「岡大短歌」創刊号 | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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「岡大短歌」創刊号

「岡大短歌」創刊号を拝読する。

これを拝読しながら、ツイッターで、岡大短歌の上本彩加さんが、

「指導者の正しさの中で成り立つしかない歌はどこかで限界を迎える気がする。学生だからいい歌、学生だから許される表現、学生の中で多い言い回しだからダメ、そんな「学生」のあり方としての短歌会を立ち上げたわけではないしそこでしか生きない歌なんて作りたいとは思わない。決して。」

とかっこいい決意表明のツイートをしていたことを拝見した。

もともとの文脈がどういうものだったのかはちょっとまぎれてしまって、よくわからないのだけど、おそらく「指導者のいない短歌会は危うい」とか、「新興の学生短歌会は読みが危うい」とか、無責任にも言う年長の歌人がいたんだろうと推察した。(間違っていたら申し訳ないけど)

すこしこれに関連して感想を書くけれど、はっきりいってこれは岡山大学短歌会が背負うような問題ではなくて、今まで地方の新興の学生短歌会が「私もやりたい!」と思わせるような空気を作って来なかった年長の短歌の先輩たちに問題があると思う。

少し自分に引きつけて話をすると、自分のころ〈当時は29歳でした)というか、自分が短歌をはじめる、と決意したときは新潟に住んでいて、なんとなく短歌をやるためには東京に出ていかないといけないんじゃないか、的な感じがすごくあった。

周囲で少し短歌でも、というサークルを検索してみたんだけど、ほとんどが年配の方ばっかりで、若い人がいない。。。

ネット上に「地元ですごい歌人がいる」なんていう情報は全くあがっていなかったので、地方に住んだまま短歌を始められる、という気が全くしなかった。(つまりは、自分が作るような歌をちゃんと読んでくれそうな人がいなそうだった)。そもそも短歌始めたころなんて、文語?、何それ、おいしいの? というレベルだったし。

はっきり言えば、今、地方都市の短歌会なんて、どこも読みが危ういんじゃないか。

70歳とか80歳の「先生」が、若い感受性を発見できる可能性なんて、皆無に等しいのでは??

そういう自分たち(というか短歌界全体)の問題を棚に上げて、新興の短歌会は読みが危ういとか言っても、全然お話にならないと思う。むしろ短歌界の求心力の低さ、柔軟性のなさのほうが危ういのではないだろうか?

僕が東京に出て短歌を初めてみても、「ああ、こいつら地方都市のことをなんも考えてないな」という雰囲気は如実に感じた。多くの若い歌人たちが東京近辺に在住で、地方在住者の文化的なハンデキャップとか、そういうことに全く関心がない。なんか善良な人たちがつどって、歌会というクローズドな場所でのみぼそぼそと自分の意見を言う。そんな風潮は僕は嫌いで、できるだけオープンな場所で歌についての話をしていきたい。と思った。

岡山大学の皆さんが、おそらく中国地方、四国地方というかなり文化的なハンデキャップを持っている土地柄で、
それにもかかわらず自分たちの短歌会を開き、こうして創刊号まで出せたことに敬意を表したい。

いただいた創刊号については、謝意を込めて、真剣勝負を挑ませていただきます。
もちろん、歌に関しては学生だからOKな表現とかそういうのは一切ないと僕は思う。

「同人誌」、基本的には僕は全部感想を書くことにしているので、今回の岡大短歌も「同人誌」の扱いで読みます。

。。。

あと余談を自分で言うのもなんですが、このブログはいただいたものを律儀に全部返しているつもりです。。。

いただいたものを無碍にするわけにはいかない。
かといっておはがきでお礼状なんて書いて適当にすませるなんてことも、できそうにない。

打ち込みのほうが楽だし、読みたくない人は別に読まなくていいし、お礼状のようにもらった相手が逆にかしこまって返事を出す必要もないから、ブログに全部書くことにしている。僕が体力があって、時間に余裕がある限り、このブログ形式でのお礼状を続けます。大体お礼状で絶賛されても作者がうれしいだけで何の得にもならないし、さらにお礼の手紙を返す、なんて体力的に作者側の負担になるだけだから、していません。

