光森裕樹「空の壁紙」レポート | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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光森裕樹「空の壁紙」レポート

11月22日 さまよえる歌人の会(渋谷勤労会館)
第五十四回角川短歌賞受賞作
光森裕樹「空の壁紙」:発表原稿



ーD・E・Lー光森裕樹の名を呼ぶためのphonetic alphabet
レポート 西巻  真
    "Detail"
 
   "TYO-REK"
・試験予約の目的都市はそれぞれに違(たが)ひて遙かなりレイキャビク
   正しく伝達するための Phonetic Alphabet
・指示をだす ケネディ国際空港(JFK)を"Jack-Fox-King"と呼び替へ
   "Dog-Easy-Love"
・建物として名が遺るかなしみのインディラ・ガンディー国際空港(DEL)
   それはPCのレジストリに"Melissa?"といふ痕跡を残す
・行方不明の少女を捜すこゑに似てVirus.MSWord.Melissa

   "Engineering"

・人を待つ吾はめぐりの街燈に暗き展開図を描かれて
・六面のうち三面を吾にみせバスは過ぎたり粉雪のなか
・あかねさすGoogle Earthに一切の夜なき世界を巡りて飽かず
・空港と呼ばるるみなとに錨なき船の離陸をしばし眺めつ
・一晩を眠らずあれば震へだす指を鎮めつ「閉」のボタンに
・ビル背面をゆきてふたたび出て来ざるツェッペリン忌の飛行船かな
・友の名で予約したれば友の名を名告りてひとり座る長椅子

・空港に一日(ひとひ)を過ごす万物にキャスターがつく日を想ひつつ
・吊革のいづれを引かば警笛が鳴るかと試す最終電車に

    "Liryc"

・友人のひとりを一人の母親に変へて二月の雪降りやまず
・ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか
・自転車の灯(あか)りをとほく見てをればあかり弱まる場所はさかみち
・屋上さへあらばそれでも生きてゆける うそぶくことがちからに変はる
・あなたならきつとできるといふことを冬ながくしてできずにゐたり

・明日も春、そのことのみのたしかさに曲がるべき角ひとつまちがへ
・ムービングウォークの終りに溜まりたるはるのはなびら踏み越えてゆく



今日は光森さんの作品を批評することになって、どのような形で表現すれば作品の本質に近づけるかかなり迷いました。近年にないくらい迫力のある新人賞受賞作を見せられた感じがしていて、まさに新人賞にふさわしい「新しい人」があらわれたと思います。

あれこれと考えたのですが、この主知的で、遊び心があって、それでいて非常にリリカルな詩性を湛えた一連を表現するために、光森さん自身が使っていたphonetic alphabet(音標文字)を使ってその特性をまとめてみようと思いました。やや気取りすぎな感もありますが、そのくらいの遊び心はこの歌人の評には許されるかな、という気がしています。

ご存じの方も多いと思いますが、”phonetic alphabet”というのは無線などでお互いが交信するとき、その文字を間違えないようにするために音で表す単語のことです。この音標文字を素材として、連作の細部にちょこちょこっと仕組んでくるあたりに、細部へのこだわりを感じます。

奇しくも作者が授賞の言葉で、「パリのみどり」を大切にしていきたいという趣旨のことを述べていますね。それは、僕なりに解釈すると、言葉が持っている音声と文字の組み合わせがもたらす、非常に些細な違いのようなものとか、微差というようなものにこだわっていきたいということだと思うんです。この連作ではその作者の覚悟が、一番目の連作の「detail」に表れているような気がするんです。

(牧野芝草さんより、このphonetic alphabetは、第二次世界大戦中のイギリス軍で使われていたもので、現在の一般的なものではないという重要な指摘あり)

まず作中主体がどんな人物なのかということを解析していこうと思います。選考会では、この作中主体が空港の関係者、というような読解が多くなされていましたが、細かく呼んでいくと、この作者がプログラマか何かの仕事を主にメインにしていて、空港へはおそらくそのシステムを構築しに行っているような感じがします。

  "TYO-REK"
・試験予約の目的都市はそれぞれに違(たが)ひて遙かなりレイキャビク

この”試験予約”という言葉は、「試験を予約しに行く」のでなくて、この人の仕事上、空港のチケットをプログラム上で「試験的に予約」しているという意味だととらえました。

まず冒頭近くでこのように、TYO-REK(東京-レイキャビク)と準備をしておいて、その後しばらくしてからJFKとDELが続けてで出てくる。こういう詞書で、”空港の一連ですよ”ということをやや判じ物のように小さいところにちょこちょこっと仕組んでくる。

「このこだわりはあくまで小さいところなので、そんなに大事ではありませんよ」という表情をしながら、何気にこのphonetic alphabetにつよい執着を持っているような感じ。これを「detail」と表現していいのではないかと思います。

