わたしが聞いたことと、あなたが言ったこと | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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わたしが聞いたことと、あなたが言ったこと

昔、批評会での皆さんの発言をかなり詳細に再構成するという形で、批評会の模様をブログ上にアップするという作業をときどきやってました。

こんな感じ

http://cocoatalk.blog94.fc2.com/blog-entry-30.html

なんだかあちこちで紹介されている感じで、つい最近も思わずあるサイトとか見てしまったとき、「穂村弘のイン・アウト論」に引きずられてるんじゃね。

みたいな書き込みをみたときに、ちょっと「がくっ」となった。

まあ、参考にしてくれるのは嬉しいんですよ。(もちろん、この批評会の模様はあちこちでアップされているので、別に僕の功績というわけではないんですが…)

最初、ぼくはある種の地方とのアクセスの格差というか、その場に「当日行けなかった人もいるだろう」とか、「あまりに地方すぎて、情報にアクセスできない人もいるだろう」という感覚で、自分なりの無私の精神のつもりで始めたことではあるんですが。。。

ただ、決定的に理解して欲しいのは、「穂村弘が言ったこと」と、「わたしが聞いたこと」は違う。

ということです。

そう。人間は、自分の面白いと思ったことだけを、無意識のうちにつまみぐいしてしまう習性があって、それがどんどん伝播していくことはちょっと怖いな、というか。

批評会記録は個人のサイトだからできる、という開き直りもあるんですが、実は当日あんまり目立たなかったけど、すごい重要なことを指摘していた可能性というのもあるわけで、そういうものを聞き手はノイズとして一瞬のうちに無視してしまいがちです。

僕の発表(というか発言)は、完全に僕が自分の責任で乗せているので、それでいいんですが。

ただ、人の言ったことをそのままブログに書き写すのは、本当はあんまりよろしくない。

人間は誤解の可能性をつねに意識的に孕んでいる。

わたしは、わたしが他者の発言をつねに恣意的に誤読しているのではないか、ということに、ちょっと自覚的にならざるをえません。

それはtsudaる行為にしてもなんでもそうで、そのことに意識的にならないとなかなか「正確なレポート」というのは難しいかと。

報道系の方がツイッターやってるのはいいんですが、文学系の方がツイッターをやっているときに、「その発言」の意図とか重みということを全く考えずに、「わたしが聞いたこと」に固執するのは、ある意味危険なことではないかと思います。

特に文学系、言葉を最重要に考える方たちにとっては、安易な「レポート」というのは避けるべきではないか。そんな気持ちにちょっとなっています。

辻井竜一さんの批評パーティ、ちょっとアップすべきかどうか悩んでいるのは、そういう可能性を考えるのが一番大きいからです。

しかもまた冒頭穂村さんだし。

うーーーーん。うーーーん。

「公益性」ということと、「誤解可能性」という二つの狭間で引き裂かれている自分がいます。

あと、著作権というものも考えますね。

会場に居合わせたからといって、その発言全てを記録していいのかどうか、ということは、まったく別問題。

確かにパネリストは「お金をもらってる」われわれは「お金を払ってる」ということで、パネリストにはそういう責任がある、という議論もないわけではない。

しかし、演劇や映画では撮影禁止、というのも明記されているところも多いので、短歌というジャンルはこの辺の区別は非常に緩い。

シンポジウムや批評会といったものが一つの「即時性の文芸」であるということを考えると、これはある意味公演の無償提供になるんじゃないか、という非難も、考えないわけではない。

ただ、あれだけ批評会やシンポジウムが乱発されている現状を見ると、
誰かが形に残さないと消えてしまう、という危機感もあるわけで。

ぼくは最終的には主催者側が(恥ずかしさをこらえて)youtubeや、USTREAM、megavideo、ニコニコなどの画像コンテンツをもっと活用すべきではないか、という意見を、今は持っています。

いずれにしろ、僕が批評会記録とう形でコミットするのは、今回が最後になるか、それとももうやらないか、でしょう。

あ、自分の発言は遠慮なく全方向に公開しますよ。

それでは。
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