という訳で、逐一お手紙やメールで感想を、なんてことはしていません。もし岡大に限らず、この感想が作者に届かない、ということがあったら本当に申し訳ないです。僕がもっと忙しくなったらこのブログも更新は停止して、お葉書になるかも。それもさらに申し訳ないですが。


                         ※


ということで全体をぱらぱら読むと20首連作を出している方が、3人。駒井早貴さん。森下理沙さん。上本彩加さん。

8首の方が稲岡沙織さん、高谷由貴さん、安良田梨湖さん。


ちょっと前置きが長くなりましたが、8首の方からいきます。

稲岡沙織さん「タブラ・ラサ」

8首拝読して、歌になる衝撃を見つける能力はすごく高いけど、まだ歌のつくり方とか推敲の仕方が未成熟だな、という印象を受けた。

「これはいい歌になるんだけど」という歌がいくつもある。
たとえばこんな歌。

・盲目は青を氷で知るというなまぬるい青を君は知らない

これ上の句は非常にいい発見をしている。そうか、盲目のひとは氷に触れて青を知るのか、というのはちょっと発見として斬新というか、面白いところに着目したなとおもう。だけど、そのいい発見を受け止めるだけの強度を下の句がもっていない。「なまぬるい青を君は知らない」というところで、この「君」が「盲目」のことなのか、普通の人のことなのかわからないし、何よりも「なまぬるい青」というのがどういう青なのか、歌としてはちょっとぼやけてしまった感じがする、青をもう一回繰り返しで使うのはよくなかったのかな。多分、盲目の人が「氷」を感じて青を知るから、「なまぬるい青」というのを知らないということを言いたかったのだろうけど、何分、言葉つきが丁寧すぎるのではないか。


そこで推敲するんだけど、この歌の場合は、上の句で十分な発見をしているので、下の句はなんとなく、関係のないさらっとした言葉を入れて上の句の発見が生きるようにするというのが一つ方法としてある。

あといろいろ方法があるのだけど、君をわかりやすくするか、自分の感情を盛り込んだりするのも一つの方法としてはあるかな。

あと上の句、盲目は、って言ってしまうとちょっと盲目の方に対して失礼かな。

そこで上の句は「盲目のひとは氷で青を知る」くらいで止めたほうがいいと思う。

そこで、ちょっと下の句を何か考えたほうがいい気がする。僕が推敲してしまうと稲岡さんの歌ではなくなってしまうので、この辺で止めておく。 

・白き道踏み荒らすごとくタブラ・ラサに刻む余生はひとりぶんだけ

タブラ・ラサというのはおそらくまっさらな何も書いていない白紙状態のじぶんの人生のことで、哲学用語だという。惜しい歌なんだけど、これだけで「まっさら」とか「白い」というイメージが出てくるので、上の句で白き道の白きは比喩としてはあんまりうまく機能していない感じがする。それを「踏み荒らすごとく」っていうあらあらしい言葉が入っていて、結句は「余生はひとりぶんだけ」となんかぽつんとした、さびしい言葉が入っている。ちょっと言葉のあっせんが、荒々しくいきたいのか、さびしくいきたいのかわからない。歌としては、なんかすごい発見をしそうな作者なんだけど、イメージの統一感に欠けてしまうところが惜しい。

あとの歌でちょっと悪いと思ったも引きます。ちょっと言葉が重複するのが悪い癖かな。

・夢うつつ掴んだ手?は赤色だった目覚めてもモノクロの世界で

・呼び出して。特別だったあの日々は読めない日記に埋もれているから


一首目、赤色っていっていて、モノクロの世界、っていっていて、これ言葉の対応があまりにも同じトーンすぎる気がする。

二首目、あの日々、といっていて読めない日記、っていっているけど、これも言葉がだぶつきすぎると思うですよ。

まずは発見をきれいに歌にまとめるところからだと思う。いい発見はしている。あとは一首としてどう折り合いをつけていくか、だと思いました。僭越ですがそんな印象を持ちました。こういう人は鋭さで勝負するタイプになるのかな。先が楽しみです。

