「京大短歌」18号 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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「京大短歌」18号

発行されてからかなり時間が経過してしまったが、「京大短歌」18号について軽く感想を書きたい。

今号の主眼は、なかなかまとめて意見を言うのは大変な、大辻隆弘さんと大森静佳さん、藪内亮輔さんの座談会。

これについては意見を差し挟むことはしないでおこう。

とにかく震災と短歌を考える上でこの号は非常に重要だ。

必読である。

さて、僕から感想を述べることがあることとすれば、この座談会のおかげで埋もれがちになってしまいそうな会員のみなさんの短歌。これについて軽くではあるが意見を述べさせていただきたい。

目次にしたがって、野栄悠樹さんまでを会員の作品と考えてまとめて感想を述べたい。


杉山天心さん

一言でいうと「助詞の使い方が上手ではない」「言いたいことをきっちりと定型におさめられてない」。ちょっと評が辛くなるのをお許し頂きたい。歌を作り始めて間もない方なのだろうとお見受けした。

良いと思った歌は、

支配するこんなことしてどうするのわからないのは仕様ですから

だろうか。

 支配する/で1回読みを切って、こんなことしてどうするの/わからないのは仕様ですから と流れる。

自分自身のこととも読めるし、何か大きなシステムにむかって叫んでいるのかもしれないともよめる。ややシニカルな意味を含んだ歌だとおもう。これが過不足なく一首に収まっていて、歌としてはこれが一番完成度が高いと思った。

この作者の場合、ちょっと一首目から見てみようとおもう。


 一文字結んだ手から月のぞく石舞台に舞うたゆき白髪

一文字に結んだ手から月がのぞく、ここまではわかるがまず「一文字」、「月のぞく」は助詞がないので窮屈な印象を受ける。そのあと、「石舞台に舞うたゆき白髪」と転換するが、これははっきり何を言おうとしているのかが分からない。情景としては一文字に結んだ手から月がのぞく、だけでよく、二番目の「石舞台に舞うたゆき白髪」は必要ないとおもう。二つの情景をつなげる読解の鍵みたいなものがないので、読む側としては「ん、何を言おうとしているんだ」とつまづいてしまった。


 濡れそぼつ黒を見下ろすペンタゴン制限速度は60kmか

これもよく分からない歌。濡れそぼつ黒の「黒」って一体何を指しているのかよくわからないまま、いきなりペンタゴンがでてきて制限速度は60kmかと言われ、読解につまづく。はっきりと言いたいことを定型におさめられていないので、まずはきっちり定型におさめる努力が必要だろう。


 愛し君聞き取れないの昨日からイヤホンが断 線したせいね

これは試みは面白いが、「愛し君」が窮屈だ。助詞を57577の定型に無理に収めようとしている感じがあって破調になってもいいから愛しい君まできっちり歌ったほうがいいと思う。さらに言うと、言葉の響きを求めるなら
愛し君よりももっと適切な選択肢があったようにおもう。僕だったらリフレインにしてしまうかもしれない。
「昨日から聞き取れないの昨日からイヤホンが断 線したせいね」


谷川嘉浩さん


連作のなかで名詞止めを多用するのはなんとかしたほうがいいと感じた。特に1首目が体言止めで、5首目6首目体言止めで来られるとちょっと平板になりすぎる印象。15首のうち7首が体言止め。

ただ、連作の全体の印象は清明で澄んだ響きを求めていて好感が持てる。


 劇的な語りも夢も音楽も悲しみもない立ち上る雪

劇的な語りも夢も音楽も悲しみもない/までで1回きって読み、いきなり「立ち上がる雪」という情景の質感を出してくる歌と読んだ。歌意としては日常生活のことを歌っているのだろう。自分の日常生活がそれこそ「劇的な語りも夢も音楽も悲しみもない」ものだと作者はおもっていて、そのあとなにか情景でまとめたよい句を入れたいのだと思う。5757までの言葉の配置が美しく、最後の結句は、喩的な密度を感じさせる歌だ。ただ、「立ち上がる」はよくわからないという読者もいるはずなので推敲が必要かも知れない。

