまいました。吉川さんはとても誠実で良心的な短歌の読み手で、「ネット短歌」なんて蔑称は使いませんが、さすがに「短歌の枠から抜け出す」のがそんなにいいことなのか。と言う意味で、苦言を呈していらっしゃるわけです。
 いわゆる「歌壇」と呼ばれる場所、しかし吉川さんほど若者の歌に関心がなく、しっかり読む時間もとれない年齢が上の人たちが、「ネット短歌」というとき、どうもこの飯田さんの歌あたりが仮想敵にされるらしい、ということがわかります。
(さすがに最近はみんな恥ずかしくなってきたのか、「ネット短歌」「ネット短歌」なんてことを鬼の首でもとったかに言う人は少なくなってきましたが)
 しかし、この対談では、さきほどの「じゃあ、そもそもネット短歌とは?」という問いにたいする答えは、まったくといっていいほど結論が出てきていません。司会の江戸雪さんが、「ネット短歌なんて誰が言い始めたんでしょうか?」と、おっしゃられたことを受けて、荻原さんは96年、97年くらいにご自身がインターネットでリアルタイムで活動してきた経験に触れて、こんなふうにおっしゃっています。

「短歌史を知らずに短歌を語るのが恥ずかしいように、インターネットの状況を知らずにインターネットのことを語るのは恥ずかしいことだと思います。(中略)そもそも、インターネットという〈場〉があらわれたとき、そこに積極的に向かった歌人に、偏った作風の傾向というのはなかったんです。(中略)言ってみればオフラインの世界で、印刷メディアや集会を通じて歌人が展開していた活動をオンラインの機能を生かして実践していただけだったんですね。(中略)だから、結社あるいは歌壇対ネットなんていう対立構造は、実質的にあり得ないわけなんです。にもかかわらず従来の短歌に対する対立概念としてネット短歌と呼ばれているものがあるとしたら、それはもう、インターネットの実態とは関係のない別の認識によるものとしか考えられないですね」

 荻原さんのように、95年当時からインターネットを活用して活動をしていた歌人さんからみれば、「ネット短歌」とは何なのか、実態がつかめないというのが実情でしょう。つまり、今現在、ホームページやブログで膨大に発表されている短歌というのは、結社・歌壇の世界では、「ない」ことになっている。伝統的に短歌の世界というのは「紙媒体」でないと評価されない傾向がありますので、ホームページやブログを作っていくら文章や短歌を発表したとしても、ごく一部の歌人をのぞいて、それが「評価される」、というより「読まれる」ということすらないと言っても差し支えないでしょう。
 私自身は、2005年からインターネット上で短歌をつくりはじめて、結社に入りましたが、その経験からすると、もしかすると「典型的なインターネット上の短歌」というものは、やっぱりすでに出来上がっていたのではないか、という実感があります。現在のインターネット短歌というのは、荻原さんがおっしゃるように「偏った作風が存在しない」ということはまずありえません。基本的に、ほぼ全員が口語短歌で、なぜか女性的な作風の作品が圧倒的に多い。そして、彼らの多くが、「結社・歌壇」に対して、なんらかの形でのバリアが存在している。ちょっとこのことについて、掘り下げて考えていってみましょう。

 「歌クテル」の三号に、私に文章を依頼してくれたA・Iさんが、こんなエッセイを書いています。

「結社に回収される。という感覚がある。

 インターネットの世界はまだまだ未整理で、玉石混交の印象が強い。「短歌」とは長い歴史を持つ詩形であるが、いわゆる「ネット短歌」は短歌史ではなくインターネットの歴史(掲示板、ブログ、SNS)のほうに親和性が強いため、インターネットの歴史同様、未成熟だ。独自の体系だった組織はほとんど作られていないのが実状である。

 ネットで詩、あるいは自分語り的な文章を公開するような層は、往々にして自己顕示欲が強く、それでいて繊細で寂しがりやで、人付き合いもあまり得意ではないのではないのかな。
 短歌は「人」の文学だから、とりわけその傾向が顕著だ。匿名の「人」の集団は、組織にはならない。横の繋がりも縦の繋がりも薄いから、光のように消えていってしまうコトバたち。
 (中略)
 結社とは、短歌の伝統的な組織である。結社はいわば宝石の研磨師の組合であり、常に原石を探しているらしい。
「結社に回収される」という感覚がある。回収されることは、上がりであるらしい。
(ほんとうに上がりなのだろうか?)」「歌クテル三号」―rayon de Soleil―

