石川美南さん、『裏島』、『離れ島』 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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石川美南さん、『裏島』、『離れ島』

石川美南さんの双子の歌集、『裏島』『離れ島』を拝読する。

石川美南さんの魅力を一言で説明するとなんだろう。なかなかうまい言葉がみつからないのだが、「あはれ」よりも「をかし」の歌を作る人、そしてときおり女性らしさ、優しさを感じられる歌を作る人と表現すればいいだろうか。

石川さんはコミカルにもの事を見せることも出来るし、抒情性のある歌も作れる、そして奇想に走った歌もうまくまとめられるという器用さがある理知的な歌人だ。きっちりと短歌の枠組みを踏まえているところには強い信頼感がある。

短歌以外のところでも、定価を抑えて価格を出したり、本の装丁にこだわったりというところにも独自の美学があって、本当に読書を、本を愛している方なのだろうというイメージがある。

短歌愛好者だけではなく、本好きの方にも多く愛好されているというのも頷ける。

僕は抒情性と一首の屹立性を大切にしたいと考えるところがあるので、石川さんの良い読者ではないのかもしれないが、特に『裏島』では、石川さんは詞書を膨大に使い、連作性を重視する方向で歌をつくっている。前の歌が次の歌にかかっていることが多いので、一首単位で鑑賞するとなるとなかなか難しいものがある。ただ歌数ほど読みにくい感じはしない。すらすらと読み下せる一連が多くて、基本的には読みやすい歌集だと思う。

 『裏島』から10首を引いてみる。

 恐怖映画の終はり辺りでぱつと死ぬ男が好きで何度も観たり

 街灯のともる頃まで賑はへり葬儀屋、花屋、石屋、小鳥屋

 水鳥が羽を動かす場面のみ無音の映画 これはかなしみ

 ゴミ置き場掃除してゐる腰つきのペンギンめきて阿部さん優し

 何だみんな私から離れたとこで勝手に恋とか育みをつて

 めんるいのすきなおっとがするすると書斎からぬけでてくる音す

 遠目には 光る夜汽車の内側に怒つたひとは一人もゐない

 月がビルに隠されたなら遺憾なく発揮せよ迷子の才能を

 移民史のはじめに海があることをひらめかせひとすぢの灯台

 色つやの良い海ですね不機嫌は話さなくても伝はりますね

 『裏島』は非常に連作性の強い歌集になっており、タイトルも「荻窪グッドマン、午後八時~」とか「大熊猫夜間歩行」とか、なんだか大胆でキャッチ-な一連が多い。連作ごとの評価は別として一首の鑑賞からまずは始めたい。

一首目、「ぱつと死ぬ男」が効いているとおもう。「恐怖映画の終はり辺りで」と上の句7音の韻律の加速感を感じながら、「ぱつと死ぬ」という言葉が意外性を持って立ち現れてくる。この感触が気になって採った一首。

二首目、この歌は「葬儀屋、花屋、石屋、小鳥屋」というセレクトの意外性が効いている。「賑はふ」という言葉のあとに付く言葉としては「花屋」だけはふつうなのだが、葬儀屋はおかしいし、石屋と小鳥屋は完全に奇想である。この奇想をちょっと混ぜるあたりが石川さんの本領であると思う。

三首目、これは「かなしみ」という言葉をうまく使った秀歌の分類に入る歌。「水鳥が羽を動かす場面のみ無音の映画」というのは美しい情景だ。そこに「かなしみ」という言葉を入れることによって一首が非常に美しく仕上がった。モノトーンの光景のなかに読者を誘うような静謐な味わいのある歌だ。

四首目、可愛く仕上がった一首。ガーリッシュな感じとはまた違う可愛らしさなのだが、「阿部さん」を見るときの「ペンギンめきて」という表現には、奇想とも女性らしい発見とも言えるような不思議な味わいが良く出ている。集中ではこの歌のできばえはすばらしい部類に入ると思う。

五首目、作者の自己表白といえば自己表白なのだが、「何だみんな私から離れたとこで勝手に恋とか育みをつて」と口語で一気に読み下すときの読後感が心地よい。作者は自分の知らないところで恋を育まれることを嫌っている、という散文にしてしまうとつまらないが、「何だみんな~」以降一気に書き下される勢いにこの歌の魅力はあると言っていいだろう。

六首目、「するすると書斎からぬけでてくる音す」と、というサ行の表記のなめらかさを採りたい一首だ。かなり工夫が凝らされた一首で、こういう音韻を音韻ともつかないような形で自然に短歌に投入してくるあたりに作者の技量を感じる。この歌はそれがきれいにはいった一首で、美しいサ行のつらなりをとりたい。

七首目、やさしさがにじみ出ている一首。遠目には と一旦据え置きしながらも、「光る夜汽車の内側に怒つたひとはひとりもゐない」とあえていうところに、世界を優しく見ようとするまなざしが感じられる。本当は世界には怒りやかなしみのようなものが満ちあふれているはずなのだが、それをあえて「遠目には」と見るところにやわらかい視線がある。

