杉森多佳子第一歌集『忍冬-ハネーサックル-』 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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杉森多佳子第一歌集『忍冬-ハネーサックル-』











ある日、装丁のとても美しい本が届いた。

杉森多佳子さんの第一歌集『忍冬』

歌集を読む前に、しばしその本の装丁に見とれていた。

カバーをはがしてみたりして、「おおおっ、すげー。こんな装丁になってるんだー。ほらほら、おばあちゃんおばあちゃん、ちょっと見て見て」

と、昼寝しているおばあちゃんに突然歌集を見せたりした。

ページを開いて、通読して、とても安らかな気分になった。そして、いつしか三回、四回と繰り返して読んだ。
             
春日井建、加藤治郎。

歌集全体に、二人の師へのオマージュが並んでいる。

そして、数ページごとに、水準をはるかに越えた詩的純度の高い歌があらわれる。

杉森さんはこの歌集を出すまでに15年間も、歌を蓄えてきたという。

そういえば、この歌集の表紙には、美しいガラス玉があしらわれているのだけれども、15年間を一つの歌集にまとめる作業は、このガラス玉を作るようなものだったかもしれない。

まさに、「凝集」という感じがするのである。

              ★

・長身を静かに折りてチェリストは白雨のごとき喝采を受く

この歌が、この歌集のすべてを一度にあらわしていると思った。

あるコンサート会場。演奏が終わって、拍手がさーっと拡がっていく。
その様子を、「白雨のごとき」と捉えた。

短歌というのは小説と違って、様々な感情を一瞬のなかにぐぐぐっと詰め込むものなのだけれど、この「白雨のごとき」には、いろいろなものが詰め込まれている。


・秋冷を運び来る雨見上げれば刃こぼれのごと身にかかりたり

・洋梨が暗号のように香りだすきみが辛いと語らなくても

いずれも冴えた比喩だ。「おおおっ、おおおっ。すごい」といいながら読んだ。いずれも日常から発想している歌なのに、日常を完全に突き抜けた場所に行ってしまっている。いずれも、三十一音のなかに凝集しようとした結果、こういう比喩が出てくるのだろう。

・わたくしの影を影絵の中に置く傷つくことをおそれていないか

・定型はいまだあやつれぬ風なればこの疾風に身を任すのみ

・生卵の黄身が破れて流れ出すさらってほしい光のなかへ

・地に降れば影をもつゆえてのひらの温みに触れて雪片は消ゆ

・未明より降りつぐ雪に軒下の父の自転車は冷えているなり


さて。あまりたくさん紹介すると全首鑑賞になってしまいそうなくらい、いい歌が並んでいるので、このくらいで止めておこう。

この歌集は、いま、自分の家のよく見えるところに飾ってあって、時々読みかえしている。

自分にとって、歌を作るとはいったいどういうことなのか、を考えさせてくれる歌集になった。

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