2冊の詩集と1冊の歌集についてのメモランダム(最果タヒ、キキダダマママキキ、飯田有子) | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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2冊の詩集と1冊の歌集についてのメモランダム(最果タヒ、キキダダマママキキ、飯田有子)

今年の中原中也賞の選考で強く印象に残ったのは、小説家の
高橋源一郎さんが、一番最後にこんなことを言っていたこと
でした。

「やあ、きみはこんなところにいたのかい。おはよう。おはよう」

選考の言葉として、なんとも粋な言葉ではないか。と。

受賞した詩集は最果タヒさんという方の『グッドモーニング』
受賞が決まった直後、版元が品切れになるほど売れたようですが、
最近やっと手に入りやすくなったようです。

その詩を一目見て、買おうと決めたのは
こんな詩編に、ぼくが惹かれたからです。

  ※



最果タヒ『グッドモーニング』








いつでも怒りにおおわれている、
根本的に理解がない
けれど
説明をする以前に脳と脳を
なぜ交換できないのか
なぜあなたたちは予測できないのか
口を動かすことがいつもわずらわしく
なによりも言葉にすれば向こうの思い通りになる

激痛が走り
会話が不可能になり
耳をふさぎ叫んだとき
やっと
わたしはあなたと正座で向き合い
どんな話でもしようと思う
指先をからめれば
もう通じているだろう
なあ そうだろう
そう、
そうなるとわかっている

   (「夏のくだもの」より抄出/最果タヒ『グッドモーニング』




なにかぎりぎりのところで言葉を出しているというか、
そんな感じがする詩人さんです。

「激痛が走り
会話が不可能になり
耳をふさぎ叫んだとき
やっと
わたしはあなたと正座で向き合い
どんな話でもしようと思う」

この詩句にぐぐっと惹きつけられました。
コミュニケーションが持つ痛みをすごく肉感的に言葉に
できている、感じがします。

同じようなタイプの詩人に、キキダダマママキキという方
がいらっしゃいます。この方、名前からしてなんだか失語
症の比喩のような感じです。キダマキでいいのに、なんで
こんなに名前で「どもる」の?

この「どもり」が、ただものではない感じがするのです。

まあ、それはそれとして、やっぱり自分の肉体を激しく突
き刺すような強い痛みを感じる詩だと思います。




キキダダマママキキ『死期盲』









たどり着いたのは墓穴
それならまだしも滑り台が
ああ巨大滑り台を眺めるわたしの目には銀河
が突き刺さっている
肉片が飛び散っているし
なんだか瘠せているわたしのからだ
いつのまにかたっぷりと
赤いカラスが飛んでいる
纏わりついている
わたしは
タオルの全滅を防ぐために
惨めな残滓を抱え続けてきたのではなかったか
かつて人は母乳の攻撃にやられていった

毛羽立った羽、に銀河を貼り付けてはばたくというのかきみよ!
きみの鏡の向こうは水浸し、滑る
わたしが水浸し
太陽
影だけのからだ
口を開く影
淋しく臭い光が糸を引く、熱帯雨林
は液晶
無数の水子が眩暈を起こしているみたい
暖かい手のなか
蟹が燃えているではないか!
よい香りの汁が足元に滑り落ちる
のを足がうまそうに飲んでいる
と足が切れて地面へ突進していった
心臓がスポイト、
蜘蛛の巣状の水の網
あのからだを見てごらんなさい
まるで腐った土
寝たら死ぬ
ここで目蓋を切り取って、
酢に浸して膝に与えてやる


「見知らぬ男にざくざくと鳩尾をナイフで刺され」/キキダダマママキキ『死期盲』




この詩の

「心臓がスポイト、
蜘蛛の巣状の水の網
あのからだを見てごらんなさい
まるで腐った土
寝たら死ぬ
ここで目蓋を切り取って、
酢に浸して膝に与えてやる」

という言い方、なんかすごいですね。

あんまり詩の批評ってどういうふうにしたらいいのかよくわからない
んですが、とにかく自分を痛めつけて、そこからわき上がってくる
いろいろなばらばらなイメージを、そのまま詩にしている、そんな
印象を持ちました。

短歌の世界でも、今やっぱりこういうタイプの歌い手さんが増えて
いるような気がします。しかし、現代詩のこの徹底ぶりには、ちょ
っとかなわないかな。と思う。

自分の身体とのぎりぎりのせめぎあい。

それは90年代に飯田有子さんという歌人さんが、こういう世界を短歌で表現しかけた、ような気がします。歌集『林檎貫通式』から。

林檎貫通式

←ご購入は歌葉のサイトへ







・たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔

・婦人用トイレ表示がきらいきらいわたしはケンカつよいつよい

・新発売のファンタのげっぷしつつみな人工呼吸にあこがれている

・なにもかも何かにとって代わられるこの星で起こることはそれだけ

・オーバーオールのほかなにも着ず春小麦地帯をふたり乗りで飛ばそう

・まりこさんまりこさんなら誰でもいいきゅうりパックの隙間より笑む

・折り重なって眠っているのかと思ったら祈っているのみんながみんな

                           『林檎貫通式』より



一首目の「たすけて~」はかなり話題になった歌です。が、短歌の
文脈からあまりにも切り離されすぎているので、賛否両論、悲喜こもごものまま、すでにやや古い歌集となってしまいました。

遅ればせながら、今の現代詩のぎりぎりの身体への痛めつけのような表現を前提にすることで、僕たちはこれからようやく短歌の批評もできるのではないか。現代の口語短歌と、現代詩はぎりぎりのところでつながっているのではないかと思えています。それは、共通するある感受性に支えられているのかもしれません。

〈過去にmixiに登場した日記を再稿しました)

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