「インターネット短歌と少女ゆうれいたち」初出:歌クテル5号(2008年) | ダストテイル-短歌と散文のブログ-

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「インターネット短歌と少女ゆうれいたち」初出:歌クテル5号(2008年)

はじめまして。「未来短歌会」という結社に所属しています、西巻真といいます。「歌クテル」のAIさんから、「ネット短歌」について文章を書いてほしいという依頼をいただきました。あんまり自信はありませんが、全力でがんばりますので、よろしくお願いします。
結社といわれる世界で2年くらい短歌をやっていると、「ネット短歌・ネット歌人」という言葉がなんとなく「蔑称」らしいぞ。ということに気がついてきます。そして、もっというと「ネット歌人」という言葉のなかに、どうやら「ぼく」はまったく入ってないぞ。。。(←注・さみしいらしい)ということにも気が付きます。これは残念ながら、歌クテルのみなさんにも言えることで、どうやら「ネットで短歌を書いている=ネット歌人」というわけでもないようです。
いわゆる結社・歌壇の世界で「ネット歌人」、「ネット歌人」といろいろ言われている人は、どうやらぼくや「歌クテル」のみなさんよりもうちょっと前に有名になった人たちのことを言うらしいです。
そもそもインターネットと短歌のかかわりが有名になってきたのは、どのあたりからなんでしょう。ちょうど「現代短歌大事典」が手元にあるので、ちょこっと引いてみました。
「インターネットを媒介とした短歌の活動は、1995年秋から盛んになり、翌年春に、短歌界全体のホームページと歌人有志をメンバーとする超結社のメーリングリストが開設されてから大きな展開を見た。(中略)98年には、歌人の情報交換や議論にインターネットは不可欠なものとなった」
あらら。けっこう前なんですね。今から12年も前じゃないですか。この記事を書いた坂井修一さんは、僕の師匠である加藤治郎さんとと並んで、インターネット上で短歌の場をつくることに尽力した歌人さんと言われています。
『短歌ヴァーサス』11号の年表によると、1996年に「ASAHIIネット歌会」というのが発足していますから、これをインターネット歌会のはじまり、97年の「現代歌人会議の発足」を、歌人さん同士のインターネットによるメーリングリストによる情報交換のはじまり、と考えてもいいようです。
 98年には、「ラエティティア」という文芸サークルが、加藤治郎、荻原裕幸、穂村弘という三人の歌人さんによる、いわゆる「エスツープロジェクト」によって始められます。
 加藤治郎さんは、同じ短歌ヴァーサス11号のなかの評論で、「インターネット世代」を、「96年以降に登場した歌人」と考えています。そこには、こういう前提があるみたいですね。「ネット短歌」というのは、意外と古い言葉のようです。。
それでは、、「ネット短歌」という蔑称的な言い方で短歌が使われ始めたのは一体いつなのか、調べてみましょう。
2001年に、「未来」の大辻隆弘さんが、未来本誌の「時評」のなかで、「ネット歌人は傷つかない」という文章をお書きになっています。この文章は、ネット上で短歌を発表する人たちのイタイところを、けっこうついているような気がします。少し引用してみましょう。
「いま、結社やグループに属さない純粋な「ネット歌人」たちが増えている、という。さもありなん、と思う。自分のホームページに、自作の歌を載せる。膨大な「声なき黙殺」のなかで、ごくわずか、好意を持ったものだけが掲示板に言葉をのこす。歌人はその耳ざわりのいい言葉だけを読んで喜ぶ。基本的に自分の歌のダメな部分には気づかない。掲示板は、基本的に、傷つかずに済むシステムだと言っていい(中略)たしかに、いわゆる「ネット短歌」は、短歌を不特定多数の人々の前に開く、という機能を持ってはいる。(中略)が、天才ではない、平凡な才能しか持ち合わせていない若者が、インターネットの世界で成長することは、恐らく、ない。歌人が、他人の批判に触れ、新たな表現領域を獲得し自分の歌を自立させてゆくのは、現在のインターネットシステムの状況のなかでは、きわめて困難だと思う」
ぼくもまったく素人のとき、「あ、短歌やってみようかな。」と思ってブログに短歌を書き始めて、すこししてこの文章を読んだのですが、はじめてこれを目にしたとき、かなりショックを受けました。
たとえばブログで短歌をぽんぽん出し始めると、確かに「いいですね。」とか、「西巻さんの作品は大好きです」という感想が(ごくたまーに)かえってきたりはするんですが、「お前ダメ」とか、「この歌おもしろくない」という感想が来ることはほとんどありません。そうすると、どんどん調子にのってきてしまって、「あ、俺こんなもんでいいんだ。」と思ってしまう可能性がある。それって、単なる甘えかもしれない。。。ということですね。
当然ここで言われている「ネット短歌」というのは、枡野浩一さんの「かんたん短歌ブログ」や、笹公人さんの「笹短歌ドットコム」というような、有名な歌人さんが「選」をしてくれる場というのがなかったころのインターネット短歌のことを言っているわけです。どうも「ネット歌人」=「わがままな歌人」というのが、当時の結社側の〈少なくとも未来に長年所属していた歌人の)典型的な反応だった、という感じになるでしょうか。
わがままと言えば、大辻さんは「ネット短歌の仕掛け人」のひとり、穂村弘さんもぼこぼこにしてます。
この「わがまま」というのが、ネット短歌の受け止められ方の大事なキーワードになっているようです。ついでに引用しちゃいましょう。穂村さんの有名な短歌入門書『短歌という爆弾』を読んだことがあるという方なら、何について書いているかわかる、とおもいます。

