2014年10月 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

2014年10月

一点突破する口語~田丸まひる『硝子のボレット』を読んで~

                              
・歌集全体の印象について

・性愛歌を読む

・小糠雨のようなセックスずっとずっとずっときれいなからだでいたい(16)
・こいびとの膝の裏から亜熱帯めいたにおいがこぼれたら夏(17)
・このひとはさびしいひとと決めつけてくちびるで聴く心臓の音(19)
・男のひとは体のどこにきしきしと女のひとを入れるのですか(94)
・ドロップス夕方色の一粒を何も言えない舌から舌へ(29)

 ・職場詠を読む

・けれどまた笑ってほしい今朝虹が出ていたことを告げる回診(23)
・病室の窓から青いプリウスを数えて今日を生き抜いたひと(24)
・父親のいない事実をふりかざす処女は本日ふたり診ました(35)
・やわらかな睫毛がゆれる思春期の恋のはじまりカルテに記す(41)
・擦過傷めいた記憶をしまいこみ白衣の袖は二度折り返す(98)
・死にたいって教えてくれてありがとう金魚を破るくらいに泣いて(101)

好きな歌10首

. ・ジュラルミンケースを下げてできるだけ遠い異星の空席を待つ (10)
・あたたかい言葉まみれの決別の手紙ちいさくちいさくたたむ(13)
・小糠雨のようなセックスずっとずっとずっときれいなからだでいたい(16)
・病室の窓から青いプリウスを数えて今日を生き抜いたひと(24)
・甘いもの好きの子どもが死にたがる世界に機関銃を野ばらを(43)
・寒雷の夜に切る爪 からだから遠ざかるものすべてを悼む(57)
・こおり水、水たまり、まりあ、アルジャーノン、言葉をぬぐい合うようなキス(67)
・ひかりまみれあなたに移住するひとはひかりまみれになるって呪い(91)
・遺書を読むように言葉のつらなりを行く さびしさに飽きたとしても(112)
・点描の雨わたしより丁寧にわたしの髪を梳くひとがいる(119)



こんにちは。西巻です。本日は硝子のポレットの対談ということで、加藤選歌欄の人間として田丸さんの歌集を担当させていただきます。早速本題に入りますが、2,010年代は新かなで口語体の歌がほんとにみんなデフォルトになってきてしまっておりまして、そこからどう差異を付けていくのかというのが難しい状態になって来てしまっているように思います。田丸さんの歌もおもいっきり口語で新かなの女性文体なわけですが、これだけ口語体が氾濫しているなかでどういうふうに自分の短歌を個性づけていくのかというのは田丸さんに限らず、多くの口語歌人にとって課題になっていると思います。田丸さんの場合はそれをどうクリアしたかということになると思いますが、これは歌だけではなく、まず歌集の構成に関わる問題です。この歌集そのもののコンセプトが非常に明確だったと思います。概論的に言うと、性愛歌を歌う。そして、精神科医としての日常を歌う。最初から読んでいくと、章立てが必ずこのどちらかに分類されるような構成になっていて、それが交互に登場してくるような印象があります。歌集の再後半部では、その2つが融合しているのかな、という感じがしますが、とにかく欲張らずに焦点を2つに絞った。この発表のレジュメも一点突破の口語というふうにさせていただきましたが、そこがまずとても大きいということを指摘させてください。

次に歌集全体の位置付けになるわけですが、これはとてもむずかしいところです。田丸さんのファンだというツイートをあちこちで見かけます。一方で、田丸さんの性愛歌は既存の短歌の刺激から新しいことを歌っていないという先輩歌人からの指摘もあるようです。これは田丸さんがどういう読者に歌を届けたいかというご自身の欲求と、田丸さんの歌が釣り合っているかということになると思うんですが、簡単にいうと専門歌人というのは短歌の歴史や記憶をよく知っているので、「どこかで見た口語の歌」に対するジャッジは非常に厳しい。一方で、最近のネットから歌に入った人というのは僕はそんなに詳しくないんですが、そんなミクロな短歌の歴史というか「どっかで見た」という短歌の記憶に対してはどうでもよい。田丸さんはどちらかというと短歌をあまり知らない人に対して言葉を届けるというスタンスをとっていて、その熱量というか、テンションの高さというのはずっと持っている歌人だなとは思います。そこら辺が多くの方から支持を受けている要因ではないだろうかと思います。

では具体的な話に移りたいと思います。まずやっぱり抑えておかないといけないのは、性愛の歌でしょう。女性に限らず性愛の歌って基本僕は嫌な感じがする読者なのですが、田丸さんの歌はそれほど嫌な感じがしません。セックスのことを歌っているのに、あんまりぐちゃぐちゃしていない感じがあって、ある種の清潔感を感じます。

小糠雨のようなセックスずっとずっとずっときれいなからだでいたい

一首ずつ細かく見ていきましょう。この歌は具体的にセっクスと出てくるのに、上の句では「小糠雨のような」という言葉でつないでいます。どういう行為なのかということを丹念に描写するのではなくて、なんとなく清潔感のある上の句を持ってきて、下の句も、もっと乱れたいとかではなく、ずっとずっとずっときれいなからだでいたい、という性欲とはちょっと真逆の事を言っています。セックスの歌なのに肉欲とか相手を求める気持ちがまるでゼロです。どちらかというと詩的に、綺麗に歌いたいという感じがよく出ていると思います。

