本田瑞穂「すばらしい日々」 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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本田瑞穂「すばらしい日々」

すばらしい日々



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・まひるまにすべてのあかりこうとつけたったひとりの海の記念日




2004年に発刊された本田瑞穂さんの第一歌集『すばらしい日々』は、俵万智や東直子といった歌人によって切り開かれてきた口語短歌のポエジーの流れを、さらにもう一歩すすめることになった意義深い歌集だと思う。

私見では、口語のポエジーは時代がくだればくだるほど、より「ミクロな感触」へと着目することによって、その手触りを確かなものにしようとしてきたのではないかと考えられる。特に、2000年以降の女性歌人の想像力のなかに、こういった「ミクロな感触」が数多く見られることは注目したい。

冒頭に上げた一首は、穂村弘によって「魂の在りようが怖い」というふうに解説の冒頭に取り上げられ、この歌集の代表歌になった一首。

真夏の「まひるま」に、全てのあかりを「こう」とつける。

この行為は異常だ。真夏の「まひるま」はもともと、別にあかりをつける必要はないほど「あかるい」ものだ。しかし、そのあかるい真夏の「まひるま」に、あえて、「すべてのあかり」を「こう」とつけるという。
そのことによって何か劇的な変化が起こるのかというと、特に変化は起こらない。ただ、「あかり」を「こう」とつけたという行為そのものに、非常に「ミクロな世界への感受性」を感じる。よくみるとどうでもいいようなことに過剰にこだわろうとするその作者の心のありようが、一つのポエジーを醸しだしているのだ。

かつての「孤独」のありようというのは、もう少しステロタイプなイメージに回収されるようなものだったはずだと考えたりする。「孤独」とは、もう少し「くらい」ものではなかったか。しかし、本田のこの歌は、「あかるい」場所のなかに「たったひとり」を見いだす。こういう「ミクロな世界への違和感」は2000年代の口語短歌の一つの基底調になっているのではないかと思う。

同様の「ミクロな世界への違和感」を歌った歌人として真っ先に僕の脳裏に浮かんでくるのは、次のようなタイプの歌だ。



・手応えでだめだとわかるクローゼットの扉のレールのわずかな歪み(兵庫ユカ)




これもミクロな違和感をポエジーとして回収させようとしている歌だ。兵庫の歌は「クローゼットの扉のレールのわずかな歪み」といったミクロな場所に「だめ」感を投影する。この「だめ」は、クローゼットが「だめ」であると同時に、やはり私が「だめ」なのだとおもう。微細なものに投影される「だめ」の取り合わせがおもしろい。

いずれも、方向性は違うかもしれないが、「かすかなもの」や「ささやかなもの」に照準を合わせようとしてくる口語短歌たち。こういう流れを口語の最先端というなら、本田は間違いなく、この流れの最先端として登場してきた歌人なのではないか。



・じゅんばんに遠いところへ近づいていく信号は青に変わって

・なかゆびのゆびわがひかる急に日が落ちたとおもう鏡の中で

・澄んでいく町に味方はいらなくて帽子を深く被って歩く





いずれも、なだらかな言葉の選択と、非常に浅い場所に強い意味付けをもたらそうとする作者の意志が全面につらぬかれている。どの歌も非常に気になって読んだ。

今後も語り継いでいかなければいけない歌集の一冊だと思う。

(しばらく更新が止まっていました。ゆっくりとですが、動かしていきたいと思っています。よろしくお願いいたします)

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