岡井隆『初期の蝶/近藤芳美をしのぶ会前後』 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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岡井隆『初期の蝶/近藤芳美をしのぶ会前後』

2008年「未来」新年会 シンポジウム「2007年、歌集歌書について」
2008年1月20日(日) 日本出版クラブ会館:会場配布レポート












生活の時代を歌う―口語調と散文化の諸問題ー
~岡井隆『初期の蝶/「近藤芳美をしのぶ会」前後』



レポート      西巻 真

・いまなお最前線に立つ歌人 

「言文一致体(いわゆる口語調)の韻律美は、まだ、発掘されていないし、口語調の歌が、その点いろいろ工夫してはみるが、どれも似かよったような、単調さを持つ結果になっている。」(2008年・未来1月号)

 「ライトヴァース派には、多かれ少なかれ、作者(作中主人公といったほうが正確だが)にまつわる(物語)のイメージが濃厚だった。作者は架空のであれ事実のであれ(物語)の中に在る。これは、近代短歌が既成概念とした、歌による〈人生記録〉の思想を、うらがえしにして利用したものである。」(鳴海宥『BALCAROLLE』解説)
 
「多少、問題なのは、女流が薄手になつてゐるあたりだらうか。わづかに東直子が居るが、数の上の圧倒的女流文学の時代に、おもしろいことに目立つ女流が少ないのだ」(2007・「短歌ヴァーサス」11号)

『初期の蝶/「近藤芳美をしのぶ会」前後』を読む

①スタイルがもたらす多様性

 ・こちらからもあちらからも分かってゐないのだかたみの存在の中なる河が
・群島が流れて寄するあざやけき夢一つみて起き上がるかな
 ・この向かうに秋の朝雲があるならむカーテンふかく垂れて書きをり 
・野球番組折々にみて言かわす山形が勝ち福知山勝つ
 ・結社といふ必要悪をためらひつつ否みつつその中に居たりき
・幸福つて平穏のことつて言ひ切れるだけの勇気のないまでのこと

※未完成のままで作品を投げ出そうという姿勢 「場」への信頼

②状況との格闘

「初期の蝶」より ~政治の時代を歌う~

・群衆を狩れよ おもふにあかねさす夏野の朝の「群れ」に過ぎざれば
・機動隊一個小隊ほどの愛この俺だけに通ずる暗喩

「「近藤芳美をしのぶ会」前後」~生活の時代を歌う~

・政とかかはりもたぬ文化が小さき花を咲かせたり見ゆ
・スリッパが横向きにある厠よりいでてまなかひを去らぬスリッパ
・たひやきの眼のへんに歯をあてながら午後のおしやべりは午後の話題で
・ベッドに腰かけて新品のパジャマ着てパズルを解くとふ就眠儀式
・いや、さうだ夜くるしくて散歩する。暗い道ゆく妻と手が触れて

補遺 わかものの口語短歌

・3回も食事したからバレてるよ 生春巻きと私が好きね
・まあいっか わたしが可愛いことなんて わたしひとりがわかっていれば(佐藤真由美)

・読みかけの新潮文庫を閉じるときあのはつなつの開脚前転
・きみはもう春のひかりに溶けながらどうしてそんなに笑ってばかり(ひぐらしひなつ)

・一人でも生きられるけどトーストにおそろしいほど塗るマーガリン
・こなごなになってしまったいいことも嫌な思いも綺麗な粒ね(佐藤りえ)

・金色の焼きおにぎりの三隅をいっせーのーで割る朝ごはん
・母親が教え続けるのは名前 呼べばあなたの方を向くから(盛田志保子)

・「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい
・それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした(笹井宏之)

                    ※

・ドラッグストア横切るときに一枚の葉っぱが落ちてきて胸につく 
・わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる(永井祐)

・牛乳が逆からあいていて笑う ふつうの女のコをふつうに好きだ
・映画嫌いの彼女がよく見てたロードムービー 旅行も嫌いだったくせにさ(宇都宮敦)

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会場発表内容


岡井隆『初期の蝶/「近藤芳美をしのぶ会」前後』について

実はぼくは岡井隆という人を、未来に入るまで存じ上げませんでした。はじめて大会にうかがったとき、なんか一番前に座ってにこにこしているおじいさんがいて、あれが岡井さんか。三国錬太郎に似てるなあ。という印象しかなくてですね。実際に「えらい人なんだよ」と言われて、その「えらさ」が全然わからないまま歌を作っていたのですが、昨年、『水無月のころ』を拝読して、やはりこれは「えらいひと」だ。という気がして、全歌集などを買い始めた。という経緯があります。

僕はやはり、「今」の岡井隆を読んで、その「今」の岡井隆に影響を受けて、そこからさかのぼって過去の岡井隆を考えている感じがする。今回の歌集を読んでも、岡井さんは全然守りに入ってないというか、「好きなことやります。」といってやっている感じがして、そういう部分で、ぼくは岡井さんのチャレンジ精神にはかなわない感じがします。