                           ※

次に作品の中身についてなのですが、どの歌にも非常に知的な認識の操作がなされている感じがします。上手いことは上手いんだけど、その「うまさ」を表現するのに、テクニシャンという用語は全くあてはまらない。むしろ、工学的といったらいいのか、アーキテクチャルな感じがしますね。

一首目

人を待つ吾はめぐりの街燈に暗き展開図を描かれて

などは、その感覚が非常に強く匂う。たしか初期の近藤芳美に、自分が技師として製図しているような歌がありましたが、この"展開図"にも同様の香気がします。ただ、この人の場合、ちょっと違うのは、職業でこうしているのではなくて、「私の感覚」そのものに「展開図」を描いたり、マッピングしたり、アーキテクトしたりする感じがあるのが重要だと思います。

あかねさすGoogle Earthに一切の夜なき世界を巡りて飽かず

この三首目も秀歌ですが、ここにはマッピングに対する深い偏愛のようなものを感じます。

この感覚を指して、「engineering]と名付けましたが、なんというか、世界を設計しにかかっているような感覚が漂っているのです。

六面のうち三面を吾にみせバスは過ぎたり粉雪のなか

どういうことかというと、次に引いたこの歌に顕著だと思うのですが、普通僕たちがバスを見るときに、
「六面」という言い方であらわしたりはしないはずです。普通は三面の部分しか見えないから、見えたままを書く。しかし、この人の場合、すでに頭の中に直方体というイメージが所与のものとしてあって、そこから逆算していって三面というようにあらわすわけです。あたかも自分のなかでの設計が先にあって、それから事物があるんだ、というような、認識の転倒をしているように思います。

空港と呼ばるるみなとに錨なき船の離陸をしばし眺めつ

同様のことは四首目にも言えて、この歌は「空港」という言葉から先に発想された歌です。言葉に「みなと」がふくまれているということを、この人はあらかじめ知識として知っているので、飛行機のことを「錨なき船」だという表現が出てくる。これも、言葉や図形を先に認知して、それから「後付け」で事物が表現されているような感覚の歌。

一晩を眠らずあれば震へだす指を鎮めつ「閉」のボタンに

五首目の歌もそうですね。エレベーターの「閉」という文字が先にあたえられていて、そのあとでその「閉」という言葉によって、感情がしずめられていく。と、同時にエレベーターがしまっていく。という情景と知が一致した歌だと思うのですが、こういうように認識を先行させて、そこから逆算して現実をあらわすような操作を徹底している秀歌が多いのも、特徴のように思います。

                      ※

最後に"lyric"です。なんだか、これだけ認知の歌、認識の鎧につつまれているようにみえながら、光森さんという人は意外に「いいひと」なんじゃないかと感じさせるような良質な抒情性というか、ぐだぐだな抒情も反面として持っているんじゃないか、という気がしました。

友人のひとりを一人の母親に変へて二月の雪降りやまず

この歌などは、かなりそういった抒情性が前面にあらわれているように感じます。特にこの「二月の雪ふりやまず」のあたりですね。

・「友人のひとりを一人の母親に変へて」というのは、認識の歌であるといえなくもない。(※オカザキなをさんより、lirycとまとめた歌に対してもうすこし具体的な説明を、とご指摘をいただく)

たしかに上句の感じからすると、友人というカテゴリーから、母親というカテゴリーへと「ひとり」が変化したというような、認識の歌であるようにもみます。しかし、注目しなければならないのは、「二月の雪降りやまず」という言葉の「二月の雪」がもたらす、あるドラマティックな抒情性だと思うのです。

私がレポートで"liryc"としてあげた三首とも、ある共通点を持っていまして、それは、「ひとり→一人」「深さ→ふかさ」、「灯り→あかり」というように、漢字書きとひらがな書きを意図的に変換させるような操作がなされていることです。

友人のひとりを一人の母親に変へて二月の雪降りやまず
ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか
自転車の灯(あか)りをとほく見てをればあかり弱まる場所はさかみち

この変換の「ひらがな」の部分が醸し出すあるゆるい抒情質のようなものに、僕は個人的にぐっときてしまいました。

さらにうしろの2首

屋上さへあらばそれでも生きてゆける うそぶくことがちからに変はる
あなたならきつとできるといふことを冬ながくしてできずにゐたり

などは、かなり率直に抒情性のほうへ傾いた歌だと思うのですが、こういう良質な抒情性がときおり顔をのぞかせるあたりも、この作者の大きな特徴だと感じました。



※発表原稿を用意していなかったため、途中からやや当時の発表の様子を再現して構成したところがあります。

※発表にあたっては、途中の牧野芝草さん、オカザキなをさん、黒瀬珂瀾さんのご意見やフォローにかなりすくわれました。どうもありがとうございました。


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