【追記】「風通し」我妻作品について | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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【追記】「風通し」我妻作品について

追記として、我妻俊樹「案山子!」のなかで良いと思った歌を上げておく。



・軽すぎるきのこがはえて宙に浮く屋根に屋根裏ごとはこばれる

・こうもりはいつでも影でぼくたちは悩みがないかわり早く死ぬ

・矢印を息で磨いてだるそうにしている女の子がまだつづく

・マサチューセッツ工科大学卒業後 ほんとうの自由にたどり着けるだろう

・五時がこんなに明るいのならもう勇気は失くしたままでいいんじゃないか




我妻作品にはどれも「現実」の手触りがないように感じた。
「軽すぎるきのこがはえて~」の歌は、

軽すぎるきのこがはえて宙に浮く/屋根に/屋根裏ごとはこばれる

ときってよみたいが、意外と順接な歌。「軽すぎるきのこ」というアイテムが屋根に生えているのだろう。そのきのこが「宙に浮く」ために、(私も私の家も)屋根裏ごと運ばれるという、一見コミカルな現象を歌った歌のようにおもう。

笹井宏之が写生と言っているが、一首全体が、完全にモノ化したストーリーで出来ている感じがある。我妻の名詞の使い方は、穂村弘がいうアニメモードの、「完全にモノ化した言葉」のように感じられる。

・こうもりはいつでも影でぼくたちは悩みがないかわり早く死ぬ

この「影」も、実際のこうもりの「影」ではなく、よくインベーダーゲームなどで出てくるあのバットマンのような「こうもり」の「影」を想起してよむと、わりあい順接の歌になるように思う。現実のてざわりを欠いたモノのなかで、悩みがない変わり早く死ぬ。と、作中主体は主張する。

矢印を息で磨いてだるそうにしている女の子がまだ続く

これも、「矢印」は完全にアイテムだと思って読む読み方と、非常口か何かの矢印だという取り方があるような気がするが、私は前者でとりたい。いずれにしてもこの「矢印」からは、現実のてざわりは感じられず、つるつるとした方向指示の「形」があるだと思う。

我妻作品が恐いのは、この息で磨いている「女の子」も全体としてひとつのアイテムだということだ。
女の子がまだ続くという言い方(女の子たちではない)は、モノとなった「女の子」がモノとなった「矢印」を息で磨いている状況がどんどん反復されていく、という様子を想像しないと読み切れないように思う。斉藤斎藤が指摘しているが、「2次元と3次元を往復している」というような感触が、我妻作品の手触りとしては私にはぴんときた感じがする。


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