田中庸介詩集『スウィートな群青の夢』 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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田中庸介詩集『スウィートな群青の夢』




『スウィートな群青の夢』






最近マイミクさんの間でちょっと評判になっていたので、田中庸介さんの第二詩集『スウィートな群青の夢』を買ってみた。詩がまったく専門外の僕が素人ブックレビュアー丸出しな感じで批評するのも恐縮なのだけれど、なかなかに一筋縄ではいかない詩集のような気がする。

最初、まったくおもしろさがわからなかった。

こんな詩、どこが面白いのか。と思った。

面白くない詩の代表は、たとえばこんな詩だ。



下北沢の夜はアジアン・スイートに始まり
アジアン・スイートに終わる
カレー屋の二階のこぢんまりしたベトナム・カフェに上がり
(タバコ、OK)
冷房のない夏の夜の風に吹かれながら
アジアン・スイートとベトナム茶を注文する

なぜ下北沢がベトナムなのか
それはよくわからないのだけれど

脳が混雑していると剣呑だから
すかさず白玉タピオカ入りの熱いぜんざいを
食べにゆく

(白玉ぐっちゃぐっちゃ
(ぜんざいぐっちゃぐっちゃ
(白玉ぜんざいぐっちゃぐっちゃぐっちゃぐっちゃ
(とても甘い、

で、終わって、最後のひとしすぐまでスプーンでなめとると、
ぼくは熱風の吹く下北沢の町を肩そびやかせて下っていきました。
(「アジアン・スイート」)




うーん。なんといえばいいのだろう。どうしようもなく、「ふつう」な感じがする。。。
たとえば詩の一行のどこかに、「感動する単語」がある、とか、何かぐっとくる
フレーズがあるとか、そういう「よみどころ」がものの見事に含まれていない。

この詩、下北沢でアジアン・スイートを食べた、というだけの詩じゃないか。
それだけで本人が完結してて、「ああ、よかったね」という感想しか、出てこないじゃないか。。。

うーーーーーーーん。

あやうく詩集を途中出放り投げそうになったけど、我慢しながら読むと、途中からおもしろい詩がでてきた。たぶんこの人は、長い詩のほうが面白いタイプの詩人のような気がする。

ちょっと長い詩になるけど、こんなものを引用してみる。



離婚してから、
いつもよりシリアスになっているような気がする。
喪失感とか、
別れた哀しみとか、
理不尽な状況に対する怒りとか、
そういうものがおれの心を責めさいなむ。
あとやっぱり、説明がうまくできていない。
どうして離婚したのかと聞かれても
興味をもってくれる相手に納得のいく説明ができない。
財産もない(貯金がない)、親権もない(子どもいないから)、不貞もない、
それではシホ-の出る幕はないよと幼なじみのイケダ弁護士は言った。
そして一分で電話法律相談は終わった。
やれやれ。

東北の、真ッ白にかがやく無人の笹原、
その風景が脳裏をかすめる。
むこうに黒い林がある、

よっ離婚者、
やっぱりかなりキテますねとヒグチさんは言った
離婚のキズはね、四年かかるけど、
きっと癒えるからだいじょうぶよとイトーさんは言った
はじめてのザセツ? とヒラタさんは(メールで)笑った
みんなうれしそう、
嬉しそうに夜が更ける

アメリカシロヒトリは毛虫の名前
たくさんのアメリカシロ(一人)、
ひとりのアメリカシロ(たくさん)が
うじゃうじゃ
うじゃうじゃと
枝にむらがり
植物の葉、
葉という葉をしゃぶりつくし
食いつくしていく
シロヒトリが去ったあと
どうでもよくなった
木の枝がある

説明できない、
自信をもって説明できない、もちこたえられない
新婚から卒業しようとしたら結婚からも卒業してしまいました
とか言ってもなかなか理解してもらえないしねぇ
自分の見かたにかたよった
ひとりよがりな説明
そうして黒い革の服を着て高い椅子に座る男に向かいあって
ただテンパってしゃべり続けるだけの男(三十八歳)。
皆さん、この男の内部のろんりはチーズのように穴だらけなんですよ
人生の詰めが決定的に甘いんですよ
だがことばが止まらない、止まらない、
噴流のように次から次へと沸いてくるのに
穴だらけ

キノクニヤキノクニヤ。
本を買うならキノクニヤ。
ゆがんだ愛や性のことに一所懸命になって
人生のプライオリティがぐちゃぐちゃになってしまいましたとさ
しかしこれほどまでに精神がとらわれたことは今までにない。どうしても
どうしてもそのことを考えてしまう、
(「武蔵野」部分)




この詩のなかで本人が言っている(?)けど、噴流のようにことばが出てくるあたりというか、いきなり離婚の話かとおもったらキノクニヤということばがぽんぽんでてきたりするあたり。長い詩になると小刻みにことばが連発してくるあたりに、けっこうな読み応えががある感じがして、引き込まれた。

朗読とかでかなり早口で絶唱すると面白く聞けそうなことばの数々。

短い詩だとうまくこういう「ことばの早口」感がうまくつたわらなくて、ちょっと読み手としてザセツしてしまいそうになる。面白いことは面白いけど、このことばの背景は、どうしようもなく「ふつう」だからだ。




うな丼食べた。九百円だった。金を払おうとしたら金がなく、
すみませんすみませんと言いながら銀行に走った。
金を持たずにうな丼を食べてしまったのは三回目。
どうしてうな丼の時だけそういう恥ずかしい目にあうのか。
どうして財布に金がない時だけうな丼が食べたくなるのか。
(「蒲焼あります」部分〉




しらねえよっ、と思わず突っ込んでしまいたくなる蒲焼の話も面白かったけど、うどんを食べたり、「夏野菜のカレー」と詩のなかで連呼する田中庸介さんは、もしかしてただ単に食べ物が好きなのではないかと考えて見たりする。

詩って、もっと「どろどろしているもの」という前提があった僕には、この「ふつう」のことばたちには馴染むのに苦労がいった。

でも、読み終えるとだんだん、この詩集が許せるようになってきたというか、このことばの速射砲のような長い詩のことばのつなげ方が、面白くなってくるように感じられるかもしれないかも。

今三回か四回繰り返し読んでいるけど、もうちょっと読むとまた違った印象の詩も目についてくるようになるかもしれない。

引き続き、本棚のなかに格納して置くことにする。

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