「率」2号(1) | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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「率」2号(1)

文学フリマで購入した同人誌の紹介。今回はその続きである。

今回は、本命の「率」2号を拝読する。

実は以前、ここに集う人たちがどういう短歌を作る歌人かということをほとんど全くと言って良いほど知らず、紹介でもできなかった。(「町」のときはやむをえず書けなかった)ので、一体ここに集まる人たちはどういう歌を作っているんだろう、という興味が湧いて、これを買うために文学フリマに行ったといってもいい。

招待作品は内山晶太さん、小原奈美さん、馬場めぐみさん。同人会員は藪内亮輔さん、瀬戸夏子さん、川島信敬さん、平岡直子さん、松永洋平さん、吉田隼人さん、吉田竜宇さんである。

評論は一切なし。

もう短歌しか並んでいないので、これは「短歌の鑑賞をせよ」ということなのだと思う。

粛々として、短歌の鑑賞にうつる。

一体どんな世界を見せてくれるかなのだが、内山晶太さん、藪内亮輔さんは「知っている」作者なので、いいかなあ、とは思うが体力に余裕があれば。という感じにしようと思う。僕のなかで「どんな短歌を詠うのかがよく分からない人」を優先してとりあげたい。とりあえず興味を持った人「順」という取り上げ方をするが、目次ページとは違う感じで短歌をとりあげる。

まずは「率」を僕に売ってくれたという個人的な理由で、

平岡直子さん「装飾品」から取り上げる。

「感想書きますね」、と約束をしたのも平岡さんだ。

正直にいって、「わからない」という印象が強い口語の歌だとおもう。この鑑賞もあっているのか間違っているのかさえよくわからない。ただ全体的に「詩」のほうへと歌をひっぱってきた感じのする一連。

「装飾品」とはかなり無骨なタイトルが投げ出されているが、中身はとてもきらきらしている感じがする。



①速度計の針はふるえて絶対にほんとうに泣くか何度も聞いた

②撒いたのは母のはははとははとはの立つ人しゃがむ人おめでとう

③夜と窓は強くつながるその先にひとりぼっちの戦艦がある

④きみが思うわたしの顔を思うときそこにぽっかりあく空洞の

⑤バス亭でひととき虫に懐かれてどうせ誰にでも降る雨だった

⑥炎、歴史、美しい脚、三面を持つ心臓を尾行するだけ

⑦歌を甘くみなさい まずい珈琲に浮く埃すらああ光ってる


①、作者がどちらかというとエモーショナルな言葉使いを強く志向しているということがわかる下の句になっている。「絶対にほんとうに泣くか何度も聞いた」、というのはかなり厚ぼったく言葉を塗りつけている感じがするが、なんというか、感情のそそりたつままに一点突破しようという感触の歌だと思った。上の句、「速度計の針はふるえて」、は、車に乗っているシーンなのだろう。一定したスピードでずっと走っている。この速度計の針の「ふるえ」と、下の句はきれいに連結できているように思える。自分が運転しているのか助手席に座っているのかはわからないが、もう一人の相手に「絶対にほんとうに泣くか」と何度も聞く。この行為にははじけんばかりの情感の強さが感じ取られると思う。とにかく感情のほうが先にたって、ぐいぐいとひっぱっていくような感じのする一首だと思った。それは、「速度計の針はふるえて」の「ふるえて」と言う言葉がそうさせているのだとおもう。本来なら速度計の針はずっと震え続けているものなのだろうとおもうが、作者はまるでなんでもないことのように「速度計の針はふるえて」と針のふるえを枕にしたような言葉使いをしている。どちらかというと一瞬を切り取ろうとした歌だと思った。


