【一首鑑賞】西田政史さんの一首 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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【一首鑑賞】西田政史さんの一首



・蝉ひとつ鳴けばみな鳴く壮年はいかなる一日(ひとひ)より始まらむ




西田政史の歌集『ストロベリー・カレンダー』は、1993年に書肆季節社から刊行された。残念ながら、書肆季節社は個人出版社であり、現在は存在していない。西田政史も既に短歌の世界を去ってしまい、本は絶版。どころか入手困難になってしまっている。

以前紹介した、喜多昭夫の『青夕焼』と並んで、90年代を代表する青春歌集の双璧だろう。これに大塚寅彦の『刺青天使』をくわえると、入手困難青春歌集のトップ3になる。

残念ながら西田政史の『ストロベリー・カレンダー』は、僕も完本では持っていない。かろうじて詩歌文学館にコピーがあったので、半分だけ入手することができた。

この『ストロベリー・カレンダー』、巻末の塚本邦雄の解説がふるっている。「玲瓏」のなかで、荻原裕幸と西田政史は、筆跡の美と仮名遣いの正確さでは甲乙つけがたい存在だったらしい。荻原、西田がそろって、「筆跡がうつくしい」というエピソードは、その作風と並べて読むと、「なるほどなあ」という感じがするのだ。

まるで完成された、機械のように正確な文体。その計算された抒情性。ワープロのような完璧な抒情質を持つ荻原裕幸と西田政史は、やはりニューウェーブのもっとも重要な側面だったのだと思う。

残念ながら歌集を完本では持っていないので、一首だけぼくが秀歌だと思った歌を取り出して、この歌集『ストロベリー・カレンダー』の紹介の代わりとしたい。

                        ※

作品のなかの「私」は、おそらく一面に蝉が鳴いている夏のまっさかりにいる。

四方どこまでも蝉の鳴き声だ。「蝉ひとつ鳴けばみな鳴く」という上句からは、一匹の蝉が鳴き始めたら、まるでサラウンドステレオのように蝉がうわーっと鳴き始めた、あのちょっとだけ異様な光景を読み手に思い起こさせる。

そんな異空間のなかで、「私」はつぶやく。「壮年はいかなる一日(ひとひ)より始まらむ」と。

「私」はまだ若い。その若い「私」が、蝉の大音響がつくりだす異空間のなかで「壮年」を思うとき、「若さ」そのものが、一瞬揺らいでしまう。若さは、それを持つ人間にとっては確かなものとしてそこにある。しかし若さは、同時にすぐに「壮年」へと変わる不安定なものだ。そんな、「若さ」のもつ微妙なゆらぎが、蝉の大音響でみごとに表現されている歌だと思った。

蝉がわーっと鳴くなかで、壮年についてふと考えてしまう私。それはなんとあやうい、不安定なものだろうか。

                           ※

ニューウェーブとは、おそらく1990年代の文学運動であったというだけではなく、ある「若さ」への確信的な信仰のようなものを併せ持っていた運動だったのではないか。

(どの文学運動も、その基盤にあるのは「若さ」だったのかもしれないが…)

壮年になった西田政史、中山明は歌をやめ、加藤治郎、穂村弘は、その若さが持つ「輝き」をまったく失ってしまった。荻原裕幸は、以前の修辞的文体を捨て、自らの文体を再びアップデートさせようとしている。

この一首は、この世代の歌人たちが「若さ」に対して持っている、ある「信仰」のようなものを象徴する一首として、僕の心に残った。

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