まず、岡井さんが「未来」に発表されている文章を見ていると、やはり現代短歌の問題に対して、今なお自覚的だなあ、という印象があります。僕は、ここ二十年の新しい口語短歌運動の影響で、口語で歌を作るほうが自然に感じられるような感受性のなかで生きているのですが、どうしてもいわゆる文語の「定型」感覚と、口語でおしゃべりをする感覚は、あわないところがあって、岡井さんもいろいろな方法で、57577のなかの韻律を口語で更新していっている。という気がする。

歴史的に見ても、プロレタリア短歌などが口語で歌を作ったとき、次第に「定型感覚」というか、57577のフォルムそのものも崩して、「プロレタリア短詩運動」になっちゃった、ということも経験しているわけで、口語体で、いかに定型感をくずさずにリアリティを出すか、というのは意外と今でも重要な問題な気がします。

そういう意味で、女流歌人たちの開発した「~ね」とか「かしら」というような「かわいい」口語の語尾というのがあるのですが、なんか今の歌人たちというのは、口語の文体をほとんど更新しないままなので、どの人が歌を作っても、口語短歌は同じように見えてしまうんじゃないか、という意味で、「女流が薄手」とおっしゃっているんじゃないかなあ、と考えています。

最新歌集について、触れてみましょう。

まずは、「水無月のころ」と同様に、今回もあえてどうつくるか、という条件を先に決めてから、制作にとりかかるという方法になっています。

僕らが、普通短歌を出すときは、たとえば20首つくったら、10首くらい落として、「完成形」みたいなものを雑誌に発表したり、歌集に入れたりしますが、岡井さんは、(実際はどうかわからないですけど)10首つくったら、10首そのまま載せているんじゃないか、というあたりがあって、その辺が面白いところです。最初から、完成形として歌があるのではなくて、非常に流動的な偶然性や、「場」の要素、というものを非常に信頼されているところが、こういうスタイルをとらせているのではないか、と思いました。

その日その日で思いつくものをどんどん出していくわけですから、歌もほんとうに多彩です。、一首目はぼくの好きな歌ですが、なにか平易な言葉をつかっているのに、それが哲学的な深いところを象徴しているようなタイプの歌。2首目、3首目は歌として、非常にいい歌だと思いました。群島という言葉のイメージの喚起力。カーテン深く垂れて、という言葉の斡旋のうまさに思わずうなりました。

そうかと思えば、野球の歌とかその日その日の生活のことがぽんと出たり、結社のことについて考えたり、とにかく思いついたものをどんどんやっている感じがする。こういう多彩さのなかで、岡井さんがいま、何をやろうとしているのかなあ、ということを想像したりしているのですが、やはり初期のころの、政治の時代をどう歌うかということから、「生活の時代」をどう歌うか、ということに関心がシフトしている気がするのです。

今は政治の問題で、何か世界が動くというよりも、年金問題であるとか、そういうことが政治になってしまって、政治課題が生活課題に変貌しているところがある。そこで、歌人たちも状況的には80年代からくらべると、だいぶ生活化せざるをえなくなっていて、あえてこういう問題に踏み込もうとしていると、その日その日で単価を作るという方法に変えざるをえなくなるという側面があるような気がする。で、そういう生活の問題を背負ったまま、なんとなく軽い口語脈で、日常の些細なことをすくいとる、という方向にシフトしているような気がする。

岡井さんの生活の歌、というのは非常におもしろくて、

・たひやきの眼のへんに歯をあてながら午後のおしやべりは午後の話題で

などは軽妙な歌ですが、こういう感覚の歌は、実は今、あまり歌壇のなかでは注目されていない若い男性歌人にも、多く見られる傾向なのではないかな、と思っています。たとえば宇都宮敦さんは、結社には所属していませんが、非常に定型感覚がある方で、

・牛乳が逆から開いていて笑う ふつうの女の子を普通に好きだ

というような歌を見ても、いわゆる57577の音数律から見ると、ちょっと575107くらいになっているのだけど、なんとなく今の口語の律から見ると、すごく自然に見えるんです。午後のおしゃべりは午後の話題で、なども、8音7音になっているんですが、なんとなく勢いとして定型におさまっているような、口語の軽いリズムを生かしている。

・ベッドに腰かけて新品のパジャマ着てパズルを解くとふ就眠儀式

も、定型のリズムから見るとすこしずれている印象があるのですが、それでもなんというか、リズミカルに「ああして、こうして」というふうに持っているので、ああ、韻律がある。という印象を受ける。永井さんもこういう傾向の歌をよくつくられます。なんとなく、定型のリズムを活かしながら散文化していくことで、今の日常をすくいとろうという点で、岡井隆とこういった若い歌人の目指していることというのは、もしかすると似ているのかもしれない。そんな印象すら受けました。

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