②これは面白い言葉使いの歌で、修辞的にはオノマトペと意味の中間ぐらいを歌っている感触のある歌。あえてひらがなでひらいてあるが、上の句の、「撒いたのは母のはははとははとはの」は、おそらく母の「ははは」(笑い声)と、「はは」(母)と、「は」歯というふうに実際の光景にも還元できるように作ってあると思う。そして、そのあとを短歌的な「の」でかるく接続して、下の句には「立つ人しゃがむ人おめでとう」という句をつけている。ここには、完全な口から出任せというか、言葉の感触に身を任せて作りました、という感覚を強く感じる。こういう歌は成功しているのか失敗しているのか判断が難しいところだが、僕は成功しているように思った。母の「ははは」と「はは」と「は」のは、何かコミカルな感触を実景として受け止めて、母の笑い声とその「はは」の歯という状況を説明しているととり、下の句では実景としておそらくコミカルに立つ人しゃがむ人おめでとう、とつけたのだろう。このタッチが軽いので、良い言葉つきの「口から出任せ」として受け止めることができるように思う。


③は一読して最初に立ち止まった歌。夜と窓は強くつながるという言い方に何か強いポエジーを感じ取って立ち止まった。ふつう、夜と窓がでて来たら、そこに「いかに」夜と窓が強くつながっているかという描写を入れて、そのまま一首を終わらせてしまう感じのところだが、この作者の場合、イメージをさらにだぶつかせるというか、「夜と窓は強くつながる」とあっさり説明して、そのあとに強引にぬりたくるように「その先にひとりぼっちの戦艦がある」というさらに強力なイメージを提示させることで、歌を濃密にさせようとしている。イメージが「飛ぶ」感じのする作者なのだ。実際の光景としてもとれるだろうが、おそらくは心理的な光景だろう。本来ならば女性の口語文体からは戦艦という言葉はなかなか導き出せないとおもうが、「ひとりぼっちの戦艦」という表現はちょっと異質な感触が漂っていると思う。歌としては、「夜と窓は強くつながる」、と上の句のほうがポイントになると思う。おそらく窓のこちら側にいる作者の視点からは「夜と窓」というのはとても濃密に見えているのだろう。その先にあるのは「はるかなもの」というか、自分には触れ得ない感じのものである。その象徴としての「ひとりぼっちの戦艦」だろうと思った。「強くつながる」という言葉のほうに逆に新鮮さを感じる。

⑥炎、歴史、美しい脚と一見関係のない三つのものを提示してきて、そこに「三面を持つ心臓を尾行するだけ」、というさらに複雑に絡み合わせたようなイメージを提示していく。とにかくイメージを塗る人だなあと思うが、そのイメージに必然性がないと一首が瓦解してしまう危険性を孕んでいる。ただ、この歌はイメージの必然性という点からみて、成功している雰囲気が漂っている。

「炎、歴史、美しい脚」というのは強引に解釈するとすると、人類の発祥の期限である「炎」、そして人類が記録される様子である「歴史」、そして最後に未来に歩いてゆくための「美しい脚」という3つのイメージの提示であるように思う。そうすると「歌意」の解釈にはなるが、僕はこういう「何を指しているか」という解釈ゲームはあまり好きではない。

この歌は「炎、歴史、美しい脚」というイメージの連鎖的な提示をしたあとに、「三面を持つ心臓を尾行するだけ」、という詩句で、自分の内面について述べている。「三面を持つ心臓」というのは、上の句を受け止めるために「三面」としたのだろう。心臓は何の比喩かとかとは考えないことにする。何か生き物のように脚をもって歩いている「心臓」を連想した。それを「尾行するだけ」というところに、自分の心情の説明が入っている。人間の歴史とか炎とかそういったものが面がある心臓を自分は「ただ尾行するだけだ」、というあきらめのような心境が語られている。歌としては相当な難解歌だが、個人的には好きな歌の部類に入る歌だ。


④も不安定な情感を漂わせている。「きみが思う私の顔を思うとき」というのは「思う」がふたつ重なっているが、あえてそうしているのだろう。不自然な感じはない。きみが思う私の顔を思うとき、というのは、相手が思いうかべている自分の顔、つまりは自分自身の顔とはイコールではない、相手のなかのイメージとしての自分の顔ということになる。そのあとの下の句で、「そこにぽっかり開く空洞の」という言葉には、「相手に浮かぶ自分の顔のイメージ」のなかにぽっかり空く空洞がある、と言っているように思える。結句は「の」でとめているが、これは無力感を醸し出すための「の」のつくりであるように思う。非常に不安定な感じがして、作者の不安感がつたわってくる「の」の止め方だ。結句に強い無力感を感じて立ち止まった。こういう悲劇的な感じの歌の立たせ方はいいと思う。