「穂村弘の『短歌という爆弾』が出版された。(中略)若者に焦点を絞ったシャープな入門書だ。自分の叫びを世界に届かせたい。と身もだえている若者にとって、この書は限りない魅力を湛えているのだろう。と思う。が、私が不快に思ったのは、過激な自己主張を推奨するこの本の、その底に流れている人恋しさのようなものだった。(中略)多分、読者はこのような親しげな会話を読んで、他者とのコミュニケーションの潤滑剤として短歌をとらえ、それに魅力を感じるに違いない。
何か、むしょうに腹立たしい。
一方で、世界に爆弾を仕掛けようなどと大言壮語しながら、その背後で、自分の主張を受け入れてくれそうな者だけとの傷つかないコミュニティを作ろうとする若者たち。自分の主張を世界に響かせたい。が、それを否定する人とは話したくない(後略)」

き、きついなあ。大辻さんは、評論の世界では遠慮なく発言する歌人さんとして有名です。これは、穂村さんだけではなく、「最近の若者たち」もふくめて、ごっそりと批判している感じです。確かに穂村さん自身、ご自分で著書のなかで「ほむほむ」と書いたり、親しい間柄と素敵な関係を築いたりという習性もあります。このあたりを読んでいくと、当時の大辻さんの頭のなかにあった、「ネット短歌=わがまま=ほむほむ」という図式が、なんとなく浮かびあがってくるような気がします。でもまだまだ、「ネット短歌」ってなんなの?というのがよくわかりません。
 
 2004年の12月に発行された『短歌ヴァーサス』7号には、「ネット短歌はだめなのか?」という特集が組まれています。このなかで「リアルな歌のありか」という対談が、荻原浩幸さんと吉川宏志さんによって行われています。そこで、荻原裕幸さんが、対談のなかで「そもそもネット短歌とは?」ということに少しだけ触れています。同じ2004年の10月に発表された「現代短歌研究評論賞」の受賞作が、森井マスミさんの「インターネットからの叫び―「文学の延長線上に」というものでした。それに対する若干覚めた反応としても読めるようなニュアンスがあります。
 森井さんの論文は、若い有力歌人たちからは非常に受けが悪くて、僕自身もちょっとどうかな?と思うところもたくさんあるのですが、そこで森井さんはとりあえず飯田有子さんの短歌を「ネット短歌」として呼んでいます。
 飯田有子さんの有名な短歌を引いてみましょう。