八首目、「遺憾なく発揮せよ迷子の才能を」というこの迷子の才能が思いがけない発見。ふつう迷子というのは才能で語られるものではないが、それを遺憾なく発揮せよと言うあたりに作者の思いがけない視点があり、「をかし」の部類に入る奇想がある。

九首目、移民史という言葉が美しい。石川さんの場合、はっきりと社会詠に寄るということは美意識として絶対にしない作者ではあるが、ときおり見せるこういう「移民史」とか「王国」という言葉の裏側に異国への憧憬を感じさせる。ひらめかせひとすぢの灯台、というあたりまで着地がきれいに決まっていて、良い歌だと思う。

十首目、この「晩秋」という連作は出来がよく、どれをとっていいか少し迷ったが、「色つやの良い海ですね」という断言のあとに「不機嫌は話さなくても伝はりますね」という言葉が、微妙にくっつくかくっつかないかというあたりで着地しているのがうまい。作者は海ですね、と海に向かって言葉を投げかけ、そのあと人に向かって「不機嫌は」と言葉を投げかける。この辺の微妙な言葉の使い方のうまさが目立つ一首だ。

さて、『裏島』に関して言うと連作性という側面でもものごとを見ないといけないと思う。僕はたとえば、集中の「大熊猫夜間歩行」はちょっと押しつけがましい感じがしてあんまり好きにはなれない一連だった。

死んだパンダのリンリンが突然竹芝桟橋まであるくという一連なのだが、なんというか、リンリンを物語のなかに押し込もうという感じが非常に強くでていて、その視点を僕のような読者はときどき嫌らしく感じることがあるのだ。

たとえばこんな歌。

 安住の土地・愛すべき仲間たち探し当てた、と誰もが言ひき

 手を振つてもらへたんだね良かつたねもう仰向きに眠れるんだね


このあたりは連作の下限でもあると思うのだが、石川さんの特質である「優しいまなざし」で一見リンリンをとらえようとしているかのように見える。しかし、たとえば二首目の「良かつたね」に非常に押しつけがましい嫌らしさを受けてしまうのは私だけだろうか。リンリンの立場にたってみれば、死んだあと勝手に竹芝桟橋を歩かされ、さらにその作者に対して「良かつたね」と言われてしまってはたまらないのではないか。石川さんは物語を構築しようとするがゆえにときおり物語の対象に対して傲慢になってしまうことがあると思う。

やはり動物に仮託してものごとを捕らえようとした「旅の途中」という連作からも引いてみよう。

 ホラ今日の分ダ(尾を振る)ヨク食ベルノダヨ(尾を振るしかないおれは)

これは犬のことを詠った一連だが、犬を「尾をふるしかないおれは」と言ってしまったあたりに、犬自身がやや窮屈な感じを受けているように感じる。これは作者の「われ」が犬に仮託されてしまっているために起こる現象なのだと思うが、成り代わられた犬の立場からすると一体どうなのか、という視点がごっそりと欠落してしまっているような印象がある。

本来短歌は「われ」という容れ物をどう扱うのか、というところに美しさを取りにいくのが直球の作り方ではあるだろう。しかし、石川さんはリンリンを登場させたり、自分を犬に仮託させたりと、短歌の「われ」を意識的にではあるだろうが外す。そういうときに「ちょっとこれはどうなの?」という歌が無意識に生まれてきてしまうように思われる。ただ、犬を主人公にしたり、パンダを主人公にするという発想は面白いので、あとは完成度ということになってくるのだろう。「大熊猫夜間歩行」にはこんな一首も入っている。

 バタフライ泳ぎしのみにこの夜のインドネシアを津波が覆ふ

 これは作者としては「バタフライを泳いだだけなのにインドネシアが津波になった」、という奇想としてとってもらいたいという歌なのだろうが、実際にインドネシアに津波が起こっている以上、これを奇想としておもしろがって受け取る読者はほとんどいないだろう。はっきりいって危険だと思う。「風通し」の相互批評のときに落とせばよかったのになぜこれをあえて歌集に収載したのか意図がわからない。

 まあこういうふうに「あえて」、ときどきうっかりやってしまう感じのある作者像もまた、石川さんらしさなのかもしれない。

 続いて『離れ島』に移ろう。

『裏島』は詞書を膨大に用いて長大な連作を、という意図が感じさせられる歌集だったが、『離れ島』のほうは詞書は全く付いていない。こちらはじっくりと作者の「われ」を味わってほしいという意図で構成されているような感じがする。一首一首が等身大のわれで構成されているために、安定感があるし、歌材も吉田秀彦から、選挙、競走馬と、非常に幅広くとってあって、逆に一首一首に構成された緻密な奇想が断然に生きている感じがする。『裏島』がもしお気に召さなかったらのならこちらのほうを見て欲しいという感じだろうか。断然『離れ島』のほうが出来が良いように僕としては感じる。

一首一首、鑑賞してみたい。

 息を呑むほど夕焼けでその日から誰も電話に出なくなりたり

情景のうつくしさと不思議な奇想が高度に混じり合った秀歌。「息を呑むほど夕焼け」というのは夕焼けに対して非常に圧倒的な美しさを感じているのだろうが、それでみんな沈黙してしまった、という感じの下の句にするところを「誰も電話に出なくなりたり」という発想の面白さでまとめる。しんとした感じがきれいに歌にはまっている。

