内山晶太さん『窓、その他』 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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内山晶太さん『窓、その他』

内山晶太さんの第一歌集『窓、その他』をよむ。

内山晶太さんは、「移動する歌人」という印象がある。

僕が初めて内山さんの歌を読んだのは、ある歌会でのことだったと思う。歌集にも収められていてはっきりと覚えているので、この一首から鑑賞してみよう。

 夜(よる)の窓にすきとおる胸を沿線のしろき枯生がながれていたり

作者は夜の電車に乗っていて、おそらく立っているのだろう。帰宅の光景だろうか。電車の窓ガラスを見ている。そうすると、夜の電車に自分の胸がすきとおってみえていて、そのうしろにさらに電車のひかりでしろくなった枯草がぼんやりとながれている。こういう光景を歌った歌だ。

しろくという言葉がものすごくうまくて、まるで死後の世界のような灰色の外の情景を歌っている。そして歌人である作者はそのなかをただ動いている。一首のなかでモノクロームの映画のような静謐な世界を醸し出していて、ときおり死も意識させられる、そういう微妙なところ歌った歌だとおもう。歌会で、ああ、この人はただものではない。そう直感的に感じ取らせてくれた歌だった。


歌集を読んでみると、内山さんはやっぱり「移動する歌人」なのだろうなあと思う。おそらく歌を作るのは出勤とか退社の合間にされておられることだと思うので、こういう歌が多くなるのは当たり前なのだが、なんだか動いている印象がものすごく強い。

 掲示板に電光ながれゆくさまのなめらかなりき冬を思えば

 通過電車の窓のはやさに人格のながれ溶けあうながき窓見ゆ

一章目の「たんぽぽ」から引いた。

別にこれは作者自身が動いているわけではないのだが、ながれたりうごいたりするものに敏感に反応する作者の感受性が見て取れる。一首目は電光掲示板のひかりがなめらかにうごいている、ただそれだけのことを詠ったうたなのだが、この韻律感覚がたまらなくここちよい。掲示板に電光ながれゆくさま、まで一気に描ききっている感じ。

二首目はやはり破調の歌だが、よくホームに立っていると、確かに通過電車の窓はながくのびきっているし、そこにいるひとは溶けて混じり合うようになっているだろう。そういうところをよく見ていて、人格の流れ溶け合うと表現した感受性は素晴らしい。こういう現代的な発見が巧みに歌になっている。

たとえばこんな歌も、内山さんの手にかかるとものすごく説得力を増してくるから不思議だ。

 コンビニに買うおにぎりを吟味せりかなしみはただの速度に過ぎず

悲しみがなぜ「速度」にすぎないのか、ここでは全く説明されていないけれども、ものごとが移動していき、過ぎ去ってしまうものだというのを直観的に内山さんは感じているのではないだろうか。この歌の説得力について考えてしまうと、前にあげた三首のような感受性について考えてしまうのである。

やや我田引水しすぎたかもしれない。もう少し歌をとりあげてみる。

 遮断機の警鐘なりていくつもの余韻はくらき海を見せたり

 春の雨こすれるように降りつづくほのあかるさへ息をかけたり

 海に来て菓子をひらけば晩年はふと噴水(ふきあげ)のごとく兆しぬ

 テーブルの脚のくらがりひそかなる沼ありてひたす日々の足裏を

 わが死後の空の青さを思いつつ誰かの死後の空のしかしらず

 ぶらんこの鎖つめたくはりつめて冬の核心なり金属は

 藤の花に和菓子の匂いあることを肺胞ふかく知らしてめてゆく

遮断機の歌はかなりぎりぎりのところを見ている感じ。遮断機の警鐘はたしかにファンファンファンファンとなるわけだけど、それを余韻と表現するあたりが言葉のうまさを感じさせる。遮断機の警鐘のあいまあいまにくらき海をずっと見続けているという作者に共感できる一首だった。

「春の雨」これはじんわりとだが「こすれるように」という表現がうまい。ひらがな表記がじんわりとこころに沁みてくるような穏やかさをたたえた歌だとおもう。

「海に来て~」唐突に何かを思い出す、そういう経験はだれでも持っていると思うのだが、お菓子の包み紙を開いてその瞬間ぱっと噴水のように「晩年」が兆してきた、そういう絵を描けることはほんとうにすごいと思う。瞬間をきれいに歌にしている。

「テーブルの~」決して派手ではないが、微妙にエロティックな情感を感じさせる歌。きれいに決まっている。テーブルの脚のくらがりのなかに足を浸す、確かに人はだれでもやっていることだが、それを発見することができる歌人はそう多くはない。地味だけど味わい深い一首。

「わが死後の~」これもきれいに決まったいい歌。人が死んだときの空しか知らない、自分の死んだときの空の色を知らない。それは自分の死が無であるということなのだろう。しんとしたいい歌だと思った。


「ぶらんこの~」これは「冬の核心なり金属は」という破調が不安定感を醸し出すと同時に、冬と金属という取り合わせが巧みだ。たしかにつめたいきりきりしたぶらんこの鉄の鎖と、冬はきれいにとりあう。過不足なく、うまいところを歌っている。

「藤の花に~」 藤の花が和菓子の匂いがするというのは上品で繊細な発見で、それを肺胞深く知らしめてゆくというのは非常に丁寧な表現だ。歌全体として派手さはないけれど、上品で繊細なところをうまく歌にできるというのが内山さんの歌の根元的な魅力なのかもしれない。

とりとめもなく書いた。こにあげなかった歌で付箋をつけた歌はまだまだたくさんあるのだが、長くなるのでやめておく。日常が微妙な陰影で歌いこまれている。深い感銘を受けた一冊だった。
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