⑤どうせ誰にでも降る雨だった、という言葉に、この作者のエモーショナルな言葉の立ち上げというか、情感をともなった強い詩句表現を感じる。確かに雨は誰にでもふる。しかしそれを「どうせ誰にでも降る雨だった」と歌い上げることで、「私」が固有にもっているもののの無力感、「私」の思いの強さのようなものが見えている。この下の句は非常にいい。上の句は情景の説明としてはかなりざっくりとしすぎているような感じで、「バス亭でひととき虫に懐かれて」というのは、下の句の雨とは関係がなく、歌としては下の句に連結していないので、失敗しているととしてもいいのかもしれない。ただ、バス亭でひととき虫になつかれるという情景の瞬間のなかに、「いきなり」自分の思いをぽんと「飛ばす」ように詩句を入れている感じが、この場合は際だっているように思った。バス亭で虫になつかれる、そんななんでもない光景のなかに、「どうせ誰にも降る雨だった」という作者の「ただ、どうせ誰にも降る雨だ」という断念のような投げかけが入っているので、それが一首の思いの深さのようなものを補強している、結果的に下の句のエモーションの持ち上げが生きる、という形になっていると思う。これは成功していると思った。

⑦。やはりエモーショナルな言葉の立ち上げ方が目につく一首。「歌を甘くみなさい」、というのはかなり大胆な言葉の挿入で、そのあとに、「まずい珈琲に浮く埃すらああ光ってる」という。結局作者はなんで「歌を甘くみなさい」と思ったのかも、「まずい珈琲に浮く埃すらああ光ってる」といったのかもよくわからないのだが、「まずい珈琲に浮く埃すらああ光ってる」というのは何か身の回りにあるものから大きなものを想像しようとしている作者の雰囲気というか心性のようなものだけが提示されている。「歌を甘くみなさい」という言葉の立ち上げからは想像がつかないくらい、「穏当ではない」イメージの飛ばし方である。とにかく平岡さんの短歌はイメージがよくあっちこっちに飛ぶのである。そして情感がちょっと悲劇的で胸を打つ感じに仕上がっている歌が、総じて胸にうつのである。

逆にはっきりと良くないと思った歌はこの一首。他の歌はいいのか悪いのか、僕には正直判然としない。イメージがなめらかに連結する歌は良い感じで読めるのだが、イメージが連結しない、判然としない歌は僕には解釈そのものがよくできない。

ただこの一首はイメージに頼りすぎているように思う。

ピアニストの腕クロスする 天国のことを見てきたように話して

この歌は、ちょっとピアニスト、クロス、と天国の、がきれいすぎるかな、という気がするのだ。平岡さんがこういった歌のほうを主眼に作られているのであれば申し訳ないのだが、ふつうきれいに対応する、というのは作者の美点とか技量ということになるのだけど、平岡さんの場合はきれいに対応させるということが必ずしも「成功」したとは言えないような気がする。

なんというか、上の句でクロスという言葉を出し過ぎてしまったので、下の句の「天国のことを」というのがイメージとしては、ものすごく陳腐なことを言っているのではないか、という気分にさせられてしまった。ちょっと歌としても、感情の立ち上がりがそんなにはっきりとは見えず、あまりにも妥当すぎるラインに落ち着いてしまったかなあという感じがする。

ただ、おそらく平岡さんの一連の場合、読み手によって多分良いと思う歌に相当な幅が出てくると思うので、どの歌も捨てずにもっておくといいと思う。僕は「平岡像」として、エモーショナルで感情の表出がとてもうまくて、それでどことなく悲劇的な感じのする作者像、イメージの構成力で勝負するタイプの歌人。と言う印象を受けた。こういう僕の「平岡像」も、多分新たな平岡さんの作品によって更新されていくことになるだろう。今後の作品が注目される作者の一人だ。