 非常に実感のこもった詩的な文章で、インターネットに歌を出すことの根拠みたいなものが、わりあいはっきり出ている素直な文章です。もちろん、A・Iさん個人の意見であって、インターネットに歌を出す人たち全員の感受性を代弁しているわけではないでしょうが、それでもある一定の割合の人たちの気持ちを代弁している気はします。
 この文章を、結社側から、あるいは歌壇側から批判することは、割合簡単なように思えます。
 先ほど大辻さんの「ネット短歌批判」、あるいは荻原さんの「インターネット短歌の歴史」みたいなことを踏まえて考えれば、非常にA・Iさんには申し訳ないのですが、仮に、あくまで仮にですが、こういうふうに言うことができるでしょう。

・短歌という詩形が長い歴史を保っていることを理解しているのだったら、なぜ「ネット短歌」を自称する前に、先に「加藤・荻原・穂村」のエスツープロジェクトの流れなんかは押さえておかなかったんだ。ようするに、この文章の語り手は単に短歌を自己表現の道具として使っているだけで、別に短歌の歴史につながろうという意識は全然ないんじゃないか。はっきり言えば、こんな「自己顕示欲のかたまり」みたいな表現は、「短歌史を知らずに短歌について語っている」だけで、新しい可能性を生み出す根拠には全然なりえない。穂村弘の「わがまま」と同じじゃないか。

 これは、今の歌壇の重鎮と言える70歳、80歳の人たちだけではなく、もうちょっと若い40代、50代の歌人ですら、「無意識的」にも持つであろう、典型的な反応を想定してみました。しかし、A・Iさんのような語り手に、このような反応をすることはほとんど無意味というか、まったくA・Iさんの感受性を理解していない不見識な批判になってしまうおそれがあると思います。あくまで私は同世代の批評者として、冷静にA・Iさんの文章を分析する必要があります。
 まずA・Iさんは、「ネット短歌」という呼称をご自身で用いていますし、興味深いのは結社に回収されることを「上がり」としてとらえておられることですね。「結社とネット」という対立軸は、むしろネット側のほうにあるのではないか、という気がさえしてきます。
 おそらくA・Iさんの感覚では、「そもそもネット短歌が96年に始まっていて…」とか、「坂井修一さんや加藤治郎さんという人がいて…」ということは、まったく関係がないでしょう。そもそも、A・Iさんがターゲットにしているのは、そんなことも全く知らない
「一般」の人たち、だからです。もしかすると、96年くらいからインターネットで短歌を始めた人たちのなかにも、「一般の人たち」に向けて短歌を開くんだ、という意識は実際にあったのかもしれません。しかし、どういうわけか、ある時期から、新しく短歌を始めた人が「短歌」に向かうとき、そういった一世代前の試みを継承することがなく、全く別個のものとしてしてネット上で活動しはじめてしまったということは、非常に興味深い事
実ではあります。

 歌クテルの巻末には、わざわざ会員メンバーに、「結社に興味がありますか?」というアンケートをとっています。このなかで、いろいろな興味深い答えを、この新しい「ネット短歌」経由の人たちはしている気がします。「ありません」、「あります」。というそっけない答えのぞいて、少しまとめてみましょう。

・興味はあります。理由は自己満足で終わらせたくないから(まる)

・短歌を続ける上で、避けては通れないもの(櫛田碧)

・まだわたしには早い気がします(日野やや子)

・結社名…新アララギ。理由、基礎を身につけたいから(黒須沙里菜)

・興味有 いろんな人に会えそうなので(里都 潤弥)

・かりん所属 理由:見本誌をいただくためにお電話したときの馬場あき子先生の声に惹かれました。(中山洋祐)

・「未来」、新聞で岡井先生の選で掲載されたから(柳原栄三)

・所属しています。見ることと見られることに慣れたかったため入会(成宮玉環)

・興味はあります。でも歌クテルでやりたいことがあるのでまだ結社に入る気はないです(A・I)

・今は興味ありません★多分、食わず嫌いなんだけど今はユラユラ自分の中の歌を続けていたいので(夜考蟲ん)
―『歌クテル』三号 rayon de Rune/rayon de Soleil両号より ―
 ※成宮玉環さん、A・Iさん、夜考蟲んさんのアンケートはSoleil編よりの抜粋。他はRune編よりの抜粋。