 冬となく春夏となく秋となく光り続けることは墓石

これも同じパターンの歌と読んだ。名詞止めというより連作にこういうパターンの歌が二つ続くとやや苦しいか。ただ詩的な感性はある。これは自分のことを歌っているわけではなく、いわば全体的な喩として機能させようとしている歌だと読んだ。「冬となく春夏となく秋となく」と迷いのように言葉が続き、季節が光り続けることは「墓石」なのだという。

「~光り続ける」までは非常に淡い言葉を選んでいるのに、結句に具体物をいれる(それも墓石という非常に重たい具体物)あたりに、ことばの選び方のセンスを感じる。

 頬を削ぐ冷たさのドア懐かしい空気はないと知っているのに

上句57の「頬を削ぐ冷たさのドア」が新鮮。自分がドアに頬をあてている光景なのだろう。そのドアがあまりにも冷たいので、「頬を削ぐ」と表現している。下の句の自己表白、「懐かしい空気はないと知っているのに」は上の句のインパクトを受け止めるだけの力をもっていないかもしれない。ちょっと感情だけがだらっとですぎてしまっていて「どうして」懐かしい空気はないと思ったのかが見えづらい気がする。

 不自然なペプシを飲んで思うのよ、ローソンと海、空は違うと

発想が面白い。ローソンと海や空が違うということを、ペプシを飲んで思うのだという。上の句の「不自然」はなんでペプシが不自然なのかがそれこそ「不自然」だ。この不自然はどこにもかかっていないので作者の内面のみに残された言葉なのだろう。しかし、確かにローソンの看板と海や空は違う。これは読解につまづきながらも気になって採った一首。


廣野翔一さん

15首全体の印象としてはやや歌のでき不出来にむらがあって平板な印象を受けるが、びっくりするような秀歌が飛び出してくるので何が出てくるのかが気になる作者。おそらく表題にもあった、「ヒカリトミズ」のこの一首が素晴らしいできばえだ。

 水面の光の折れが美しい感情に似ると思えば尚更


水面の光の折れが美しい/で1回切って読みたい。ここに「感情に似ると思えば尚更」という下の句はなかなかつけられない。水面の光が折れていく様子を、「感情に似る」と例えることは意外と短歌の王道のような気もするが、こうまで直裁に詠った例を他に僕は知らない。尚更も効いているとおもう。

 青年は椅子に座ってカウントする通過していく影の枚数

具体的な情景を上げようとすると道路の交通量調査なのかもしれない、とは思うが、これは具体的な情景を思い描かないほうが美しく読めるかなとも思う。「影の枚数」としたところが非常によく、心象とともにややうつむきがちに地面を見ている作者のかなしげな像が見えている。「カウントする」の破調も僕はいいとおもう。

 ひまわりが何も言わずに伸びる朝 空とは垂直になれないのに

これは発想はいいのだが何か平板な感じがする一首。確かにひまわりは空とは垂直になれない。この発想はおもしろいのだが、「何も言わずに」というのはやや「言わな過ぎ」のような気がする。ここに自分の感情なり何か具体的なものなりを入れたら少し味わいが出てくる感じがする。

 逃がされた揚羽を送る心境で遠い夜空の火事を見続け

これも「揚羽を送る心境」という心象の描写はおもしろいが何か足らない感じがする一首だ。「遠い夜空の火事を見続け」という下の句に対して、逃がされた揚羽を送る心境というのが今いちぴんと来ないというか、やや不謹慎ではないかとおもう。おそらく作者はすべての歌を実景に即して作ってはいないのではないだろうか。そう考えるとちょっと喩が浮いてしまって「響いてこない」感じがする。実景と心象のぎりぎりのラインにせまった作品がものすごくできばえがよく、そうでない景だけの作品はあまりよくないと思いながら読み進めた。