続いては瀬戸夏子さん。

「二上」というタイトルがついている。長い連作である。

一読しておののいた短歌がある。

魚とスーパーどちらも美しい袋につめる夜にあたまのなかからわかってく

夜、作者はスーパーマーケットにいた。お魚を美しい袋につめる、ここまでは行為としてわかる。その上に、さらにスーパーまでうつくしい袋につめてしまう。これは尋常ではない。ここからいきなりゆっくりと「詩」が動き始める感触がある。「魚とスーパーどちらも美しい袋につめる」、というのは実は実際にお魚を袋につめながら、何かスーパーまで頭のなかにつめていくような雰囲気のある上の句だ。

そしてお魚とスーパーを、頭の中の袋につめながら(これで実はリアリティがあるようで十分にリアリティを欠いた表現なのだが)「あたまのなかからわかってく」としている。一読して、2,3,秒考えた。うーん。ふむふむ。

ん?? この作者はとんでもなく深い発想の持ち主なのではないか????

滞留時間が長いというか、こうやって日常のことからちょっとずつ異化されて詩になってゆく感じが強いので、読者がふーん、そうか。という感想に辿り着くまでにちょっと時間がかかるというか、ワンテンポ遅れた感じで感動がやって来るのである。この一首に似ているのはなんだろう。中澤系さんのポエジーともちょっと違う。今橋愛さん感じともちょっと違うが似てる感じもする。

夜にあたまのなかからわかってく

というのは、普通出てこない発想で、この作者はどちらかというと口から出任せのように歌をつむぐ傾向のある作者なのだとおもうが、はまるとすごい深い歌になる。整理されていないものごとがあたまのなかからだんだんわかっていく、その行為を、お魚とスーパーを袋の中につめながら、だんだんはっきりさせてしていく。。。なんだかこの作者の「認知する」という行為そのものを、一首のなかで見せられているような、すごい哲学的な一首だなとおもう。

これは、凄いインパクトがある、と思った。

おれの新聞をとってくれ りんごはいい りんごは体によくないからな


これはりんごを、「とてもいい」といっているのか「いらない」といっているのかちょっと読みがぶれる。ただやっぱり感動があとのほうからやってくる文体なのである。おそらく作者の父か何かが言っているような設定で仮託されている文体なのだろう。そう考えるとりんごは「いらない」といっているほうの説をとりたい。

しかし、

「りんごはいい りんごは体によくないからな」

という文体のリフレインにものすごく効果を感じる。

何でこの人はりんごは体によくない、なんて思っているんだろう。そんなことはどうでもいいのだ。とにかく「りんごはいい、りんごは体によくないからな」と言われているのだ。ここには日常の会話から取材してきて、それを突き抜けちゃった呪術的なポエジーみたいなものを感じさせられる。

うーん。すごいなこの人。いったい何者だ?

という感じにさせられた。

どうやら作者も、このフレーズが効果的なことを自分でも自覚しているらしく、最終歌でやっぱり同じフレーズをもう一度つかっている。これはちょっと癖になる、いい文体を手に入れてしまわれたように思う。

僕はこの作者に関しては今回この二首だけでいいと思っている。他の歌はちょっと脇道にそれるというか、この二首に比べるとインパクトが薄い。

ただ、発想としては日常的なところを歌いながら、口から出任せ感に身を任せて歌が「はまる」のを待つというタイプで歌を作る作者だと言ってもいいのではないか。

強いて連全体について感想を述べるとすると、一首目、二首目、三首目、五首目あたりまでで完全につかみには成功しているが、途中のいろんな出来事でどんどん韻律が早くなってしまっていて、それがだんだん読者である僕には掴みづらい感じに見えているように思える。



夕映えのみちひとすじにさしてからぼくの復讐よろこんでいる

似た文字でたましいを信じゆくべきのひとさし指でよごした金貨

強盗は消防士にはやさしいと狂いかれらの腋毛を愛していると

思い出や記憶もないことが 冬にうまれたこととはなんの関係もないと



これは1首目、2首目、3首目(スーパーの歌)、5首目、7首目なのだが、歌としてはすごく舌っ足らずな感じで、これは韻律がゆっくり進んでいく感じで受け止めた。この作者は、すこし文体のテンポを遅くしたほうが読者に響くと思う。