・たすけて枝毛ねえさんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中に撫でまわす顔

これ、ちょっと何を言っているかわかりませんよね。5・7・5・7・7でもなくて、とにかく「たすけて~、たすけて~、たすけて~」と言っている感じ。この歌は、歌人たちの間でも評判がまちまちで、絶賛する人もいれば、「二度と読みたくない」というくらい全否定する人もいます。そのくらいセンセーショナルな作品だったといえるでしょう。
 この対談でも、飯田有子さんの作品に対して、吉川さんと荻原さんの評価は真っ二つにわかれました。吉川さんは「とても奇妙な歌であることは認めるけれども、言葉があまり切実につたわってこない。読者が今までの短歌の文脈で読んだ場合、実感的に読めない」という立場から論を展開されましたし、荻原さんは「従来の短歌史の文脈で読もうと思えば読める歌も飯田さんの歌にはあるけど、飯田さんの歌は、従来の短歌との軋轢、短歌の文脈から出よう出ようという切実さを感じる」というふうに評価しました。
 このことの是非についてはあまり触れませんが、飯田さんの歌は、「従来の短歌とは全然違う、異質なもの=ネット短歌」として、歌壇のあちこちから火の手があがった、象徴的な存在になってしまいました。吉川さんはとても誠実で良心的な短歌の読み手で、「ネット短歌」なんて蔑称は使いませんが、さすがに「短歌の枠から抜け出す」のがそんなにいいことなのか。と言う意味で、苦言を呈していらっしゃるわけです。
 いわゆる「歌壇」と呼ばれる場所、しかし吉川さんほど若者の歌に関心がなく、しっかり読む時間もとれない年齢が上の人たちが、「ネット短歌」というとき、どうもこの飯田さんの歌あたりが仮想敵にされるらしい、ということがわかります。
(さすがに最近はみんな恥ずかしくなってきたのか、「ネット短歌」「ネット短歌」なんてことを鬼の首でもとったかに言う人は少なくなってきましたが)
 しかし、この対談では、さきほどの「じゃあ、そもそもネット短歌とは?」という問いにたいする答えは、まったくといっていいほど結論が出てきていません。司会の江戸雪さんが、「ネット短歌なんて誰が言い始めたんでしょうか?」と、おっしゃられたことを受けて、荻原さんは96年、97年くらいにご自身がインターネットでリアルタイムで活動してきた経験に触れて、こんなふうにおっしゃっています。

「短歌史を知らずに短歌を語るのが恥ずかしいように、インターネットの状況を知らずにインターネットのことを語るのは恥ずかしいことだと思います。(中略)そもそも、インターネットという〈場〉があらわれたとき、そこに積極的に向かった歌人に、偏った作風の傾向というのはなかったんです。(中略)言ってみればオフラインの世界で、印刷メディアや集会を通じて歌人が展開していた活動をオンラインの機能を生かして実践していただけだったんですね。(中略)だから、結社あるいは歌壇対ネットなんていう対立構造は、実質的にあり得ないわけなんです。にもかかわらず従来の短歌に対する対立概念としてネット短歌と呼ばれているものがあるとしたら、それはもう、インターネットの実態とは関係のない別の認識によるものとしか考えられないですね」

 荻原さんのように、95年当時からインターネットを活用して活動をしていた歌人さんからみれば、「ネット短歌」とは何なのか、実態がつかめないというのが実情でしょう。つまり、今現在、ホームページやブログで膨大に発表されている短歌というのは、結社・歌壇の世界では、「ない」ことになっている。伝統的に短歌の世界というのは「紙媒体」でないと評価されない傾向がありますので、ホームページやブログを作っていくら文章や短歌を発表したとしても、ごく一部の歌人をのぞいて、それが「評価される」、というより「読まれる」ということすらないと言っても差し支えないでしょう。
 私自身は、2005年からインターネット上で短歌をつくりはじめて、結社に入りましたが、その経験からすると、もしかすると「典型的なインターネット上の短歌」というものは、やっぱりすでに出来上がっていたのではないか、という実感があります。現在のインターネット短歌というのは、荻原さんがおっしゃるように「偏った作風が存在しない」ということはまずありえません。基本的に、ほぼ全員が口語短歌で、なぜか女性的な作風の作品が圧倒的に多い。そして、彼らの多くが、「結社・歌壇」に対して、なんらかの形でのバリアが存在している。ちょっとこのことについて、掘り下げて考えていってみましょう。