高谷由貴さん「永遠、ではない」

同じような女性の口語のきらきらとした文体なんだけど、高谷さんの歌は発見をきれいに歌にまとめることができていて、いいと思った。どの歌も渋く一個、いい発見を入れているなあという感じがして、好感を持って読んだ。

・終わりとか破滅とかいう歌詞を書くこのバンドもう二十五周年

・足と足が触れそうになるあたたかさ絶対ではないけれど好きです

・さよならが永遠じゃない幸せを測りかねつつひと駅歩く


一首目はもう発見をぽんと投げ出した感じだけど、「終わりとか破滅」という歌詞を書くこのバンドがもう二十五周年も続いている、というのにはかるい発見の衝撃があって、いいとおもいます。ざぶとん、一枚。という歌だと思いました。

二首目 絶対ではないけれど好きです、という言い回し、いいですね。なんというか不安定な感じがして、自分のこころのなかでちょっともやもやっと滓をためている感触というのを、「絶対ではないけれど」、からは感じました。でそのもやもやっとした「絶対ではないけれど」という言い回しを、上の句がうまく表現してるな、と思います。「足と足が触れそうになるあたたかさ」これは「あたたかさ」ていう言い回しがちょっと平凡だけど、足と足が触れそうになる、というこの「触れそうになる」のあたりに、すごく危うい感じ、不安定な感じがでていて、絶対ではないけれど」というもやっとしたものとうまく対応していると思いました。


三首目もひと駅歩く、がとてもよくて、実感がこもっているなあ、という気持ちになりました。このひと駅歩く、でだいぶ歌が救われたというか、上の句の「さよならが永遠じゃない幸せ」という漠然としたものをうまく具体物に落とし込んで表現できている、そんな印象がありました。実感が入っている歌が、いいなと思います。

なんか目を細めてたらですます調になっちゃった。

あとは悪いところも指摘しておくけど、やっぱり言葉のあっせんがうまくいっていない感じの歌も結構あって、

.・望みを問う口の形の花たちに こっそり水をこぼしてみる朝

とか

・たんぽぽのロゼット君は顔上げてやっと私に微笑んでくれる

とかはちょっと言い足りてない感じがする。

上の歌は歌意としては一つ目は、花が水くれ、って言っている歌だと思うんですが、「望みを問う」という言い方が言葉として適切かどうかはちょっと考えるところだと思います。望みを「問う」でいいのかな。そうすると、なんだか花のほうが逆に私に「何か希望はないの」と聞いているような歌になってしまっていて、これは歌意が真反対の意味になってしまう。多分花が水が欲しがっている、というところから発想が生まれてきて、そこでうまく望みをという言葉までは出てきたのだろうけど、ちょっとどういう歌意にするか自分でも迷って「問う」とか入れちゃったんじゃないかなと思う。歌意が二通りになってしまった。この水は自分が涙をこぼした、という歌意でとれてしまうんだけど、それだとちょっと上の句が固いなという印象。あと真反対の意味になる歌意の歌はさすがにぶれすぎという印象がして、これはちょっと言い足りてないというか、もっといい歌に化ける可能性がある歌だと思う。


もう一首目は、僕はロゼットという言葉を使ったことがないのでよくわからないんだけど、たんぽぽのロゼットって、たんぽぽってそもそもロゼットじゃないですか? (wikipediaで調べましたが。)たんぽぽの葉のことをロゼットといいたいんだろうけど、なんかこの上の句がうまく機能していないなあという印象です。

それは上の句と下の句が対応していないというところから来るんだろうけど、たんぽぽの葉、として読んで、

たんぽぽの「葉〈ロゼット)」 きみは顔上げてやっと私に微笑んでくれる

これ、どういう発想で上の句と下の句がついたのかわからないです。なんか、情景というよりは説明として「たんぽぽの葉(ロゼット)」が置かれてしまった感じがすごくしてしまう。これ、下の句は「やっと私に微笑んでくれる」とおさまりよく動作を歌っているので、こういうぽんとおかれた説明というよりも、なるべく心象をあらわす情景をあげたほうがいい。と思いました。「咲いていくタンポポの花」、でもいいし、「タンポポの広がる野原」、でもいいし、何か動いた情景であったほうがよかった。かな。まだ上の句と下の句をうまく対応させる技術が足りてない感じがしました。ケースバイケースだから難しいんですけど。