1首目は、舌足らずな表現が何か逆に気になる感じの歌。「夕映えのみちひとすじにさしてからぼくの復讐よろこんでいる」という詩句からは、助詞が完全に省略されている。夕映えのみち(に?)ひとすじにさしてからぼくの復讐(を?)よろこんでいる、という感じでところどころ助詞がないのだが、それがこの作者の場合、歌のペースを遅くさせるような効果を発揮していていいと思わせるところじゃないかと思う。

2首目、たましいを信じゆくべき「の」という「の」の使い方はあえて間違わせているような印象を受ける。こうたどたどしく一首をつなぎ合わせてから、3首目に最初に細かく書いたお魚の歌である。

この文体というか、間違えた文体のまま進んだほうが一連としてはいい感じになったかもしれない。

たとえば中盤のこういうつくりの歌ははっきりとよくないと思う。

踏みこむ心臓に髪生えて花はさかりにそう血液をさかのぼる水

年をとりどんな愛でも許されない風邪っぴきの星のやわらかいうんち

 (だれかの家のバスルームにつづく自分の家のバスルームの扉?)


ちょっとリズムがはやすぎるというか、上の二首はかなりいろいろイメージを詰め込んでしまったがために、文体が急迫になりすぎてしまった。一首目。踏みこむ心臓に髪生えて、まではわかるが、花はさかりにそう、と一回花に場面転換して、さらに血液をさかのぼる水ともう一回今度は血管のことにもどる。この場面転換が忙しすぎて、読者が余韻を味わっているひまがない。

もう一首目は、年をとり、から風邪っぴきの星のやわらかいうんち、までに着地させる感じの飛躍の仕方は、やっぱり体感として「速いなあ」というふうに感じてしまう。この歌はある意味秀歌なのかもしれないが、ちょっと僕には「速すぎる」ように感じた。三首目もわかりやすい歌なのだが、助詞がきれいに揃ってしまっているのと下の句一音足らずで、リズムがはやくなっている。僕はこういうリズムのはやい瀬戸さんの文体は、ちょっと忙しい気がして、うまく言葉にのれなかった。

ただ、既に述べたとおり、はまったときにものすごい破壊力を秘めているタイプの作者だと思うので、この感覚をぜひ大切にして歌ってほしい。



次は川島信敬さん。「サンデー」。10首。

どちらかというと口語の文体のなかに、日常のドライな感触を読み込むような文体の持ち主なのだろうと思う。まずいいと思った歌を3首あげることにする。


降りだした雨ですこし汚れたヒール 弱さこそが悪だと思う

欺いたり欺かれたりは憂き世の常だから 駅前に迷彩シャツの青年ひとり


この2首はどちらも「箴言的な心情の説明」プラス「情景の描写」で成り立っている歌だと思う。

一首目は、「降りだした雨ですこし汚れたヒール」と、あまり575には入らない状況の説明の仕方をしている。こういう575には入らない状況の説明をすることで、なんというか微妙な屈折感を上の句で提示することになる。そしてそのあとにはっきりと、「弱さこそが悪だと思う」としている。状況の説明と箴言的な言葉のマッチアップが上手に出来ているので、この歌は読んでいて深い納得感がある。

もう一首は、上の句で箴言的な心情の説明が入る。

欺いたり欺かれたりは憂き世の常だから

これも575にはあんまり入っていないが、やはり屈折が感じられる文体だと思う。その「憂き世の常」のあとに、「駅前に迷彩シャツの青年ひとり」という情景の説明がやはりかなりシャープに577に入っている。その情景のシャープさが心地よい。この2首はとてもうまくいっている感じだとおもう。

もう一首あげよう。これはかなりクールというか、じぶんがはっきりと世の中から「覚めている」ということを自覚している一首なのだとおもう。

重なりあう唇と唇 あたらしい服を買うほどの高揚もなく

これはキスをしていて、それがまったく高揚がなかったという日常の覚めたワンシーンを描いている一首なのだと思うが、あたらしい服を買うほどの、とする言い回しにものすごくクールな感じが出ていると思う。日常をとにかく覚めた視点で捉えようとしている。その覚め方がほんとに何の高揚も感じさせないほどにクールなので、思わずそんなに覚めて歌わなくても、という変な慨嘆を覚えてしまう。これは良い歌だと思う。

