おばあちゃんのお葬式 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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おばあちゃんのお葬式

今月6月にぼくのおばあちゃんが亡くなって一周忌になった。

一周忌の法要はどたばたしててまだ済ませていないけど、ぼくは完全に独立して個人で事業を始めてしまった。今まで自分のなかでいろいろと悩んでいたり、自分だけで抱え込んで全てを済ませていたり、そういう自分と完全に縁が切れて、いろんな人と話したり、営業したり、相談にのったり、一緒に問題を解決したり、そういうお仕事を今も引き受けている。

もちろん、この仕事は完全に水ものなので、実際これからどうなるかはわからないけど。

この3月に、なんのタイミングなのか、久しぶりにおばあちゃんの歌を歌ったのだった。
6月号に掲載されるって、しかもそれがジャストタイミングでおばあちゃんの一周忌のこの月に発表されるなんて、そのときは全く思いつきはしなかった。


ただ、あのころ、「千の風になって」が久しぶりに話題になっていて、祖母のお葬式のことを思い出しながら歌をまとめたのだった。

祖母は、「千の風になって」が大好きだった。

夜になると、僕は必ずといっていいほど毎日、越路吹雪、宝塚歌劇団の歌、そして秋川雅史さんの歌、それを交互に繰り返しながらかけていて、大体お寿司を注文しながら、二人で聞くのが日課だった。

それは去年の6月、おばあちゃんが急に高熱で倒れる3日ぐらい前まで、ずっと続いていた日課だったのだった。

おばあちゃんが亡くなったとき、僕は完全に入院する直前ぐらいで、判断力も思考力もまったく鈍っていたので、お葬式があると聞いても何が何だかわからずに、どうしていいかわからなかった。

ぼくの周りの人たちは、おばあちゃんの葬式のとき、「千の風になって」のCDをかけるんだろう、と思っていたぐらい、おばあちゃんの千の風好きは身内に知れ渡っていたのである。

親戚のおばさんは、「千の風なんで持って来なかったの」

と言った。

確かに、セレモニーとしては、おくりびとみたいな儀式があって、「千の風」が最後に流れて、みたいなほうが格好がついたのだろう。

しかし、完全に判断ができる状態でなかった僕は、身ひとつでお葬式に出かけてしまい、CDを持って行くのを完全に忘れていたのである。

そのときは、「あ、大失敗だった」

と思っていた。

しかし、時間がたつにつれて、「ああ、おばあちゃんがどんな千の風を聞いていたのか、実は誰かに共有させることはできない」って、思うようになったのである。

セレモニーとして流される「千の風になって」

それは案外、おばあちゃんが一番嫌う「千の風」の流され方だったのではないか、と思っている。

おばあちゃんはずっと一人で、何回もあの歌を聴いていたのだった。

ぼくは時折、「もう辞めようよ。何回目だよ」

とおばあちゃんをなだめたが、おばあちゃんはにこにこ笑って、ほんとうに舐めるような姿勢で、パソコンに保存された千の風の画面から離れようとしなかった。

あれは、おばあちゃんが自分のために聞いていた曲なのだ。

誰かのために流すために、もちろん、僕自身に聞かせるために流していた曲などでも全然なかったのである。

ぼくは「千の風」の歌詞は大嫌いだ。

なんであんなに陳腐なのか。

聞く度に内心うんざりしていた僕は、今年の3月に、千の風の盗作問題が、勃発していることをネットで知ったのだった。

当然、ぼくは憤慨した。

そんな汚いことで、祖母がずっと食い入るように聞いていたあの時間を台無しにしたくなかったのだ。

しかし、結果的にそんな事件があって、ぼくはやっぱり「千の風になって」は、おばあちゃんの葬式にかけるべき歌ではなかった、と、あとから自分のミスが、実は一番おばあちゃんへの思いやりになっていたのではないか、と確信するようになったのである。

おばあちゃんが、こんなことを知らないまま亡くなったことに、ぼくは今はすこし、安堵している。

                      ※


補足しておこう。

「千の風になって」の作詞家、新井満氏は、僕と同じ新潟県の出身なのである。

そして今回「1000の風になって」を盗作されたとブログで主張されている南風椎氏は、どうやら今は横浜の小さな森に住んでいるらしい。姿勢のうつくしい、知的なコピーライターである。

僕は自分の出自もふくめて、これほど同郷の人間に憤慨したことは今まで一度もないが、どうりであの歌詞を毎日聞いていて、陳腐で、説教臭くて、なんだかつまらないもののように感じられる訳詩だったことを、僕は反芻していたのである。

盗作か、盗作でないかはもうどうでもいいだろう。

作品として、詩として、どちらが美しい態度か、これは今回は明白である。

僕は美しいものを支持する。

今回の件は、南風氏の態度は完全に知的で、美しい。

著作権についてはよくわからない。

しかし、南風椎氏という美しいコピーライターの作品を見ることができたのが、僕の今回の沸騰した心を、唯一なぐさめてくれたことは確かなのである。

ということで、今さらながら申し訳ないが、リンクを貼らせていただく。

http://blog.greetings.jp/?eid=98

本当は3月にすぐに抗議の記事を掲載すべきだったのだが、作品が誌上に掲載されるのを待っていたら、こんなに歳月がかかってしまった。

この一連を私の祖母の一周忌に。

そして、南風椎氏というひとりの美しいコピーライターのために。

今でも歌人を名乗り、コピーライターを名乗っている私から、お目汚しではありますが。

抗議の代わりに、作品を持っていたします。


      千の風なんて好きではなかつた

・愛の終はりはおそらくおだやかなものだらうたとへば千の風になるやうな



・とほき日をいつくしむがに祖母のこゑを聞いてゐたりきそのうたごゑに



・ああ祖母が泣かないでくださいと言つてゐるだから私は泣かなかつたのか



・戦争がまう日常に満ちてゐるやすらぎを得るための戦争が



・匿名の詩が詩であることを守るためあなたはきつと戦ふだらう



・横浜の小さな森に住んでゐるあなたはきつと美しいだらう



・新潟の海を見ながら育つたよわたしはたぶんあなたではなく



・私は言葉を吸ひ取りながら生きてきたただ美しいものにあこがれて



・おかね、おかね、おかねがほしい美しい言葉を吐いてお金が欲しい
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