 たとえば「まる」さんの回答は、ほんとうに「まる」な感じで、私たち結社の人間が見ても、受け入れやすいもののような気がします。柳原さん、中山さんの回答も、今までの結社入会のパターンとそれほど大きな異動はなくて、よくわかるものになっています。A・Iさんも、同人誌を大事にしたいという理由では、よくわかるもので、ぜひがんばってくださいと応援したくなります。
 櫛田さん、日野さんのなかには、少しネガティブな要素が含まれています。「避けては通れないもの」というのは、なんか結社がすごく肌に合わないけど、必要悪みたいに感じているような回答ですよね。同様に、日野さんの場合も、なんだか結社に対して気後れしているというか、そういうニュアンスが含まれています。
 黒須さんの回答は、入っている結社も、その動機も含めて非常に興味深いものです。
私の場合は、「この人に歌を見てもらいたい。この人の短歌が好きだ」という意識があったので、今の結社に入りました。何か自分と精神的なつながり、自分の歌のある種の感受性が、今の結社とあっているんじゃないか、という意識があったわけですが。黒須さんは、そうではなくて、結社はあくまで「基礎」だとおっしゃっている。これは、自分の歌いたい感受性みたいなものが、「発展」としてあるとすれば、結社にはそれがなくて、あくまで歌いたいものは別にあるんだ。と言っているような感じがします。
 そのほか、「見ることと見られることに慣れたい」という成宮さんの回答は、短歌のことを言っているのはわかるのですが、なんとなく「自分」の比喩として短歌という表現を使っているあたりが、感受性が出ています(※「読むことと読まれること」とはあえてしていない)し、「夜考蟲ん」さんの「ユラユラ自分の中の歌を続けていたい」という理由も、多くの結社に入らない人たちが発する感想で、よくわかるものではありますが、自分の歌、とせずに、「自分の中の歌」というあたりに、自分を大事にしている様子が伝わってくるようです。
 歌クテルのなかから、いくつか作品を引いてみましょう。
 ある種の感受性の質が見えてくるかもしれません。

・オセロしながらちょっとうとっとしてしまいミルクをこぼしたい食卓で(里都潤弥)

・六月の午後にあなたに会うための傘をえらびに行こうと思う(梳田碧) 

・夕焼けが夜と交替完了です 君を迎えに電車に乗ろう(紫)

・くらやみにア イ ア ム ヒ アと云ってみる それを聞いてるわたくしが居る(日野やや子)

・旅人よ種を蒔いたらまほろばの都路に銀の水を浴びよう(まる)

・菜の花の束を抱きしめたい夜はぎゅっと両腕だいて寝たふり(吹雪)

・人魚になるための魔法「かさぶたを毎日そっと剥がしてごらん』(成宮玉環)

・処女率の異様に高い集会で一人くゆらすマルボロメンソール(A・I)

一首目から見てみましょう。一首目は、日常のことをうたった作品に見えます。「オセロ」「食卓」という言葉からは、確かに日常の情景が見えてくるのですが、それでも若干「日常」と切れているような感覚を抱いてしまうのは私だけでしょうか。「オセロしながらちょっとうとっとしてしまいミルクをこぼしたい」というのは、ほんとうにそうしているわけではなく、あくまで「そうしたい」と言っているだけですし、「オセロ」しながら「ミルク」をこぼすという行為も、よく考えるとなんだか奇妙です。なんだか、どうしても「現実の行為」ではなく、頭のなかで発想したような気がするのですが、そこが魅力でもあります。
二首目は、おだやかでわかりやすい恋の歌ですが、「六月の午後」に「傘」を選びに行く、というあたりに、この作者が、「詩」として成立させたい感受性が出ている気がします。この傘が、「服」や「靴」ではなく、「傘」だったところが重要でしょう。恋に対してそれほど身体的・直接的ではなく、ややメルヘンチックな憧憬を内包させることに成功させています。
三首目も、やはり女性の恋の歌。「夕焼けが夜と交替完了」というフレーズはなかなか面白いです。このフレーズは、「夕焼け」と「夜」を実際に見ているわけではなく、擬人化させて作っているところに面白さがあります。
 四首目はなかなか生きづらそうな自己像が提出されています。こういった行きづらさと口語の女性文体がはっきりと融合する感受性も、インターネットの短歌に多く見られる感受性でしょう。
 五首目。「まほろばの都路」というフレーズは、たとえば平安時代の「まほろば」に影響を受けているわけではなく、平安的な世界観を現代的にアレンジした少女小説や、少女コミックの影響を強く受けているように感じます。「種を蒔いたら」、「銀の水を浴びる」という表現は、どことなくりぼん・マーガレットに象徴される感受性が反映された作品世界のような気がします。
 六首目は、イメージと身体感覚が融合したなかなかいい歌だと思いますが、「菜の花の束を抱きしめたい」という語彙のあっせんは、どことなく身体感覚がメルヘンのほうへ移行しているような甘さを感じるフレーズです。7首目も同じく、「人魚」になるための「魔法」
というような、メルヘンチックな主体へのあこがれが歌の素材になっています。
 八首目はとても面白い歌で、「処女率の異様に高い集会」というのは作中主体の感受性の象徴になっています。そこに対して、自分がけがれた存在として「マルボロメンソール」をくゆらす。少女性と、そこから距離をとる自己像を浮き彫りにしています。
このように「歌クテル」を通読してみると、だいたいどの作者にも同じような質の感受性が流れていて、それが作歌動機へとつながっているような印象があります。それは、広い意味でいう「少女性」と言い換えてもいいでしょう。恋愛の歌をはじめとして、どの作者も基本的に「少女の作中主体像」をなぞりながら歌を作っていて、「少女の自己語り」と、口語の文体が密接に結びついているという点で共通項が見いだせるでしょう。「歌クテル」のみなさんは、インターネットでしか短歌を作らないという人たちのなかでも、かなり質の高いほうの作品を書くみなさんだと思うのですが、インターネット上には、同様な感受性を持つ作品が以外と多く存在しているような気がします。
考えてみれば、これは非常に不思議なことです。
インターネットから短歌を始める人の多くは、既製の知っている短歌の数がそれほど多いわけではないでしょう。しかし、短歌というものにあまり触れずに、とりあえずインターネットで作品を書いてみよう。という人たちがまず第一歩を踏み出す時に、まず口語で、しかも女性文体で短歌を書き始めるケースが多いということになります。しかし、短歌というものの歴史を考えてみれば、このような口語の女性文体が確立されてきたのはつい20年ほど昔です。なぜ女性性(少女性)と、口語文体が、彼女たちのなかで結びつくのでしょうか。多くのインターネット作者たちに、文語の素養がないからだ、と断じることはやさしいでしょう。しかし、問題をこのような教養的な側面に限定して語ることは、この時代が無意識に持つ感受性のある側面を捨ててしまうことになるでしょう。たとえば、書こうと思えばしっかりした文語定型の短歌が書けるのにも関わらず、あえて口語女性文体で書き続ける村上きわみのような歌人もいます。多くのインターネット歌人たちも、自己表現の手段として、必然的に口語女性文体を選択しているに違いないのです。

