廿楽順治さん、『化車』 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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廿楽順治さん、『化車』

僕は現代詩のことはまったくわからない門外漢なので、変なことを書くかも知れないということをあらかじめお詫びしておく。

廿楽順治さんの詩集『化車』を拝読した。

詩を批評するのにうまい言葉は見つからないが、廿楽さんの詩は、思想や政治、抽象的なものごとをあまりにも容赦なく、俗っぽい言葉でかくことに特色があるとおもう。

しかし言葉の一つ一つに芯の通った強度があり、詩の一編一編を読むたびに、

「うむむ。そう来るか」

という言葉のつよさ、しなやかさみたいなものを感じさせられる。
たとえばこんな一連。まるまる引用する。

   具伝

ぐでんぐでん
きみはわたしをからかっているんですか
戦争になりますよ
のどがかれてどうにもならない
血の雨よこちょう
ぬすまれてやってきた
ろうどうのたましいにも衣をかけてやろう
ずっと
きみのしらないところを浮いてきた
のぎさんは
だいたいなっとらんよ
どうしてちょうちんがそんなにしゃべるのか
それからおれは素足になった
ぐでんぐでん
勝ったのになんだたったこれだけか
われわれが何人だったか
かぞえられるものならかぞえてみよ
後世で
べらべらかたる詩人たちは信用できない
ぐでんぐでんと
いみをすててつたえてみよ
(鬼のぱんつは)
いいぱんつ
きみにはわたしのお経がわかるまい
だって ひとのなまえしか書いてない

さて、これをどう読むか。
ひらがな書きで一見わかりやすいところをついているように見えて、
非常にふかいところを突こうとしている感じがする。


後世で
べらべら語る詩人たちは信用できない
ぐでんぐでんと
いみをすててつたえてみよ
(鬼のぱんつは)
いいぱんつ
きみにはわたしのお経がわかるまい
だって ひとのなまえしか書いてない

これは言語論のようにも見えるし、
深いところで断絶しているようにも見える。

「べらべらと語る詩人たちは信用できない」

「きみにはわたしのお経がわかるまい
だって ひとの名前しか書いてない」

と、この結句にいたるまでに、
「ぐでんぐでん」と「鬼のぱんつ」がはさまり、まるで俗っぽいところと深い断念が同居しているような不思議な気分に僕はさせられた。

この一連からもわかるように廿楽さんは批評性があって、それでいて平明で、決して詩の一行一行の気を抜かない詩人なのだと感じさせられた。

「いみをすててつたえてみよ」



「だって ひとの名前しか書いていない」

という言葉には対応関係があるようにおもう。
ずっと表層的なものを追い求めているが、それはまちがっている。

もっと

「ぐでんぐでん」

を求めよ

ということなのだが、この詩が一筋縄ではいかないのは

具伝



ぐでんぐでん

が一緒くたになってしまって、俗情なのかそれとも本質論をもとめよということなのかがもはや混交されてしまっていることにある。


                   ※

廿楽さんの詩のもう一つの美点は、気持ちのいいところで場面がぱっと変わるということにあると思う。

血の雨よこちょう

と言う詩句や、

のぎさんは
だいたいなっとらんよ

という詩句がいきなりぽんと投げ出されるので、読者はひとつの詩を読みながらまるで多声的な言葉を聞いているかのような気分にさせられる、そういう深みももっていると思う。

さて、なんだか僕の文章も詩みたいに短くなってきてきてしまったので好きな詩をもうひとつだけご紹介してこの拙い感想を終えたいと思う。多分連詩のなかの一行なのだろう。【借家論】という一連である。

脚で揃っているのだがブログでは脚そろえがどうしてもできないようなので前揃えでご紹介する。



にほんごでは読んであげられないから
つまり
となりの中国のひとの名は
この時空の下駄箱のなかにはいなかったことになる
(どういう理屈だろう)
奥さんがかわりに
すべてのことばを代筆した
なにを書かれていたのかわからない
こわいお父さん
(だろ?)
いわれてみればそうだ
時代のなかにいなかったひとはみんなこわい
くらい階段の下を覚えています
あきらめて
そこで
生きていくのである
という あそびかたをした
そのとなりの子とわたしで
世界の容量はふたつにわけられた
(だろ?)
たぶんはんぶんくらいは死んでいる町のこと

ここではかっこうつけて語っています
その子の
お父さんの中国
もはんぶんくらいに縮んでいることだろう
けんかして置き去りにすること
そのはんぶんの容量として
かれは満身でおこった
わたしたちのいたことをおぼえているか
死んでしまうと
なんどもおんなじ日々をくりかえすしかなくなる
びんぼうひまなし
のこりのはんぶんを詩にかけても

じゃあるまいし
まったく相手にされない
いまでは
階段の下ごと世界の容量は駐車場になってしまった
いちじかん
ごひゃくえん
いるだけでお金をとられてしまうんだよ
うちの子は
はるかな外にいってしまった  
訪ねていくと
わたしはそこでまた死んで待たねばならなかった
この時空の下駄箱のなかにいないひと
(というけれど)
それはどっちだろう
こころのないものは容量としてわからない
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