 「歌クテル」の三号に、私に文章を依頼してくれたA・Iさんが、こんなエッセイを書いています。

「結社に回収される。という感覚がある。

 インターネットの世界はまだまだ未整理で、玉石混交の印象が強い。「短歌」とは長い歴史を持つ詩形であるが、いわゆる「ネット短歌」は短歌史ではなくインターネットの歴史(掲示板、ブログ、SNS)のほうに親和性が強いため、インターネットの歴史同様、未成熟だ。独自の体系だった組織はほとんど作られていないのが実状である。

 ネットで詩、あるいは自分語り的な文章を公開するような層は、往々にして自己顕示欲が強く、それでいて繊細で寂しがりやで、人付き合いもあまり得意ではないのではないのかな。
 短歌は「人」の文学だから、とりわけその傾向が顕著だ。匿名の「人」の集団は、組織にはならない。横の繋がりも縦の繋がりも薄いから、光のように消えていってしまうコトバたち。
 (中略)
 結社とは、短歌の伝統的な組織である。結社はいわば宝石の研磨師の組合であり、常に原石を探しているらしい。
「結社に回収される」という感覚がある。回収されることは、上がりであるらしい。
(ほんとうに上がりなのだろうか?)」「歌クテル三号」―rayon de Soleil―

 非常に実感のこもった詩的な文章で、インターネットに歌を出すことの根拠みたいなものが、わりあいはっきり出ている素直な文章です。もちろん、A・Iさん個人の意見であって、インターネットに歌を出す人たち全員の感受性を代弁しているわけではないでしょうが、それでもある一定の割合の人たちの気持ちを代弁している気はします。
 この文章を、結社側から、あるいは歌壇側から批判することは、割合簡単なように思えます。
 先ほど大辻さんの「ネット短歌批判」、あるいは荻原さんの「インターネット短歌の歴史」みたいなことを踏まえて考えれば、非常にA・Iさんには申し訳ないのですが、仮に、あくまで仮にですが、こういうふうに言うことができるでしょう。

・短歌という詩形が長い歴史を保っていることを理解しているのだったら、なぜ「ネット短歌」を自称する前に、先に「加藤・荻原・穂村」のエスツープロジェクトの流れなんかは押さえておかなかったんだ。ようするに、この文章の語り手は単に短歌を自己表現の道具として使っているだけで、別に短歌の歴史につながろうという意識は全然ないんじゃないか。はっきり言えば、こんな「自己顕示欲のかたまり」みたいな表現は、「短歌史を知らずに短歌について語っている」だけで、新しい可能性を生み出す根拠には全然なりえない。穂村弘の「わがまま」と同じじゃないか。

 これは、今の歌壇の重鎮と言える70歳、80歳の人たちだけではなく、もうちょっと若い40代、50代の歌人ですら、「無意識的」にも持つであろう、典型的な反応を想定してみました。しかし、A・Iさんのような語り手に、このような反応をすることはほとんど無意味というか、まったくA・Iさんの感受性を理解していない不見識な批判になってしまうおそれがあると思います。あくまで私は同世代の批評者として、冷静にA・Iさんの文章を分析する必要があります。
 まずA・Iさんは、「ネット短歌」という呼称をご自身で用いていますし、興味深いのは結社に回収されることを「上がり」としてとらえておられることですね。「結社とネット」という対立軸は、むしろネット側のほうにあるのではないか、という気がさえしてきます。
 おそらくA・Iさんの感覚では、「そもそもネット短歌が96年に始まっていて…」とか、「坂井修一さんや加藤治郎さんという人がいて…」ということは、まったく関係がないでしょう。そもそも、A・Iさんがターゲットにしているのは、そんなことも全く知らない
「一般」の人たち、だからです。もしかすると、96年くらいからインターネットで短歌を始めた人たちのなかにも、「一般の人たち」に向けて短歌を開くんだ、という意識は実際にあったのかもしれません。しかし、どういうわけか、ある時期から、新しく短歌を始めた人が「短歌」に向かうとき、そういった一世代前の試みを継承することがなく、全く別個のものとしてしてネット上で活動しはじめてしまったということは、非常に興味深い事
実ではあります。

 歌クテルの巻末には、わざわざ会員メンバーに、「結社に興味がありますか?」というアンケートをとっています。このなかで、いろいろな興味深い答えを、この新しい「ネット短歌」経由の人たちはしている気がします。「ありません」、「あります」。というそっけない答えのぞいて、少しまとめてみましょう。

