吉野昌夫歌集『遠き人近き人』を読む | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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吉野昌夫歌集『遠き人近き人』を読む




吉野昌夫『遠き人近き人』






吉野昌夫は大正11(1922)年生まれ。府立高等学校(現在の都立大学)在学中の昭和16(1941)年より作歌をはじめ、昭和17(1942)年夏に北原白秋の主宰する「多磨」に入会。同年11月に北原白秋没とともに、木俣修に師事。その後、「多磨」に昭和23(1948)年まで在籍するが、作歌が苦しくなり「多磨」を脱退し、一度短歌を遠ざかっている。4年にわたる中断期間を経て、昭和27(1952)年の「多磨」廃刊ののち、昭和28(1953)年、木俣修の歌誌「形成」に参加。その後は木俣修門下の有力な歌人として活躍した。

第一歌集『遠き人近き人』には「多磨」在籍当時の昭和21年~昭和24年までの作品が第Ⅰ部、「形成」に在籍した昭和28年~31年までの作品が第Ⅱ部に収められている。

予備知識はこのくらいしかないが、「多磨」の歌人たちの仕事を確認してみたいという欲求に駆られ、なんとなく歌集を手にとってみることにした。

年齢的に見ると、第Ⅰ部はおおよそ23歳から27歳の作品。第Ⅱ部は作歌を再開してからの31歳から35歳の作品になる。

第一印象を言うと、きわめて真面目で「教科書通り」の作品が続いているような印象を受けるのが第Ⅰ部。第Ⅱ部は若干冒険があり、この感触に生活臭が濃くなってくる感じがある。基本的な抒情質である「教科書通り」という感触はくつがえされることがないが、第Ⅱ部のほうは勢いがでてきて非常に面白くなるような印象。

まず第Ⅰ部から、いいと思った歌をひいてみる。




・日の当るところをさけて一側(ひとかは)に人は片寄れり午後のホームに

・窓の中の空に見てあれば雲といふなべての雲はみな流れをり

・石段を下駄のぼりゆく高き音が建物の中にこもりてきこゆ

・空(うつ)ろなるビルを通して見ゆる空断片にしてしかも曇れり

・らふさくの長(た)けたる芯はその先の灰となりつつ頭を垂れぬ

・学問にひざまづきたくなることの日ごとにうすらぎゆくをおそるる

・乗客が寝しづまるころかなしみのごとくにしづくする窓ガラス

・蛇つかひ蛇をつかへばむらがれる人だかりの中にわれも立ちてゐる





たとえば一首目から五首目まではずらっと叙景の歌を並べたが、認識が変な方向へいくこともなく、かといって何か不足している感じもなく、非常に端正にものごとを見ている感じ。一首目の「一側(ひとかは)に人が片寄る」という表現や、四首目の空が「断片で曇っている」という表現は、非常に的確にものを見た歌だが、やや習作くさい匂いを漂わせている。おそらく真面目な人柄だったのだろう。

六首目の「学問にひざまずきたくなることの日ごとにうすらぎゆく」という気持ちは僕にもすごくよくわかる。

面白いとおもったのは七首目の「かなしみのごとく」という比喩と、八首目の口調の良さ。

木俣修が序文で「情調主義の古風な短歌観に立つ人から見るとものたりないと思われるふしがないでもないだろうが」と言っている。情調主義かつレトリック全盛の僕としては、やはりこの第1部はものたりない。「市井の一小市民としての生態」を掘り下げるという立場からすれば、これはまさに模範的な歌の数々だろう。ぼくは、ちょっと毛色の違うものを見せられている気がした。

第2部のほうは読ませどころになる。
作歌をしばらく中断してカムバックしてから、この人はとにかく無茶苦茶に破調をするようになった。

・真実を歌はむとする苦しみを彼も言へり桐の葉群(はむら)の黒く窓辺に迫る夜半

という歌は、「空白ののちに」という一連の最後に納められた歌。おそらく「空白」は歌をやめていた期間のことだろうが、その最後でこれが出てくる。下の句は完全に定型無視である。
もうとにかく思い切って、歌いたいことを歌うと言う方向へ行ったのかもしれない。

こんなすごいのもある。

・戦(たたかひ)を中に挟みて逢はざりき君は病を養ひて学窓に老い我はかくありて二人子の父

この歌が良い歌だとは思えないが、やっぱり思い切った方向へいくと、歌もよくなってくるみたいだ。職場詠も労働組合の歌が出てきたりして、だんだん勢いがついてくる。

面白いと思った歌をひいてみる。



・工場と営業倉庫にはさまれし運河の面に空うかびたり

・棕櫚の木をその中央に立たしめて人を入れざる芝生あかるし

・銭湯のはかりにのりて弟と体重のへりしこと嘆きあふ

・口数少く経にし日の暮(くれ)同僚にさそはれて街に飯食ひに出づ

・大会にすべて議りて進めむといふ闘争の歴史をわれら持たざれば

・ベンチの上に車夫は眠りて人力車のかたはらに焚火のあとくすぶれり

・今日も暑くなるならむ朝の駅前に銀バスが来て客おろしゆく

・ガスタンク二つならびて一つ高し近々と電車の窓より見ゆる

・ひけどきの日比谷の空に気付く者たれも無くゑがかれてゆく飛行機雲





この人の場合、認識が深くなるというよりも、口調がなめらかになって、だんだん勢いが出てくるような形で歌が変わっていっている。あきらかに2部のほうが素直になっていて、面白く読める。

今回は選ばなかったが、1部でも、2部でもどちらかというと生活のことを素直に詠った歌が多くて、そちらのほうが面白いという見方もあるかもしれない。

吉野さんは歌論も書いていて、そちらでも有名だそうだ。

こういう第一歌集を持った歌人がどういう形で年をとっていったのか、その軌跡を追うのも楽しい作業だろう。続きの歌集もたのしみだ。

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