小林朗人さん

言葉のかかりが重い、良い意味でも悪い意味でも大げさな歌を作る方だ。その特質はこういう歌に表われている。

 鎮魂歌(レクイエム)その激情の響かざる胸を虚空の闇にさらして

激情、虚空とこれでもかと硬い言葉を入れて、歌に厚みをもたらそうとしているのがわかる。やや言葉使いが大振りなために損をしているような気がするが、これはこれで採りたい一首。歌意としてはレクイエムがひびかないような自分の胸をうつろな空にむけてさらしているという一首だが、この大振りな言い回しは好き嫌いがあるだろう。僕はこれを代表歌にする気持ちはわかる。

 波際の砂城のごとくなだらかに崩れえぬゆえ傷むこころは

これは意味的に1回ねじってある。「波際の砂城のごとくなだらかに」まではすらすらとよめるが「崩れえぬ」と1回ねじっているので、そのようになだらかに崩れないという歌意になる。こころは、砂城のようには崩れないので傷むと言っているのだ。硬質な響きだが成功している歌だと思う。ただ、あんまりこころのことを悪く歌っていると病気になるので気をつけてほしい。

 窓を打つ暁光されどわれにまだ絶望という寄り部はあらず

これはやや言葉が硬くなってしまっているか。一見きれいに決まっているが、窓を「打つ」はちょっとひとりよがりかもしれない。ここは射すでも良かった気がする。それよりも、「されどわれにまだ絶望という寄り部はあらず」という下の句はやや余情を感じない。絶望が寄り部ということは一体どういうことなのだろう。まだそんなに絶望していないということなのだろうが、絶望がないのならそんなに大げさに歌わなくても、という気もする。「されど」があまり上手に機能していないのかもしれない。


 村雨の降りやみそうな虚空から 春雷 やがて言葉につまる

この一字空けは必要だという意見には賛成。春雷 やがて言葉につまる、という言い回しが繊細でいい。しかしここにも虚空が出てくるのだが、これはまずいとちょっと思う。村雨、虚空、いずれも言葉がやや恣意的に選ばれている感じがして上の句が全体的に重い感じがする。

大森静佳さん

非常に澄んだ透明感のある文体ですらすらと読める一連。そして何よりも明るい。健康的な抒情性があるのが魅力。ゆびという題材を歌ったテーマ詠で、それにそった歌を並べてきた。

 踊り場に葉を踏みながらゆるやかに体の軸を取り戻したり

きれいに流れた良い歌。「踊り場に葉を踏みながら」とステップするかのような口調で上句を述べていき、ゆるやかに体の軸を取り戻す、という。大辻隆弘に同案の歌があるが(「やはらかく体の軸が傾ぎたり幼きは足に胡桃を踏んで」)これは自分自身の身体感覚について述べている。三句目「ゆるやかに」は平凡だが歌に負荷をあまりかけないつなぎ方で、うまいと思う。

 すんすんと月夜を伝い降りてくる一茎のそれはひかり 無名指(むめいし)

すんすんはオノマトペ。「すんすんと」から一体何をつなげてくるのだろうという期待感とともに韻律を加速させていく。「月夜を伝い降りてくる一茎のそれはひかり」 これは完全に喩的な光景だろうとおもうが、一見でまかせのように、詩的純度をたかめて、最後に具体物、無名指(くすりゆび)に落ち着かせた。情景のような比喩のようなあわい57573音とそれをすとんと落ち着かせる4音のうまさが光る一首。情景として薬指が一茎のひかりになって月夜を降りて来るという奇想が光る感じがする。


 あなたの部屋の呼び鈴を押すこの夕べ指は銃身のように反りつつ

銃身のようにという比喩は、まずまず効いているとおもう。ここに作者の恋の感情のようなものを読み取ってもいいだろう。指に「反りつつ」という句で呼び鈴をおすことへの緊迫感をだそうとし、さらに「銃身のように」というちょっとぎくっとする比喩を付け足した。すこしだけ景に流れてしまって感情が読み取れない感じもあるが、きれいにまとまっているのでいいとおもう。夕べは勿体ないがしょうがない。これでいい。


 歳月が言葉に移るまどろみのしらかみに飛び交うゆびの影

しらかみはおそらく白紙のことだとおもう。白紙にゆびのかげが飛び交っているという想はおもしろい。そこに「歳月が言葉に移るまどろみの」という上の句をつけた。まどろみというのはほわんとしたうたたね。それを「の」という短歌的な言葉で上手につないでいっているように思える。