逆によくないと思った歌も3首。

つぎに来る悲しみがこの悲しみを掻き消すだろう なんてね、てへぺろ

この「なんてね、てへぺろ」は僕は「俗っぽい歌は反対」主義者なので、この「てへぺろ」のふざけている感じがあんまりよくないと思う。やっぱりクールならクールに淡々と現実を歌いとるべきで、あんまり詩句としてふざけている歌は入れておくべきではない。という、僕の基本的な前提からこの歌には反対票を入れたい。

何気なくきみがつぶやいた革命家の名を帰りの電車で検索してみた

Sundae(サンデー)ってSunday(サンデー)じゃないんだと制服姿のいもうとがいう

この2首は完全に散文じゃないのか、と思う。何気なくきみがつぶやいた革命家の名を帰りの電車で検索してみた、は、どこにも詩のとっかかりのない、ふつうの散文になってしまっている。塚本英雄に革命歌~の歌があるが、これは句跨りがはいっているから韻文として機能するのであって、この歌は、57577の歌に抑揚が全くなく、韻文の急所がない。

うーん。もしかすると「字あけ」か「破調」の歌じゃないと良い歌にならないのかな。という余計な心配をしてしまう。僕は最終的には字あけはなくすべきだと思っているので、これはあんまり良い傾向ではない。

Sundaeの歌もどちらかというとだらっとした散文になってしまっている。さらにこの歌の場合、「いう」が不自然に受け止められる可能性がある。表記にしないとSundae(デザート)とSunday(土曜日)の違いはわからないはずなのに、「いう」としているところに、やや表記の便利さに頼りすぎたかなあという気がしなくもない。

もうちょっと色々句をムーブさせて、韻律に抑揚がついてくるとなおいいと思った。むしろ全部定型をはずすぐらいでちょうどいいのかもしれない。韻律と自分との距離をどう図っていくか、がこの作者の課題になるだろう。




対照的に松永洋平さんの歌は、どの歌も韻律がのっていて全部韻文として機能していると思った。几帳面な韻律感覚のある作者。連の途中で韻律を微妙に外し始めるが、これは芸として受け入れられる感じがする。

いいと思った歌。

①紅つばき揺れてあなたに伝わればいいなくらいでレーザービーム

②買い物は世界を救う救わねば神の見えざる手の放射線

③掃除機でパンダを倒す夢を見て身近な人がパンダに見える

④アフリカの骨になるって背を伸ばしあなたは白いブラウスを着る

⑤青い鳥飛ぶことのないさみしさのバスケットコートの錆びた柵

⑥革命の号令としてTシャツを着せたらハチ公も生物兵器


わりと良い歌が連続して出てくる感じがあって、付箋を張り出すとちょっととまらなくなるのでこの辺でやめておくけど、どの歌も一首としてうまくまとまっていると思った。即物的な素材を扱ってもきれいにまとまるし、叙景的な歌を歌ってもとてもきれいにまとまる。それはこの作者が韻律に対して絶妙のバランス感覚をもっているからだと思う。韻律へのバランス感覚というのは、作者によってさじ加減が違うのでなんともいえないのだけど、この作者はほんとにバランスがいい。こういうことはすごく大切なことなので、ぜひ韻文を歌いつづけて欲しいなと思いながら読み進めた。

①紅つばき揺れてあなたに伝わればいいなぐらいでレーザービーム

は、鑑賞するとなると結構難しい。このレーザービームは、もちろんほんとうに出したわけではなくて、あなたにむけて心のなかで出したのだろう。「あなたに伝わればいいなぐらいで」という詩句、とくに「いいなぐらいで」というあたりの感触がこの歌の急所になる。紅つばきが揺れて、あなたに(自分のこころが)伝わればいいなと思う。そういう段階でいきなりあなたに向けてレーザービームを出す。これはおかしみのあるコミカルな内面の歌で、どろっとしたところがないのがいい。