私たちは、この問題の答えを歴史に求めることができます。こういった口語女性文体が登場しはじめたのは俵万智や林あまりといった「ライトヴァースの口語短歌」が始めての試みであるということができるでしょう。そこから後世に受け継がれようとしている感受性の「潮流」があり、それが現在のインターネット短歌に受け継がれていると考えることはそれほど難しいことではないかもしれません。

・「寒いね」と話かければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
・砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね(俵万智『サラダ記念日』)

 もはや古典となった感のある俵万智の口語短歌ですが、たとえばインターネット短歌の口語の短歌を読み慣れている自分の目から見ると、すこし違和感というか、「古いな」という感覚を抱いてしまう、というのが正直なところです。『サラダ記念日』が出たのが1987年。1980年代というのは、戦後日本が「消費社会化」した時代であるというのが定説になっています。たとえば渋谷パルコ・西武百貨店の登場、糸井重里の「ほしいものが、ほしいわ。」に代表されるキャッチコピーなど、「消費すること」が価値として私たちのなかに定着した時代だったということでしょう。

・大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋(俵万智)
・夕照はしづかに展くこの街のPARUKO三基を墓碑となすまで(仙波龍英)
・荷車に春のたまねぎ弾みつつ アメリカを見たいって感じの眼だね(加藤治郎)

これらの短歌に見られるように、俵万智に限らず、ライトヴァースと消費社会の結びつきを指摘するのはそれほど難しいことではありません。しかし、むしろ重要なのは消費社会化が私たちにもたらした感受性の「質」の変化とも言うべきものに目を向けていくことでしょう。これを追っていくことで、「今」の口語女性文体の感受性が見えてくるような気がします。
 批評家の大塚英志さんは、「かわいい」という言葉の使われ方が80年代に入って大きく変化したことに注目しています。たとえば80年代以前には、「かわいい」という言葉は、男性が女性に対して使うものでした。「あいつはかわいい」というとき、それは男性が女性に対して従順であるとか、一種の権力関係を内包する意味の言葉だった。ところが、80年代になって、「かわいい」の意味は微妙に変化していくということを指摘しています。
たとえばすごく強面で怖い先生だけど、「笑うとかわいい」とか。楳図かずおの人形がちょっと「キモカワ」だよね。とか。女性が男性に対して、あるいは他の「モノ」に対して価値を見出すときに、「かわいい」という言葉で表現するようになってきたというのです。
 大塚さんが、80年代の消費社会化を準備したもっとも重要なできごとであると指摘するのが、70年代の「サンリオ」の爆発的ブームであったり、「りぼん」「なかよし」「マーガレット」といった小女まんが誌で活躍した、萩尾望都や竹宮恵子といった「24年組」の女性漫画家であることは、非常に重要なことです。大塚さんの言葉を借りれば、80年代とは、「モノに付加するかわいさの開発が最重要化した」時代であり、「かわいさ」が、商品価値として認められた時代であったということになります。つまり「かわいさ」を価値として見出した日本の消費社会が、「少女幻想の実体化をマスのレベルで初めて可能にした時代」であるという指摘になります。
 短歌における「口語女性文体」のある種の感受性は、自らを「少女的な存在」としてアイデンティファイすることで、その文体的な深化を獲得してきた、という側面があります。口語女性文体は、ひろい伝播力をもって多くの歌人に継承されましたが、それは消費社会が、「少女の時代」であったことと全く無関係ではありません。さきほど、俵万智の短歌が「なんとなく古い」という印象を書きましたが、それは俵万智の短歌が古いのではなく、俵万智という作家が、過渡期の作家として、「少女の視線」と「現実」の間をさまよっていたからに他なりません。