安良田梨湖さん「なれる、なれない」

この作者は今回テーマに沿って歌を並べてきた。面接前夜という具体的な情景を歌にするあたり、いいと思った。文体としては岡大のみなさん女子力がとても高くていらっしゃって、きらきらした口語なんだけど、どの作者にも独特の個性があるように思った。

・履歴書の四角い枠に収まってシュレッダー行きを知らない私

・腕時計はずしてつるんとした手首これから何に縛られるだろう

・ぶつかった人に小さく謝って最短距離を行くのをやめる


かるい、若い作者独特の憂鬱というのか、ちょっとした青春の不安というのかな、そういうものを歌にできていると思った。面接という人生のテーマに沿った発見がどの歌にもあると思うんだけど、一番いいとおもったのは最後の歌。

これは連作からシングルカットして一首の歌にしてもすごくいいところに目線が行っている。情景としては、実景としても読めるし、心象風景としても読めるし。これすごく大事で、実際の風景としてもよめて、心象にもなっている、という歌が、読者が共感できる歌の条件の一つではないかと思うんです。

これ、実際の風景としては駅のホームとか雑踏のなかで人ごみにぶつかってしまって、最短距離で目的地にたどりつくのをやめたという歌にもなるんだけど、もっと心の中のことかな、最短距離で人生のゴールへ行くのをやめるというか、何か人生の障害に作者がぶつかってしまって、それで「最短距離」を行くのをやめた、という全体のテーマとしても読める歌。すごく完成されていて、この一首は飛びぬけていいと思った。

あとの歌はちょっと言葉がざっくりしすぎてるというか、共感を得るにはまだ至っていない感じ。

2首目にあげた「これから何に縛られるだろう」は、ちょっとなんというか、腕時計ときれいにくっつきすぎてしまっているというのもそうだし、感情の表白としてはすごくシンプルで。いや、会社に入るとか結婚するってことはそんなに縛られるとかそういうマイナスイメージだけではないよ、という反論が聞こえてきそう。気持ちはわかるけど、これは「学生だから許される歌」になっちゃってないかという感じ。

もっと前向きに歌って、いいんじゃないですか。なんか作者本人はすごく明るい方なんじゃないかな、文体もどちらかというと軽いし。

1首目は、これもうまいところに着眼したんだけど、文体が「私」で着地しているところがどうも説明っぽいというか生々しさが欠ける感じがしました。

シュレッダーでわたしが切り刻まれていく! とか。もっと現在形で手放して、歌をうごかしたほうがこの歌はもっといい歌になる気がするんですよね。この歌は下手するとすごいなまなましい歌に化けるかもしれないので、それはずっと大切にもっておかれたほうがいいと思います。


あと何気ない歌だけど、

・眠るなとポニーテールが言うからさ座席を起こして天気予報みる

も、なんだろうとおもって付箋をつけました。なんでもない歌なんだけど、天気予報ということばがなんとなく詩的に響いてきて、いいんじゃないかな、と思います。日常のなにげないところに詩を見つけるのは難しいけど、こう散文的な文体のなかにときおりこういう歌が混じっていると、ちょっといい意味で気になります。

続いて、20首と8首を出してきた方。

駒井早貴さん「友人S、そしてケイ君」「台北行き157便」

8首のほうは相聞歌で、20首のほうは台北旅行から取材したと思われる紀行詠かな。
この作者は落ち着いた文体だ。文体から感じる落ち着き具合という点では岡大の中でも目立っていると思う。

「台北行き157便」は、丹念に台北への旅中をデッサンしていて、落ち着いた雰囲気の紀行詠となっている。

歌としてというよりも連作として、まずしっかり書けているというところ、非常に好感を持ちました。

・山上に九分(チョウフェン)はあり煉瓦にはのんびり腹を掻いている猫
(※分はにんべんに分)