・興味はあります。理由は自己満足で終わらせたくないから(まる)

・短歌を続ける上で、避けては通れないもの(櫛田碧)

・まだわたしには早い気がします(日野やや子)

・結社名…新アララギ。理由、基礎を身につけたいから(黒須沙里菜)

・興味有 いろんな人に会えそうなので(里都 潤弥)

・かりん所属 理由:見本誌をいただくためにお電話したときの馬場あき子先生の声に惹かれました。(中山洋祐)

・「未来」、新聞で岡井先生の選で掲載されたから(柳原栄三)

・所属しています。見ることと見られることに慣れたかったため入会(成宮玉環)

・興味はあります。でも歌クテルでやりたいことがあるのでまだ結社に入る気はないです(A・I)

・今は興味ありません★多分、食わず嫌いなんだけど今はユラユラ自分の中の歌を続けていたいので(夜考蟲ん)
―『歌クテル』三号 rayon de Rune/rayon de Soleil両号より ―
 ※成宮玉環さん、A・Iさん、夜考蟲んさんのアンケートはSoleil編よりの抜粋。他はRune編よりの抜粋。

 たとえば「まる」さんの回答は、ほんとうに「まる」な感じで、私たち結社の人間が見ても、受け入れやすいもののような気がします。柳原さん、中山さんの回答も、今までの結社入会のパターンとそれほど大きな異動はなくて、よくわかるものになっています。A・Iさんも、同人誌を大事にしたいという理由では、よくわかるもので、ぜひがんばってくださいと応援したくなります。
 櫛田さん、日野さんのなかには、少しネガティブな要素が含まれています。「避けては通れないもの」というのは、なんか結社がすごく肌に合わないけど、必要悪みたいに感じているような回答ですよね。同様に、日野さんの場合も、なんだか結社に対して気後れしているというか、そういうニュアンスが含まれています。
 黒須さんの回答は、入っている結社も、その動機も含めて非常に興味深いものです。
私の場合は、「この人に歌を見てもらいたい。この人の短歌が好きだ」という意識があったので、今の結社に入りました。何か自分と精神的なつながり、自分の歌のある種の感受性が、今の結社とあっているんじゃないか、という意識があったわけですが。黒須さんは、そうではなくて、結社はあくまで「基礎」だとおっしゃっている。これは、自分の歌いたい感受性みたいなものが、「発展」としてあるとすれば、結社にはそれがなくて、あくまで歌いたいものは別にあるんだ。と言っているような感じがします。
 そのほか、「見ることと見られることに慣れたい」という成宮さんの回答は、短歌のことを言っているのはわかるのですが、なんとなく「自分」の比喩として短歌という表現を使っているあたりが、感受性が出ています(※「読むことと読まれること」とはあえてしていない)し、「夜考蟲ん」さんの「ユラユラ自分の中の歌を続けていたい」という理由も、多くの結社に入らない人たちが発する感想で、よくわかるものではありますが、自分の歌、とせずに、「自分の中の歌」というあたりに、自分を大事にしている様子が伝わってくるようです。
 歌クテルのなかから、いくつか作品を引いてみましょう。
 ある種の感受性の質が見えてくるかもしれません。

・オセロしながらちょっとうとっとしてしまいミルクをこぼしたい食卓で(里都潤弥)

・六月の午後にあなたに会うための傘をえらびに行こうと思う(梳田碧) 

・夕焼けが夜と交替完了です 君を迎えに電車に乗ろう(紫)

・くらやみにア イ ア ム ヒ アと云ってみる それを聞いてるわたくしが居る(日野やや子)

・旅人よ種を蒔いたらまほろばの都路に銀の水を浴びよう(まる)

・菜の花の束を抱きしめたい夜はぎゅっと両腕だいて寝たふり(吹雪)

・人魚になるための魔法「かさぶたを毎日そっと剥がしてごらん』(成宮玉環)

・処女率の異様に高い集会で一人くゆらすマルボロメンソール(A・I)