・母性という言葉あくまで抽象のものとしてある二十歳の五月
・土曜日はズックをはいて会いに来るサラリーマンとは未知の生き物
・万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校
・シャンプーの香をほのぼのとたてながら微分積分子らは解きおり
・この子らを妊りし日の母のことふと思う試験監督しつつ
・長い長い手紙を母に書いている八月三十一日の夜
・東京へ発つ朝母は老けて見ゆ これから会わぬ年月の分
・恋愛のことはやめろと諭されて嫁入り道具の一つか歌も

 こうして改めて『サラダ記念日』を読んでみると、この歌集がきわめて「母性的」な歌集であることに気が付きます。俵さんご本人は学校の先生であったということですが、『サラダ記念日』の作中主体は自らを「かわいい女性」として規定しながら、それがやがて「母」になる存在であることを自然に受け入れているような印象があります。自分のことを「万智ちゃん」と自分で言ったり、「サラリーマンは未知の生き物」と表現する作中主体からは、どことなく少女的な「世間知らずでかわいい少女」の感受性がうかがえますが、「シャンプーの香をほのぼのと立てながら」と、先生の視点から生徒を見る歌では、どことなく「母」のやさしさを思わせるものがあります。実際にこの歌集の作中主体は、1首目や5首目に見られるように、自らのことをぼんやりと、「やがて母になる存在」としてアイデンティファイしているような印象があります。
基本的にこの歌集の作中主体と、「母」との関係は、6首目、7首目などを見る限りはきわめて良好ですが、ただ一点葛藤があるとすれば、「恋愛」の歌ばかり作っている主人公を苦々しく思っている親と、「結婚」という価値観に強く反発する主人公の葛藤でしょう。
 『サラダ記念日』の主旋律に流れているのは、自らの「内なる少女性」と「母性」の間で揺れ動きながら、現実(結婚)との葛藤を感じ、やがて自らのなかの母性を引き受けていった昭和30年代後半生まれの女性たちの自己像と言ってもいいかもしれません。この時代の多くの女性たちが、「りぼん」の陸奥A子や、『キャンディキャンディ」を心のふるさとにしながら、半分は独身で会社勤め、半分は結婚して主婦というような選択をしたという指摘が、大塚さんによってすでになされていますが、俵万智の短歌が普遍性を獲得したのも、このような女性の感受性にダイレクトにひびく短歌だったという側面も見逃せないでしょう。
 90年代に入ると、口語女性文体は大きな変容を見せることになります。俵短歌が先駆的に切り開いてきた「少女性」と「現実」という葛藤は、より複雑に、鮮明に私たちの前に姿をあらわすことになります。
 東直子さんは、俵さんと年代的には同い年になる歌人さんです。しかし、第一歌集の出版は1996年。短歌史的には、加藤治郎さんが「インターネット世代」として規定した潮流として登場しました。俵さんと東さんの感受性の違いを考えていくことで、私たちは「インターネット短歌」に見られる感受性を理解することができるように思います。
俵さんと東さんの決定的な違いは、「母性」の問題に帰着するといってもいいかもしれません。自分のなかの「母性」を引き受けながら、現実と向き合う俵的作中主体と、自分のなかに母性を見出さず、そこを客体的に見ることで作品空間を作ろうとする東短歌の違いは決定的です。やはり第一歌集、『春原さんのリコーダー』から、引いてみましょう。

・おねがいねって渡されているこの鍵をわたしは失くしてしまう気がする
・ははそはの母の話に混じる蝉 帽子のゴムを噛むのはおよし
・いいよ、ってこぼれた言葉走り出すこどもに何をゆるしたのだろ
・「ママの手ってわかっていたよしめってて」脱皮したての蜘蛛に朝露
・高熱のこどもとろんと起き上がりアイスクリームが食べたいと言う
・駅前のゆうぐれまつり ふくらはぎに小さいひとのぬくもりがある
・森の中に行ってしまった母さんはいえいえずっとここにいました