こいびとの膝の裏から亜熱帯めいたにおいがこぼれたら夏

この歌なんかは、膝の裏ってふつうくさいだろ。と思うんですよね。リアルな感じが全然しない。亜熱帯めいたにおいがこぼれたら、というのはどちらかと言うと雰囲気でつけていて、それもかなりいいイメージをまとわらせている。こいびとという言葉も、具体的なこいびとではなくてこの歌集で頻繁に登場する詩語、詩的言語としてのこいびとのような気がします。

このひとはさびしいひとと決めつけてくちびるで聴く心臓の音

これもなんとなくリアリズムに添っていくと無理だろ。と思うんです。くちびるで心臓の音を聴くことはできません。でもこの歌を右耳で聴くとかに変えてしまうと、この歌から香ってくるというか、くちびるという表現から香ってくるポエジーが失われるような気がするんです。状況としては胸にキスをしているシーンを思い浮かべましたが、具体的な造形を結ばないというか、艶かしい感じはあんまりしません。徹底的にこの作者は生臭いところを拒否する歌の作りをしていて、それがある種のいびつさにもつながってくるし、清潔感にもつながっていくんじゃないのか。そんな印象をもちました。

男のひとは体のどこにきしきしと女のひとを入れるのですか

 なんとなく機械人形のような印象がある歌です。加藤治郎さんは解説でこの歌について、男の暴力性の本質のような印象を受けるということをおっしゃっていましたが、ぼくはこの「きしきしと」は、なんとなく男性の力の象徴というよりも、、男性の心の象徴のように読みました。男のひとが女の人に入れるのではなくて、微妙なところですが、男のひとが自分のどこに女の人を入れるのかということを問うていて、それがきしきしという音を立てている。なんとなく歪んだ心の象徴のような気がします。この少し現実とは離れた感じ、リアリズムとは違うポエジー、清潔感がこの歌集の性愛の歌の特徴のように思います。

性愛の歌は結構あるし、みんな引っかかるところだと思うので、それについてはこれくらいにして、この場では職場詠について読んでみたいと思います。

・けれどまた笑ってほしい今朝虹が出ていたことを告げる回診

日常詠とか職場詠ということになると、どうしても僕はリアリズムとのかみ合わせということが気になるところです。この歌の場合はおそらく患者に虹が出ていたことを告げるんでしょうね。ひとりひとりの入院患者に虹が出ていたということを何回も繰り返すという回診なのだと思いました。明るい歌で、前向きなメッセージを発信しようとしている歌だと思います。

・病室の窓から青いプリウスを数えて今日を生き抜いたひと

あと、うまく言っていると思ったのは2首目とちょっと飛ばして、5首目ですね。2首目はこれ入院患者のことを歌っている歌だと思うのですが、「青いプリウスを数えて」というのは現実の手触りがします。駐車場に沢山止まっている車のなかから青いプリウスを数えて今日を生き抜くというのは切ない体験だけど、あるリアリティがあります。

・擦過傷めいた記憶をしまいこみ白衣の袖は二度折り返す

五首目の歌も僕の観点から見るとうまく言っているように思えるのですが、自分の擦過傷めいた記憶をしまい込み、という上の句の斡旋に対して、下の句が衣服の袖を二度折り返すってけっこう地味だけど丁寧に物事を読んでいる気がして、これは上手に下の句はリアリズムに則っているような印象を受けました。

・やわらかな睫毛がゆれる思春期の恋のはじまりカルテに記す

ちょっと批判もしておかないといけないので、いろいろあるんですけど、この歌をあげておきます。現実のことを歌うにしては、言葉の運びがすこし甘ったるい印象があります。やわらかな睫毛がゆれる って、連体形でもとれるしここで切れてるようにもとれるでしょう。この歌はこの辺の整理がうまくいっていない歌だと思いました。思春期の恋のはじまりって、これはどちらかというと詩的言語というか、きらきらっとした可愛らしい言葉じゃないですか。それが現実の深いところをえぐっている感じがあまりしない。どちらかというと、き可愛らしい前向きな歌だけど、そんなにえぐっている感じがしないなあと思いました。。

・父親のいない事実をふりかざす処女は本日ふたり診ました

3首目はちょっと僕からすると嫌だなあと思った歌です。 
やや微妙に上から目線であるような気がします。
引っかかったのは、ふりかざすという言葉が持つニュアンスでしょうか。父親のいない事実をふりかざす、って患者がいて、それについてやや批判的な目線でお前みたいなのは二回もいました、というちょっとなんかニュアンスをまとっている感じ。意外と田丸さんってこういう問題について冷淡な目線を持っているのかなと思いました。

そうですね。こういう身辺詠とか職場詠ということになるとどうしても田丸さんが本来持っている詩的言語としての言葉の運びということと、やっぱり日常詠としてはリアリズムがもたらすルールみたいなもののせめぎあいがあると思うんですよね。それが噛み合っているのか、未完成だと見るかというのは読者によって判断が別れるところかなという気が致します。僕は個人的にはリアリズムの側にたつ読み手かもしれませんね。やっぱり短歌って31音なわけで、そのなかに詩的できれいな言葉を入れるだけではだめで、上の句と下の句が吊り合っていてほしい。そういう細かい技術は、今後の課題として残っているように思いました。
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