一首目から見てみましょう。一首目は、日常のことをうたった作品に見えます。「オセロ」「食卓」という言葉からは、確かに日常の情景が見えてくるのですが、それでも若干「日常」と切れているような感覚を抱いてしまうのは私だけでしょうか。「オセロしながらちょっとうとっとしてしまいミルクをこぼしたい」というのは、ほんとうにそうしているわけではなく、あくまで「そうしたい」と言っているだけですし、「オセロ」しながら「ミルク」をこぼすという行為も、よく考えるとなんだか奇妙です。なんだか、どうしても「現実の行為」ではなく、頭のなかで発想したような気がするのですが、そこが魅力でもあります。
二首目は、おだやかでわかりやすい恋の歌ですが、「六月の午後」に「傘」を選びに行く、というあたりに、この作者が、「詩」として成立させたい感受性が出ている気がします。この傘が、「服」や「靴」ではなく、「傘」だったところが重要でしょう。恋に対してそれほど身体的・直接的ではなく、ややメルヘンチックな憧憬を内包させることに成功させています。
三首目も、やはり女性の恋の歌。「夕焼けが夜と交替完了」というフレーズはなかなか面白いです。このフレーズは、「夕焼け」と「夜」を実際に見ているわけではなく、擬人化させて作っているところに面白さがあります。
 四首目はなかなか生きづらそうな自己像が提出されています。こういった行きづらさと口語の女性文体がはっきりと融合する感受性も、インターネットの短歌に多く見られる感受性でしょう。
 五首目。「まほろばの都路」というフレーズは、たとえば平安時代の「まほろば」に影響を受けているわけではなく、平安的な世界観を現代的にアレンジした少女小説や、少女コミックの影響を強く受けているように感じます。「種を蒔いたら」、「銀の水を浴びる」という表現は、どことなくりぼん・マーガレットに象徴される感受性が反映された作品世界のような気がします。
 六首目は、イメージと身体感覚が融合したなかなかいい歌だと思いますが、「菜の花の束を抱きしめたい」という語彙のあっせんは、どことなく身体感覚がメルヘンのほうへ移行しているような甘さを感じるフレーズです。7首目も同じく、「人魚」になるための「魔法」
というような、メルヘンチックな主体へのあこがれが歌の素材になっています。
 八首目はとても面白い歌で、「処女率の異様に高い集会」というのは作中主体の感受性の象徴になっています。そこに対して、自分がけがれた存在として「マルボロメンソール」をくゆらす。少女性と、そこから距離をとる自己像を浮き彫りにしています。
このように「歌クテル」を通読してみると、だいたいどの作者にも同じような質の感受性が流れていて、それが作歌動機へとつながっているような印象があります。それは、広い意味でいう「少女性」と言い換えてもいいでしょう。恋愛の歌をはじめとして、どの作者も基本的に「少女の作中主体像」をなぞりながら歌を作っていて、「少女の自己語り」と、口語の文体が密接に結びついているという点で共通項が見いだせるでしょう。「歌クテル」のみなさんは、インターネットでしか短歌を作らないという人たちのなかでも、かなり質の高いほうの作品を書くみなさんだと思うのですが、インターネット上には、同様な感受性を持つ作品が以外と多く存在しているような気がします。
考えてみれば、これは非常に不思議なことです。
インターネットから短歌を始める人の多くは、既製の知っている短歌の数がそれほど多いわけではないでしょう。しかし、短歌というものにあまり触れずに、とりあえずインターネットで作品を書いてみよう。という人たちがまず第一歩を踏み出す時に、まず口語で、しかも女性文体で短歌を書き始めるケースが多いということになります。しかし、短歌というものの歴史を考えてみれば、このような口語の女性文体が確立されてきたのはつい20年ほど昔です。なぜ女性性(少女性)と、口語文体が、彼女たちのなかで結びつくのでしょうか。多くのインターネット作者たちに、文語の素養がないからだ、と断じることはやさしいでしょう。しかし、問題をこのような教養的な側面に限定して語ることは、この時代が無意識に持つ感受性のある側面を捨ててしまうことになるでしょう。たとえば、書こうと思えばしっかりした文語定型の短歌が書けるのにも関わらず、あえて口語女性文体で書き続ける村上きわみのような歌人もいます。多くのインターネット歌人たちも、自己表現の手段として、必然的に口語女性文体を選択しているに違いないのです。