 東直子の作品世界から、おもに「母性」に関係がありそうな短歌を抜き出してみました。たとえば1首目は巻頭歌として有名になった歌ですが、「おねがいね」と鍵を渡すのは、日常的な家族の会話にありそうなモチーフです。もちろん、この一首では「母」と断定することはできないのですが、自分より目上の人物から言われた言葉だと想定してもいいかもしれません。そういった人から渡された鍵を「失くしてしまう気がする」というのは、なんとも不安定な心情です。ある種の権力関係を引き受けられない心情が、「鍵」に託されて歌われています。同じ感受性の立場の逆転ともいえるのが3首目で、作中主体は今度は、「こども」に対して「おとな」らしく「いいよ」というのですが、「何を許したのだろ」というように自問自答することで、やはり「親/子」「大人/子供」といった権力関係を、素直に受け止められない不安さを歌の核に内包しています。2首目は、自分が子供として母を見ているのか、それとも他人の母を見ているのかは断定できませんが、きわめて客観的に「母」をとらえている作中主体の姿があります。下句できわめて「母親らしい」フレーズが出ているのにも関わらず、ややノイズのように「母の話に混じる蝉」というフレーズを導入することで、この種の「母親らしさ」を作品世界の一部へと回収してしまうような処理の仕方をしています。
 東短歌には、確かに子どもは非常に多く登場します。しかし、「とろんと起き上がる」こどもには、「シャンプーの香をほのぼのと立て」るようなある種の生活感覚とは違った手触りを感じさせますし、「ぬくもり」という身体的なフレーズを用意した歌にも、「小さいひと」という、他者として子供をとらえるような視点が存在しています。最後の「母さん」の歌は、「森の中に行ってしまった」という上句に家族の名前を織り込んで作った連作で、ここでいう「森」がきわめて暗喩的な役割を果たす言葉として機能していることは理解できるでしょう。
「家族」が「森の中へ行ってしまった」という心情は、まさに東短歌の構図そのものかもしれません。東直子的な潮流は、自分のなかの「家族性」や「母性」というものをたくみに「森の中」へかくして、非常に詩的な作品空間を作りあげる感受性として、登場したのです。

 ・女子だけが集められた日パラシュート部隊のように膝を抱えて
                             飯田有子『林檎貫通式』
・曖昧なmake loveより
切実なfuckをしようシャツ脱ぎ捨てて          村上きわみ『FISH』
 
 ・せんせ、ってきみが呼ぶとねわたしには薄桃色の隙間ができた 伴風花『イチゴフェア』
  ・明日何をして遊ぶかを考えて眠った日々はーまだまだ続く 天野慶『短歌のキブン』
 
 ・ハンサムな
しょくぱんまんを
  好きになるように
  娘は育てるつもり 佐藤真由美『プライベート』
 
2000年以降に第一歌集を出版した歌人たちの歌から、おもに口語女性文体で歌を作っている歌人たちの歌を引いてみました。おどろくことにこれらの歌人たちの口語女性文体には、「少女」をうたった歌はきわめて多く登場しますが、「母」を歌った短歌はほとんどといっていいほど、存在していません。たとえば、俵万智とおなじく教師の視点(塾の先生)で子供をうたった伴風花の作品は、先生/生徒としてではなく、まるで恋人か何かのように自分と子供の関係性をとらえていることがわかりますし、村上きわみ、飯田有子の作品では、いわゆる「結婚―妊娠―出産」といった伝統的な女性像とはかけ離れた女性像が浮き彫りになります。、飯田作品では、「生理」が、村上作品では、「目的をもたない性交」がそれぞれ素材として選択され、そのことが、何か作者自身の自意識の問題に還元されているようです。また、天野慶の作品は、大衆性に基盤を置く作品ですが、そこにはマスイメージとしての「かわいいおんなのこ」像がふんだんに盛り込まれ、その内部で歌をつくることが宣言されているような印象があります。佐藤真由美の短歌も、やはり大衆性に基盤をおいて平易な言葉で歌を作る歌人ですが、恋のせつない魅力にあふれた歌の数々とは別に、母の歌としてはちょっと奇妙な感覚の歌があります。掲出歌では、大真面目に「娘をこう育てる」という感覚ではなくて、どことなく「かわいく」母性を処理してしまう軽妙さを表現しています。
90年代、2000年と時代がくだっていくにつれて、彼女たちの短歌は「母を引き受けない少女」の感受性のなかに、むしろ退行していったかのような印象すら受けてしまいます。
 おそらく「歌クテル」的ないわゆる「ネット短歌」の感受性も、その作品化の技術という点で個々のレベルにはばらつきがあるかもしれませんが、おおむねこのような「少女世界」の内部で作品を作るという点で、きわめて類縁的な感受性を持っていると指摘してもいいでしょう。「2003年組」の歌人のひとりである佐藤りえさんが、やはり「短歌ヴァーサス11号」の評論で、「ガーリー(おんなのこっぽい)」ということにこだわるこの感受性のあり方を見事に代弁していましたが、これは社会学的にみれば、消費社会のなかで徐々に「母性」が力を失い、「商品価値としての少女」に感受性の起源が全面的に移行してしまった歌人が登場した、と、とらえることができるかもしれません。
 さて、口語女性文体の感受性のレベルで、引き受けるべき「母性」がその力を失い、「少女性」が全面的に台頭してきたことは、個別の事象としてとらえるだけでいいのでしょうか。いや、この問題は、70年代生まれの歌人たちの一部と、短歌とのかかわりを考えるうえで、もっとも重要な問題の氷山の一角にすぎません。女性における「母性」の崩壊は、男性における「父性」の崩壊と同様に、ある種の近代原理から、私たちが遠く離れてしまったことを意味するからです。
 それは、一言でいえば、読者のフラット化、という問題です。フラット化をより具体的に言うと、自己の読者をどこに求めるか、という潜在的な欲求のなかで、彼らは消費者か、あるいは友人としてしか、読者を把握できないのではないか、という問題なのです。
 たとえば現在において、若者たちの間である程度の普遍性を獲得している穂村弘と、枡野浩一の立場の違いを考えてみれば、その問題点ははっきり出てくるでしょう。

