ほんとうに「風通し」はよかったのか??? part1 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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ほんとうに「風通し」はよかったのか??? part1

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「風通し」 vol.1





斉藤斎藤さんが発刊したそのつど誌「風通し」を読んだ。前半は、短歌連作30首の新鋭歌人6人の競詠。後半は、それを参加者が相互にインターネットの掲示板で批評するという批評会記録から成り立っている。

掲示板で1か月にわたって議論を続けたという参加者たちの熱意や、この号のために30首連作を
作ってきたという、参加者たち個々の努力を賞賛することは簡単だ。

しかし、そういうふうに彼らを褒め称えることはなんとまあ、無味乾燥に聞こえることか。
努力で結果が報われるのなら、短歌というのはとても幸福なジャンルだろう。

そのような無味乾燥な賞賛の嵐は、どことなくこの雑誌の問題点を隠蔽しているようにしか感じられない。

「よくがんばったねー。」

ぱちぱちぱち。

ほんとうに、これでよいのだろうか。

いや、ちっともよくないのである。こうやって「風通し」が賞賛とともに、まさに「スルー」されていく状況というのは、ちっともよくないのである。

彼らの相互批評という努力には、それなりに誠意を込めた批評を持って対応すべきだろう。

はっきり言おう。

「風通し」は、申し訳ないが、ちっとも「風通し」がいい雑誌だとは思えなかった。

なんというか、相互批評という「読みのたこつぼ」のなかに読み手がずるずると巻き込まれてしまっていくような、そんな危うさをもった雑誌だと思った。

風通しの巻末にはURLが記入されていて、風通しを購入した人にだけ、その全ログを読むことができるようになっている。もちろん、ゲストブックも用意されていて、自由に書き込みもできるようになっている。もし「議論を続けたいのなら、こちらへ書き込みなさい」ということだろうか。

僕はこのURLにアクセスして、何かを書こうという気が全く起きなかった。

なぜだろう、と考えていると、どうしてもそのやりとりが、いろいろな意味で”クローズド”になってしまうことへの、畏れのような感覚があるからだとおもう。

これから膨大な量の風通しのやりとりに逐一反応出来ないのは残念なのだけど、少しずつ僕が感じた違和感のようなものを形にしていけたら、と思っている。

今日はそれほど時間がないので、とりあえず宣戦布告だけは出しておく。
細かい議論はまた後日。。。

それでは。

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