ただ、「歳月が言葉にうつるまどろみの」は若干歌意が判然としない。歳月が言葉に移るあいだのまどろみ、という意味だろうか。無理やりによめば、作者は本を読んでいて、そこで歳月が言葉に移る、と感じたのであろうか。
そうするとしらかみの以降も納得ができるが、すこし理に勝ちすぎた感じがしてもったいないように思う。


 つばさ、と言って仰ぐたび空は傾いてあなたもいつか意味へと還る

これは人の死のことを詠っている歌とも読めるし、失恋の歌ともよめる。「あなたもいつか意味へと還る」が若干抽象的すぎるような気がして、上の句との対応も忙しい。「つばさ、と言って仰ぐたび空は傾いて」で、1回情景を意図的に動かしているのに、さらに「あなたもいつか意味へと還る」とすると、上の句がやや作意的に動く感じがして技巧走った印象が強くなる。そして下の句の歌意が確定しないのが残念な歌だ。

藪内亮輔さん

 この歌は岡井すぎると言はれをりほの暗き花の暗喩のあたり

岡井隆さんそのまんまの口調で、岡井さんの歌を読んでいるような錯覚に陥った。ほのぐらき花で完全に岡井調。これは作者が意識してやっていることなのだろうが、「岡井隆を静かに捨てて」ゆくと言っているわりには歌が岡井隆を全く捨てていないというのも面白い。

どの歌もうまいが、完全に岡井調。これはどう説明すればいいのか。先人の岡井さんに意図的にオマージュを捧げている一連ととっていいのか。

 男つて苦いと思ふ。(それはそれ)寒雲に花の栞をはさむ

 散りながら集ふことさへできるからすごい、心つていふ俗物は。

一首目、この「思ふ。」は岡井調だが、「寒雲に花の栞をはさむ」は余技を許さないうまい省略された表現。実景としてとってもよいし心象としてとってもよいと思う。寒雲という言葉の響きの良さと、花の「栞」という言葉使いに非常に魅力を感じた。花を空に散らしていく情景があって、その様子を栞を挟むと表現している。これは非凡な下句だし、上句「男って苦いと思ふ。」という言葉使いには体温が感じられ、バランスがとれている。歌の形を最大限に生かしている作者だ。

二首目、文体が完全に安定していて、ふつう文語旧かなでは「すごい」は入れられない感じがするのだが、この場合はぴったりと合っている。ただ歌意はちょっと読み取りづらい。こころは本当に「散りながら集ふことさへできる」のだろうか。これは完全に歌の韻律だけの力で「ああ、そういうものなのだな」と納得させられるような歌の作り方。言葉に無理がかかっていない。

 詩は遊び?いやいや違ふ、かといつて夕焼けは美しいだけぢやあ駄目だ

このあたりがちょっと連作の下限なのかなという感じがしていて、文体の力は感じさせるが軽く流した感じのある一首。ちょっと一連のなかでは弱く見えるかなと思う。夕焼けが詩の暗喩だということを見せてしまうと歌がつまらなくなってしまうので夕焼けという言葉の選択をもっとぼかしたほうがいいのかな。

 ゆふぐれがつよくなつてく頃合ひに既視感のごと花は咲くんだ

既視感、岡井隆、そういうタームを逆用して鮮やかな詩的世界を展開した作者の技量には感心する。しかしこの一首でいうと、既視感のごとくまで言い切ったほうがいい気がするし、やや「花は咲くんだ」、の口語は甘く(感傷的に)入ってしまった印象がありうまくはいっていない気がする。

この作者の類い希な技法へのセンスを感じる。早めに岡井調から脱却して(もうしているのかもしれないが)次の世界を開拓してほしい。

笠木拓さん

詞書を膨大につかった意欲作。

文体は一定せず、ときどきどきっとするような反応を見せる歌も見られる。不思議なテンションの歌が並んでいると思って拝読した。(詞書は省かせていただいて書いた)