 「無色透明な孤独、贅沢な退屈、強すぎる自意識、そんなものたちに取り囲まれて、私たちは身動きがとれなくなっている。友達といくら長電話をしてもさみしい。メールを書いても書いてもさびしい。新しい腕時計を買ってもブーツを買ってもさみしい。そして、いつまでもいつまでも(時には結婚して子供ができても)理想の恋人を夢見ている。
 日常の真空地帯にすっぽりとはまりこんで、毎日をやり過ごすのに手一杯で、本当に夢中になれる何かを見つけられずにいる。これだというものがみつかったら、なりふり構わずそいつをやってやってやりまくるんだが、などと思いながら。
だが、何かをみつけるの何かって、いったいなんだ。これだというものって、いったいどれだ。今すぐにそれをやり始めて、世界と自分とを決定的に変えられるような何かはどこに隠れているんだろう。」穂村弘『短歌という爆弾』、

 「穂村弘の短歌を今まさに好きでいる人たちは、すこやかさが嫌いなのかな。いや、現代に生きてる人はだれもが病んでるんでしょうけど。「大丈夫なのかなあ、飲んでる睡眠薬の強さを自慢するようなこと書いて」とか、「そんな透明っぽいペンネームでいつまで生きていくの?」とかって、大きなお世話みたいなことをつい言いたくなってしまう。私がある時期から穂村弘ファンの集う掲示板に顔を出さなくなったのは、あそこにいると余計なことを言って彼らを傷つけてしまいそうだし、結果として自分自身も傷ついて駄目になりそうだったからです。「穂村弘」自身は、人気ある歌人になることで精神的に救われていくのかもしれないけど、穂村弘ファンたちは、穂村弘ワールドを愛しつづけながら救われていくことって可能なのかな。」「早稲田短歌33号」