 人間のふり難儀なり帰りきて睫毛一本一本はづす

歌としては「なり」が面白いのだろう。この「なり」が、何となくロボットのように睫毛を一本一本外すという行為をコミカルに演出する役割を果たしている。作者は人間のふり~を非常にいやがっているが、それが悲しい独白にならず少しユーモラスに感じさせるあたりにこの作者の味わいがある。

 うろこ雲のひとつひとつを裏返しこんがり焼いてゆく右手かな

うろこ雲をこんがり焼いてゆく、というのはなかなか出ない発想で、これも不思議な味わいのある歌。こんがり焼いてゆく、という表現は「うろこ雲」とあい混ざって、なんだかうろこ雲がおいしそうな質感を伴って出ている印象がある。

 窓枠に夜をはめ込む係にてあなたは凜と目を凝らしたり

ふつうは窓枠のほうが夜を縁取っているのだが、窓枠に夜をはめ込むとしたところに認識を逆転させた作者の「をかし」さがある。そういう「係」があるというのもおもしろい。下の句はきれいに流れているが、「にて」はちょっと「なので」という感じを出し切っているかどうかは疑問な気もする。

 ゐるだけで絵になるといふ感想をけやきにも友だちにも持てり

この歌の面白さは、「けやき」と「友だち」を並べたところにあるのだろう。非常におかしみがあって面白い発想だ。韻律もきれいに流れており、ゐるだけで絵になる、という上句の「ゐる」からの入り方も面白いし、「けやきにも友だちにも持てり」という何気ないさらっとした歌い口にも好感を持った。

 鳩に礼、冬空に礼、これからは寂しがらずに生きると誓ふ

鳩に礼、冬空に礼、という上の句に、そこはかとない心情が伝わってくる一首だ。これはわりあい正統的な語り口で作られているように思うが、鳩に礼、冬空に礼、はなかなかでてこない発想なのではないだろうか。何のための礼なのか、と一瞬考えてしまうがこれは自分自身にけりをつけるための礼なのだろう。そして「これからは寂しがらずに生きる」と作者は誓う。きりっとしていて良い歌だ。

 「きらきら」の定義について論じ合ふシンポジウムに識者が集ふ

実際の作品批評会の場面とも、何か異世界のシンポジウムともとれる。そう読者に思い込ませるのは作者の景の切り取り方がうまいのだろうとおもう。「きらきら」の定義という言葉使いが丹念に効いている歌。実際は「きらきら」を定義としてどうとらえるのか、というのを論じ合うのは多分詩や短歌のような文学の世界でしかありえないだろうが、こうして一首にまとまると不思議と違和感がなく伝わって来る。

 恋人の家までの坂 鉄板をだし巻き卵ゆるく転がる

これは正統的な歌の作り方。鉄板をだし巻き卵ゆるく転がる、というあたりの「ゆるく」が非常によく効いていて、おだやかな景の転換を見せている。上の句の恋人の家までの坂との対応もきれいで、よくまとまった歌としてとりたい一首だ。

 紫へまつすぐ暮れてゆく路地に泣(な)き袋(ぶくろ)ある出店ありたり

泣き袋という袋が実際にあるのかどうかはわからないが、不思議な奇想がここでも見受けられる。おそらく泣き袋を売る出店は実際にはないのであろうと思うが、「紫へまつすぐ暮れてゆく路地」という言葉使いに、夜店の感触がうまく伝わっている。泣き袋は、ここにしか入らないというような奇想で、楽しい言葉遊びとして受け止めた。

 営業職の人らほどよくかしこまり帽子交換してをり真昼

ふつうは名刺交換だがこれを帽子交換とするところの面白さである。実際の情景が目にみえてくるようで、名刺を交換するよりも帽子を交換していたほうが面白い。ほどよくかしこまりという描写も、帽子交換にたたみかけるようにおかしさを醸し出させる言葉として機能しているように思う。

最後の二首は物語集から。

 午後二時のロビーに集ふ六人の五人に影がなかつた話

レイアウトのなかでこの一首だけぽんと一ページが費やされていて、非常にインパクトがある一首にしようとする意図が伺える。これは光景としては残りの5人が霊体なのか、とか考えると歌がつまらなくなってしまう。六人のうち五人に影がなかった、これは本当にそうだったのだろうととる。うまく言葉にできないが、五人に影がなかったという即物性に何か奇妙なおどろおどろしさを感じる一首。


 犯人の好物はパフェ 緻密なる調査ののちにわかつた話

かわいらしい一首だ。犯人の好物はパフェ、というのが歌として効いている気がする。ここには石川さんらしい奇想と女性らしいかわいさの混交が見受けられる。物語集のなかではこの一首が一番効いていて、面白いと思った。

『離れ島』の一集は、どの歌からも作者のこれでもかというような心配りが感じられ、見ていて非常に気持ちいい一集だった。おそらく石川さんはこれからもさまざまな媒体で表現の幅を拡げていくだろう。今後の活躍に期待したい。
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