・提灯を灯すのはだれ階段が闇を持つから早めに帰る

・人ごみを避け路地裏で串ものをほおばりたまにこぼして笑う

・タクシーを降りれば雨だ動かない衛兵の前で静かに傘を


どの歌も過不足なくデッサンしているのがいいし、淡い抒情もある。まずは完成度の高い一連だと思いました。これといって難癖をつけることもなく、素直に「ああいい歌が並んでるな」と思って読みました。ただ衝撃力というか、これはすごいのをもってきた、という感じが弱い、といえば弱い。もっとひらたくいうと、言葉の選択に幅があんまりない。で、それを補うために漢字とかいろいろなものを持ってきたのであれば、少し危険かな、という匂いはします。ただ、、作者の文体というかデッサン力が落ち着いているので、この一連はこれで、いいと思う。

掲出の4首はどれもいいと思った歌のなかからあえて引っ張ってきたのだけど、たとえば4首目、雨だ、しずかに傘を、という感じの呼吸の落ち着き具合というか、文体の持っている呼吸を最大限に生かしていると思いました。雨だ、傘をという言いさし、ちょっと口語の歌としてはもうたくさん見たかなあ、という形ではあるんだけど、
自分の視点で捕えられているというか、自分の呼吸で歌うことができていて、これは雰囲気が出ていてGOODだと思います。

3首目、あんまりいろいろなものを詰め込みすぎると歌ってよくないっていう批評があるんだけど、この歌の場合、逆にいろいろなものを口語でつめこんだからいい感じになっていて、すごく情景を動かしていていい感じ。「人ごみを避け路地裏で串ものをほおばり」には勢いが生まれていて、特に中の句の「たまにこぼして」がうまく効いている感じがしました。とてもいい感触の口語の歌で、好感を持ちました。

あとは1首目もとてもきれいに書けているかなとおもいます。モチーフと文体(歌いたこと)が良くマッチしていて、とてもいいと思いました。

気になった歌は、そうですね。8首詠のほうがあんまり出来がよくないというか、ん、これ「晴れのち神様」(田丸まひるさん)みたいな世界観なのはまあいいんですけど、ちょっと概念語を扱うのがあんまり上手でないな、という印象を持ちました。

ゆるーくデッサンしていったほうがいい歌になる感じがするんです。

・恋人を友人Sに還元し自由になった身体のしずく

とか。

これ還元っていうことばを無理やりいれちゃったので全体が固くなってしまった、というか、読者が躓いてしまう原因の歌になってしまった気がするんです。不自然な漢語を入れて、途端に歌意が広がらなくなってしまった、というか、初歩的なミスをしてしまっている歌のように思います。

たどたどしいなあ、あやういなあ、という感じの歌他にもあって、

・気付いたら生協にある好きだったチョコのお菓子がなくなっていた

これ、短歌の生理として、初句と3句目に、気付いたら、って一回作者の感想みたいなのが入っていて、そのあとに好きだった、ってまたもう一回作者の感想みたいなのが入っていて、なんだかこれは説明しちゃいました、という感触が出てしまっていて、変。

あとはそうだなあ、べったりと説明したような歌が並んでいて、8首詠は完全に初心者の作品というクオリティだと思いました。こういうところは歌いなれていくと消えていく箇所だと思うので、まずはゆるーくデッサンというところを心がけていかれると、いい作者になるんじゃないかなという印象を持ちました。

森下理沙さん「Softly,as in a Morning Sunrise」「ところにより、ドロップス」

とても才能のあるきらきらした歌が作れる作者。20首詠、今回読んだ岡大のなかでも「おおおっ」という歌が一番多くて、付箋がたくさんつきました。

ただこれだけは言いたいんだけど、旧かなと新かなの混交は絶対に避けてほしい。歌を旧かな表記にするっていうのは、ある程度、歴史性を背負うというか、伝統の重みを一身に受けると言うか、そういう部分があります。ぼくは旧かなで作るとき、確かに結構間違いもしたし、選者の先生から「これは正しい表記ではない」というふうに言われて、そこは何度も何度も怒られ続けてきたところなので、口が辛くなるんですが。。。