 ほよほよと流れる川の先が海、とは限らない 山の彼方だ

ほよほよというやや頼りない言葉から何を持ってくるのかと期待しながら読むと、「海、とはかぎらない 山の彼方だ」と二回拍あけ(読点含む)を入れて、文体に蛇行感をだすのに成功している。こういう文体だよという宣言のような歌だと思った。ほよほよと、のあとに屈折が入っているのがいいし成功していると思う。

 たそがれは領域というより轍 京都御苑の砂利鳴らしつつ

たそがれに対して「領域というより轍」という発見を歌にした歌。これはあんまり見ない、新しい表現だと思った。認識と認識を対比させているかのような上の句で、これはうまくするとシャープに切り取られるような気がする。ただ、下の句はやや認識に対して平凡についてしまった印象がある。もうすこしたそがれを細かく描写するようにすると、上の句が生きてくるかも知れない。

 お姉ちゃんみたいな人がまたひとり人妻になる 縁石をゆく

インパクトが十分な上の句。お姉ちゃんみたいな人とはどういうことか。自分のお姉ちゃんとも、その辺のはすっぱなお姉ちゃんともとれる。それがまたひとり人妻になるというのは俗っぽいが不思議な発見である。僕は自分のお姉ちゃんだと思った。下の句もきれいについていい歌だと思う。

 河に原、疎水に畔(ほとり) 今日ひらくページをいつか忘れようとも

歌意が取りづらい一首。河に原があり、疎水には畔があるということは、なんとなく類義語をまとめたような印象がある。河にも疎水にもその横にあるものがあるという意味だろうか。そのあとで「今日ひらくページをいつか忘れようとも」というのは何とも意外な詩的飛翔でわかりづらいが、ものごとの横にあるものはずっと覚えていたいという意志のあらわれのような歌の気はする。本を読んでそれを発見したのだろうか。難解歌だ。

 いまでも、という間に過ぎる今があり錦林車庫に市バスは眠る

これはきれいに決まった歌。いまでもという間に過ぎる今がある、というのはうまい発見で、そのあと過不足なく錦林車庫に市バスは眠るという下の句がついた。錦林車庫という響きをふくめてイ音で一首が統一されており、するすると読み下せる。響きのいい一首だ。


野栄悠樹さん

歌にまだムラがあるが、
不思議な読後感のある一連。


 側溝に棄てられたのは弁当の空き箱。蓋のないただの箱

このどさっと投げ出すような感じの読後感はなんだろうか。ふつうは蓋のないただの箱とはいわず、なにか別の情景をくっつけてごまかしてしまうところだが、あえて「蓋のないただの箱」まで踏み込んだ感じはものすごくいいと思う。こういう感じは新しいので大切にしていってほしい。

 合併を余儀なくされて住民は住所の変わる朝を迎える

これもどさっと作ろうとしているのだろうが、平凡に作りすぎてしまっている。住所の変わる朝は当たり前すぎるようにおもう。これは悪い発見にはまってしまった不運な歌だ。

 病院の看板ばかりのホームから静かに去っていかないでくれ

上の句淡々と描写しているようだが、いきなり呼びかける感じが不思議な歌。ふつうの感覚ではしずかにさってゆく○○よなどと詠嘆してしまいがちだが、結句が非常に不思議な読後感をもたらしている。こういう抜いた感覚を大切に歌って欲しい作者だと思う。


 ハンカチをくれたあなたはどの駅の灯りを頼っているのでしょうか

一行詩のような一首であり、かすかに抒情性をたたえた感じでまず成功した歌だと思う。こういう歌は景のとっかかりがないのでむずかしいが、不思議ときれいに見えることがある。ハンカチをくれたあなたに対してどの駅の灯りを頼っているのでしょうか、と呼びかけるのは不思議だが、どの駅に住んでいるのだろうかというのをぼやかして歌うとこういう形になるのだろう。灯りを頼っているという呼びかけが不思議な一首だ。

以上ざっとではあるが京大短歌18号の感想を書いた。

この形では疲れすぎるということに気がついた自分にだめだしをして今日は寝る。
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