②買い物は世界を救うという描写から神の見えざる手を連想するのは、おそらく経済学の発想なのだろうけど、これは歌としてきれいに入っている。「買い物は世界を救う」で一回切れて、「救わねば」で溜める。そして「神の見えざる手の放射線」といきなりまるで連続しているかのように言葉を77に入れている。この溜めてからまだどばっとだすという韻律上の感覚はなかなか努力でどうにかなるわけではない。これは即物的な「買い物」という素材から発想しているが、「神の見えざる手の放射線」とまるで連続した語であるかのように見せるテクニックはすごくいいと思った。放射線から、読者はじんわりと世界を統べている「神の手」のなまあたたかさのようなものを感じると思う。ちょっと新しい感じの状況詠として受け止めた。

③これも即物的な発想から良い感じで韻律が流れている歌。「掃除機でパンダを倒す夢を見て」というのは意外性のある夢の見方だが、ここは奇をてらっていてとてもいい。そのあと、身近な人がパンダに見える、としているのは、掃除機で人を倒したいという欲求のようなものが歌い込まれているのだろう。まあみんな倒したい、そんな破壊衝動をちょっと感じる歌だ。

④⑤は抒情歌。しんみり見せることが出来る良い歌だ。

④アフリカの骨になるって背を伸ばしあなたは白いブラウスを着る

は、「骨」と「背」と「白いブラウス」がうまく一首のなかできれいに歌になっている。「あなた」は、骨になるって背を伸ばす。ここから作者があなたの後ろ姿を想像している様子がイメージとして受け止められると思う。まるで逆光のなかで「あなた」が背を伸ばしているような印象を受け取った。それはこの歌の、「背を伸ばし白いブラウスを着る」という表現の周到さから来ているのだと思う。作者が「背」を伸ばし、白いブラウスを着るという表現は、非常に爽やかな印象を一首として読者に提示する。上の句、それを「アフリカの骨になるって」と言っているが、ここには下の句の「背を伸ばし」という表現とリンクする上手な歯切れの良い修辞を感じさせる。背の骨が「アフリカの骨」という大胆な描写とうまくリンクしていて、意外性とはるかな感じを読者に提示することになる。周到に計算されたとても良い歌だとおもった。


⑤青い鳥飛ぶことのないさみしさのバスケットコートの錆びた柵

これはさみしさのは少しベタな表現だが、下の句「バスケットコートの錆びた柵」が非常に意外性をもっていて、青春の抒情というか、淡い感じを読者に提示している。下の句で「バスケットコートの錆びた柵」にフォーカスさせるあたりに、しんみりとした抒情を感じさせる。その上の句で、「青い鳥飛ぶことのないさみしさの」としているが、これは平凡だがバスケットコートのの意外性を際だたせるための表現。「青い鳥飛ぶことのないさみしさ」までで読者は一回空の様子をイメージして、そのあとに下の句のバスケットコートが意外性をもって響いてくるので、読者は非常に爽やかな感触をもって歌を受け止められると思う。淡く練られた青春歌で、これはとてもいい表現だと思った。

⑥ちょっと社会詠に降りていった感じの歌だが、これはハチ公も生物兵器、という言い回しがとても生きているとおもう。まあ実際に革命を志向しているわけではないと思うが、ふつう革命という重たい語を入れてしまえば、ハチ公という表現はなかなか出てこないと思う。「ハチ公も生物兵器」というあたりにこの作者の軽い、「神の見えざる手の放射線」のような斬新な発想の核がある。これはとても遠いところを歌いながら、ハチ公というとても軽いものに降りていった着地の感触がうまい。良い歌だと思う。

一連全体とてもいい感触の歌ばかり並んでいるのだが、ちょっと露骨過ぎるかな、という歌もいくつか並べて置こう。

外国人と私は違う 速報で流れる犯人逮捕の知らせ

君たちの死ねよはみんな冗談で空想上の生き物はいない

前屈のままでテレビの音を聴く やっぱ女は死ねって思う


これらの歌は、ちょっと露骨に社会を歌いすぎていて、「死ね」という言い回しもこの作者、ほんとに「死ね」って他者に対して攻撃的な衝動があるのではないか、というあたりに危うい感じを感じた。あまりにも露骨過ぎるので、もうちょっと抑えて用意周到に歌った方が良いと思う。連作として歌数がおおいのでこういう歌も入ってしまうのはしょうがないのだが。

一応ここまでで一旦前半戦を終わらせる。
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