多分「Softly,as in a Morning Sunrise」は連全体が新かな表記で、

一首だけ旧かな表記の歌が混じっています。

山頭火の引用だから旧かなにしたのか、という感じなんだけどこれはまずい。

・人間いたるところ青山ありわけいつてもわけいつても私の茂み

こういうところ、誰かの評言にもあったような気がするんだけど、言葉とか歴史性をツールとして使うというか、表記の重さということにまで考えが言っていないのではないか、という感触があります。絶対一連のなかでは新かなは新かな。旧かなは旧かな。混ぜこぜにするのは校正者に不親切だし、伝統性とか歴史性という言葉を引き受けるだけの覚悟があるの?? という疑問が寄せてくるので、やめたほうがいいです。

この作者は新かな表記の歌のほうが迫力があります。

・あの人をふしあわせにしてハラキリのように引ききるアイラインは黒

なんでしょうね。このハラキリが出てくるあたりの言葉の斡旋のすごみというのは。引ききる、というあたりまで言えているのがこの歌はよくて、ハラキリのように、という言葉が唐突に出てきても、読者は納得できてしまいます。とても、すさまじい歌だと思います。

・春光の ロボトミー手術受けてみたけれど川面のそれはきらめき

ロボトミー手術という言葉がいきなり挿入される感じ、すごいっす。ロボトミー手術というのは精神病の人に行われていて(今は禁止されている)手術方法なのだけど、春光の、で一旦きれて、言葉付きとしてはやわらかい感触なのにいきなり「ロボトミー手術」が入ってくることでおどろおどろしさを表現しています。

・ゾンビ的悲劇のヒロイン自意識の香りは腐臭に似ている

これもなんかすさまじい歌。ゾンビ的と腐臭はやや言葉の配置が似ているのかなあ、という気がしないでもないけど、まあ自意識を、これでもかっ。っていう感じで腐臭とかゾンビとか入れてきたあたりにこの作者の強烈な個性があります。インパクト十分。字足らずも、いいんじゃないでしょうか。


・最後からX番目の思想を導きだすための漸化式

漸化式ということば、数学用語なんでしょうけど、これをここで挿入されてくるあたりというか、もう韻律無視、一発の迫力で勝負しました、という感じ、僕は好きです。こういう感じを大切に歌ってほしいです。

・結末を知ってる映画の結末に流す涙のように好きだよ

これ直喩がすぱっと効いていると思います。せつない歌ですね。

こういうタイプの迫力で勝負する人に共通する欠点と言えば欠点なのだけど、読者に届かないというか、届くときと届かないときの落差が難しいんじゃないでしょうか。

世界の終わりとか、何もかも死ねばいいのにとか、こういうあたりの歌は、もう結構表現としては見慣れているなあという感じがして、そういう歌は迫ってくる力がちょっと弱いのかな。

まあ独特の言葉のセンスを持っている作者なので、貴重です。大事に歌ってほしいです。

20首詠出した人は、どうも8首詠が。。。上本さん以外は8首のほうでなんか突っ込みどころがたくさんあります。

この人は文語旧かなにしたいのかなあ。この文体だと新かな口語のほうがいいと思います。口語で3年か4年続けて、それで満を持して文語にシフトしたほうが、いいと思うんだけどな。固有名詞の迫力とか、言葉と言葉がぶつかったときの凄みとか、そういうものを出せるのはどちらかというと口語のほうだから。文語って「調べ」が入ってくるでしょう。あんまりこの作者には調べのよさというのを感じないので、思いっきり口語で、新かなで歌ったらいかがかと。

まだ、文語を使うだけの迫力がないです。あんまり深く突っ込む体力が僕のほうにないので、この作者はここまでとします。

最後、上本彩加さん。「街にいる」「「風が吹く」

ひとことでいえばおだやかでゆったりとした歌い口ですが、濃密な抒情を感じとることができました。かなり言葉を選ぶセンスというか、詩のセンスはいいのではないでしょうか。頑張ってほしい作者です。

8首詠から。

・信号を待っている人ふたりいてとりあえず待っている人になる

・耳たぶの穴をこじ開けられながら風が存在する街にいる

1首目、穏やかな何気ない感じの歌ですが、静謐なポエジーがあると思います。信号を待っている人がいて、とりあえず待っている人になる、というのは、なんとなく自分がその空間になじんだ、というのかな、そういう感触を歌であらわすことに成功しているとおもう。待っているが二回使われていて、この場合は、リフレインが「自分が」待っている、という感触になるあたり、非常にいい言葉つきをしているなあと思って読みました。