 枡野浩一さんの指摘は非常に的を得たもので、おそらく穂村さんの持っているある側面を正確に射ぬくことに成功しているといえるでしょう。『短歌という爆弾』で示されたメンタリティというのは、「詩的飛躍の強度」を、「愛の希求の絶対性」と言い換えることからもわかるように、「あくまでも個人的な信仰心の強さ」として、秀歌性をとらえるところが斬新な点でした。その根底にあるのは、枡野さんが既に指摘されておられるように「自分を変えたい」という一種の自意識の強さ=わがままさにあるわけです。
 逆に、枡野さんの立場というのは「渋谷の電光掲示板にあるような短歌を作りたい」という発言(※「短歌ヴァーサス)3号 対談「現代短歌のゆくえ))からもわかるように、「一般の人」をターゲットにシフトしています。その発想の根本は、これは逆に穂村さんが指摘しているように、「他者への愛」が前提になっています。「根はわがままな人間なので、わがままな人間であることをねじまげなければならない」という枡野さんの言葉は、一つの考え方として十分に魅力的なものです。実際の人生や文学の問題は別として、どちらの考え方が社会的、といえるか、と考えれば、圧倒的に枡野浩一の考え方になるでしょう。実際、現代の社会では、どれだけ「自分のわがままを押し殺して、他者に奉仕できるか」という姿勢が、金銭的な価値として交換される割合が圧倒的に高いわけですから。、枡野さんの立場は、現代の短歌を商品として見た場合、商品価値を高める努力を十分にしていると言っても差し支えないでしょう。
 問題なのは、たとえば商品価値とは別の評価基準のなかに、「文学的価値」というものが存在する場合、それを「自意識の強さ」と説明せざるをえない、穂村弘さんの考え方そのものにあります。たとえば、アカデミズムと文学的価値が緊密に結びついていた時代に比べると、現代では声高らかに「文学的価値」を主張することが、はるかに困難な時代になっていると言えるでしょう。
 穂村さんをはじめとして、現代の多くの歌人たちが困難に感じているのは、「文学的価値」というものが、すくなくとも「大衆性・商品価値」と切り離して存在できるとは思えない時代に、私たちが突入しているという事実です。
 枡野さんの主張が若者たちの間でひろく受け入れられたのは、一般の私たちが考える「価値」が、商品価値とほとんど同じようなものとしてしか感じられなかったからであり、穂村さんの主張がこれまでにない新鮮さを持っていたのも、それは、「文学的価値」云々を問うような、近代的な「進化論意識」むきだしの短歌観ではなくて、まさに「個人的な問題を解消するための手段」として短歌という詩形にアプローチしたからにほかなりません。
 私がこの文章の間じゅうずっと、「文体としての口語女性文体」と、「消費社会」的感受性とのかかわりをくどくど論じてきたのも、この一点が大きな問題だからに他ならないからです。80年代の俵万智、90年代の東直子、そして現代の若い女性歌人たちの歌が、
はたして「消費社会的感受性を、文学の立場から掬いとろうとした結果」なのか、「文学的価値自体が消費社会的感受性に全面的に埋没した結果」なのか、「それとも双方が混じり合って、今までの価値基準では全く説明のつかない状況が生まれている」ととらえるか、で、個々の歌人たちの評価が変わってくるという、非常にデリケートな状況になってきている
からです。
ただし、(いつの時代でもそうですが)穂村さんのおっしゃるように、「自分の自意識を解消する手段」としてのみ、短歌を作り続けるということが、「その作者にとって本当に幸福かどうか」を考えることはきわめて重要でしょう。当然、「文学的価値」を保有するためには、「今までの文学の歴史から考えて、ある水準に達しているか、あるいは、新しさが生まれているか」という垂直軸での比較がなされるでしょうし、「商品価値」を主張する場合でも、「商品として新しく、優良なのか」という目配りが当然問われるようになっていきます。「読者のフラット化」という現象は、そういった時間軸(たとえば過去と比べてどうか、あるいは未来の読者に伝わるかどうか。あるいは、自分と異なる感受性を持っている人たちに、自分の作品を理解してもらえるのか)での判断をまったく無視して、「まさに今目の前にいる読者」にのみ、問題を限定してしまう危険性をはらんでいます。それは、「友人」として、「消費者」として短歌をとらえることが、共通してもっている同質の危険性と考えてもいいでしょう。その作品が、「わかりやすい」こと「わかりにくいこと」はそれほど問題ではありませんが、「ある水準に達しているか」の判断がされることは、作者にとっても短歌を続ける動機になるのではないでしょうか。
「ネット短歌」が、蔑称的に使われたのだとすると、そのインターネットの機能自体が、このような「読者のフラット化」を比喩するのに都合のよい道具立てだったからに他なりません。
もしかすると、私たちの本音の部分では、「自分のやっていることが、他人から価値を与えられなくてもいい」と主張したくなるくらいにまで、ある種の「価値体系」が信じられなくなってしまっているのかもしれませんが、そこまで後退してしまった場合、その「自分のやっていることそのもの」の意味を、どこに見出すかということを自分で探さなければならなくなります。そしてその意味が、「ほかの何人かの人にとっても意味がある」と考えられれば、一つの動きになっていくのでしょうが、それが何なのかがはっきりと露出しないことには、その短歌は「自分のためだけの短歌」という枠のなかを出ることはまずありません。それは、ほんとうに短歌にとって幸福と言えるのかどうかは、私には判断がつきません。
 もはやこの文章で指摘できる限界をはるかに超えてしまっていますが、すくなくとも私自身は、何らかの価値体系にむけて、短歌なり文章なりを投げ込んでいかないことには、その言葉が「社会性」を帯びることはまずないだろうと考えています。わたしは、ここでとりあげた飯田有子や、天野慶、枡野浩一といった存在もまとめて「文学的価値のある短歌」としてとらえなおしたいと考えていますし、それは「ネット短歌」といわれる感受性を持った人たちの短歌も同様です。しかし、「ネット短歌」の作り手のほうが、もしかしてそのような意味づけを必要としていないのだとしたら。それは、こうした議論以前の問題ということになってしまうかもしれません。
 
 ずーっとずーっと少女ゆうれいであり続けること これはミッションある意味(日野やや子)

 私が今回歌クテルをひととおり拝読して、もっとも戦慄を受けた作品を最後にあげてみました。もしかすると、ネットに浮遊している短歌、あるいは今なお口語女性文体の焼き直しで歌を作り続ける歌人たちのほとんどが、「なんらかの価値づけ」を一切追及しないまま、永遠に「少女ゆうれい」として、浮遊しているだけなのかもしれません。。そうした「少女ゆうれい」たちが、「個人的な問題を解消するためだけ」にケータイ短歌やネット短歌に寄り集まっているだけだったとしたら。。。私はこのような光景を目に浮かべたくはありませんが、現代短歌の状況を考えるうえで、こうした「少女ゆうれい」たちが、今後何を考えて、どうなっていくのか、ということを引き続き見守っていくことは、非常に重要なことではないかと考えています。
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