

安川奈緒
『MELOPHOBIA』この詩人は信頼できる。
こういう感覚は、どこから起こるのだろう。
安川奈緒の詩集
『MELOPHOBIA』には、そんな信頼感が言葉全体から満ちていた。
この詩集のあとがきを引用してみよう。
「自分が必要とした言葉を他人も必要としていると根拠もなく信じること。それ以外に私は他人との関係をもう想像することもできないぐらい友達がいない。(中略)
中学、高校、大学と朝から晩までテレビばかり観ていた。それ以外何もなかった。明石家さんまの輝く歯を見つめながら、「空耳アワー」のタモリのサングラスの向こうにある目を想像しながら、音楽と詩は無関係だと思った。紙面から囁きかけてくるような詩は下劣だと思った。音楽的快楽から身を引き剥がした詩以外は信じられないと、いつでも甘くなろうとするナルシスティックなリズムを殺した詩以外は信じられないと思った。音韻論とかそういう難しいこととはまた別の次元で、詩の内なる敵は何よりもまず音楽なのではないかと思った。 だからMELOPHOBIA(音楽恐怖症)、有言実行できていたらとてもうれしい。この世は音楽を愛しすぎている。」
この文体。一読すると読みづらいが、この加速感が次第に伝わってくると、この人はものを本気で言っている。この詩人は信頼できる。というような感じに変わってくるように思う。確かに安川の詩にはナルシスティックなリズムとは全く違う、もっと暴力的な、たたみかけるような言葉のリズムが流れている。この文体の加速感が、ある種のカタルシスとなっておそってくるまで、そう時間はかからなかった。
「畜生が美へと傾いていくのを食い止めたい 空間を言葉で汚したい おまえとだけは一緒に死にたくない敵に包まれて死にたい 燃え上がる山に取り残された二人の男 塹壕のラジオ・ニュース 最後に彼らはどこかの部屋で破廉恥な鏡と向き合う 櫛をちょっと借りたい すぐ返してくれよ夏の夜だから」
(「玄関先の攻防」より)
こんな加速する文体の強度に支えられながら、やがて言葉は意味から剥がれ、より飛躍したイメージへと言葉を上滑りさせていく。この詩集は、かぎりなく早口で朗読すべき詩集だ。そんなことを考えながらいつのまにかこれを書いている僕も、加速という言葉の魔力にとらわれていっているような気がする。
MELOPHOBIA。
良いタイトルだ。
この若い女性詩人はものすごく孤独で、信じられないくらいにカッコよく、信じられないくらいに強力な「何かを語りたい」という衝動だけで詩を作っているように感じられた。
おそらく僕は連帯できないだろうけど、孤独だということを理解することができる。
僕は孤独な詩人が好きだし、切迫感のある詩が好きだ。一生懸命な詩が好きなのだ。
この詩人がもっと早口で、もっと強靱な言葉のイメージを見せてくれるのを、楽しみにしたいと思った。
最近の詩集のなかでは、かなり気になった一冊だった。
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