2首目、概念語を入れるのは難しいんですが、この歌は成功しているかな。「風が存在する街」というのはとても雰囲気があって、何気ないことを歌っているんですが、そこから醸し出されるポエジーを感じました。穏やかだけど詩的なセンスを感じます。

20首詠から。

タイトルは無骨だけど、どうも無骨なタイトルのほうがなんか中身がいい感じはしますね。

岡大のなかではかなりハイレベルな勝負をしてきてるとおもいます。

どれも成功していると思った歌を。

・合鍵をもたない風が玄関のドアを揺らしている音がする

・ひとつはやい角を曲がればいつもとは違う景色に生活がある

・春色のニットをまとうマネキンも冬の寒さを知っている人

・薄暗い空気にそっと溜息を混ぜても気づかない街がすき

・もう今日は昨日へ変わる この道にわたしを残し影は眠った


一首目、擬人化がうまく効いていて、風は確かに合鍵を持たないのですが、とてもいいところに着眼して詩を作っている感じがいいと思います。歌意もすぐとれるし、なんだか静かだけどとてもいい雰囲気の歌です。

二首目、この歌は生活、っていう言葉の響きが買える歌だと思います。言われてみればそうなんだけど、いつもとは違う景色に生活がある、って発見としてはなかなかそうは歌えない印象があって、おだやかで、とてもいいと思いました。すんなり心に入ってくる歌ですね。定型の生理とか、そういうものをよくわきまえている作者だと思います。


三首目の発見もいいと思います。「マネキン」が「冬の寒さを知っている」というのは、まあ自分の心象が投影されているわけだけど、おだやかなつくりだけど詩情があって、せつないです。

四首目、これもいいところに目を付けたなあという感じ。自分の身体感覚が歌われていると思います。そんなに歌のなかの「わたし」がでしゃばった印象はないんですけど、「溜息を混ぜても気づかない街」というのは、おだやかでいい発見があると思いました。とてもやわらかい詩情があって、いいです。

五首目 もう今日は明日へ変わる、の「もう」と、「この道に私を残し」というあたりに少しせつない抒情が響き合っている感じがします。「影は眠った」もすこし大雑把だけど、詩情を醸し出す文体としては成功しているのではないだろうか、と思います。どの歌もおだやかで、こちらが無理くりに歌意をとりにいかなくても、十分に詩として機能している感じ、好きです。

あとはハイレベルな話になってしまうのだけど、微妙なところで言葉のあっせんが失敗している感じの歌、結構あります。

・遮断機がつくる空間 砕き散るその瞬間まで見守っておく

・それはみな足跡である道をゆく踏み出してまた広がった過去

・魂が細く吐き出される場所を向かい合わせて会話をするね


1首目は8首詠からですが、空間と瞬間と概念語を二回入れたあたり、言葉のあっせんの仕方としてどうなのよ。という雰囲気。うーん。うまい批評が見当たらないんですが、岡大のひと、基本的に概念語にあまりにもルーズだと思います。瞬間とか空間という言葉をうまく回避して、デッサンしていかれたほうがよろしいかと思います。ちょっと素人っぽく見えちゃうんですよね。

2首目も、過去がちょっとなあという感じ。レベルは高いんですよ。でもなんというか、それ「は」よりも「が」のほうがいいだろうし、過去で着地させるとどうしても「うん、そうですか」、という雰囲気になって歌の形としてまずく見えちゃうあたり、もうひと踏ん張りできるでしょ、という感じです。

3首目 これは判じ物のような歌で、「魂が細く吐き出される場所」ってどこですか? どこですか? って考えて行って、「口だ」、とわかったら、それで一辺に歌がつまらなくなってしまいます。こういうなんか表現が判じ絵みたいになってしまうあたり、いい歌だとは思いませんでした。

上本さんはまだ2年生? これからの歌を、とても楽しみにしています。

さて、これでながながと書いたぼくの岡大短歌への感想も終了です。

読み手が必要ならいつでも僕はネット上で書きますので、頑張ってください。岡大短歌のこれからの発展と、会員のみなさまのご健詠をお祈りしています。
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