私たちは、この問題の答えを歴史に求めることができます。こういった口語女性文体が登場しはじめたのは俵万智や林あまりといった「ライトヴァースの口語短歌」が始めての試みであるということができるでしょう。そこから後世に受け継がれようとしている感受性の「潮流」があり、それが現在のインターネット短歌に受け継がれていると考えることはそれほど難しいことではないかもしれません。

・「寒いね」と話かければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
・砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね(俵万智『サラダ記念日』)

 もはや古典となった感のある俵万智の口語短歌ですが、たとえばインターネット短歌の口語の短歌を読み慣れている自分の目から見ると、すこし違和感というか、「古いな」という感覚を抱いてしまう、というのが正直なところです。『サラダ記念日』が出たのが1987年。1980年代というのは、戦後日本が「消費社会化」した時代であるというのが定説になっています。たとえば渋谷パルコ・西武百貨店の登場、糸井重里の「ほしいものが、ほしいわ。」に代表されるキャッチコピーなど、「消費すること」が価値として私たちのなかに定着した時代だったということでしょう。

・大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋(俵万智)
・夕照はしづかに展くこの街のPARUKO三基を墓碑となすまで(仙波龍英)
・荷車に春のたまねぎ弾みつつ アメリカを見たいって感じの眼だね(加藤治郎)

これらの短歌に見られるように、俵万智に限らず、ライトヴァースと消費社会の結びつきを指摘するのはそれほど難しいことではありません。しかし、むしろ重要なのは消費社会化が私たちにもたらした感受性の「質」の変化とも言うべきものに目を向けていくことでしょう。これを追っていくことで、「今」の口語女性文体の感受性が見えてくるような気がします。
 批評家の大塚英志さんは、「かわいい」という言葉の使われ方が80年代に入って大きく変化したことに注目しています。たとえば80年代以前には、「かわいい」という言葉は、男性が女性に対して使うものでした。「あいつはかわいい」というとき、それは男性が女性に対して従順であるとか、一種の権力関係を内包する意味の言葉だった。ところが、80年代になって、「かわいい」の意味は微妙に変化していくということを指摘しています。
たとえばすごく強面で怖い先生だけど、「笑うとかわいい」とか。楳図かずおの人形がちょっと「キモカワ」だよね。とか。女性が男性に対して、あるいは他の「モノ」に対して価値を見出すときに、「かわいい」という言葉で表現するようになってきたというのです。
 大塚さんが、80年代の消費社会化を準備したもっとも重要なできごとであると指摘するのが、70年代の「サンリオ」の爆発的ブームであったり、「りぼん」「なかよし」「マーガレット」といった小女まんが誌で活躍した、萩尾望都や竹宮恵子といった「24年組」の女性漫画家であることは、非常に重要なことです。大塚さんの言葉を借りれば、80年代とは、「モノに付加するかわいさの開発が最重要化した」時代であり、「かわいさ」が、商品価値として認められた時代であったということになります。つまり「かわいさ」を価値として見出した日本の消費社会が、「少女幻想の実体化をマスのレベルで初めて可能にした時代」であるという指摘になります。
 短歌における「口語女性文体」のある種の感受性は、自らを「少女的な存在」としてアイデンティファイすることで、その文体的な深化を獲得してきた、という側面があります。口語女性文体は、ひろい伝播力をもって多くの歌人に継承されましたが、それは消費社会が、「少女の時代」であったことと全く無関係ではありません。さきほど、俵万智の短歌が「なんとなく古い」という印象を書きましたが、それは俵万智の短歌が古いのではなく、俵万智という作家が、過渡期の作家として、「少女の視線」と「現実」の間をさまよっていたからに他なりません。

・母性という言葉あくまで抽象のものとしてある二十歳の五月
・土曜日はズックをはいて会いに来るサラリーマンとは未知の生き物
・万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校
・シャンプーの香をほのぼのとたてながら微分積分子らは解きおり
・この子らを妊りし日の母のことふと思う試験監督しつつ
・長い長い手紙を母に書いている八月三十一日の夜
・東京へ発つ朝母は老けて見ゆ これから会わぬ年月の分
・恋愛のことはやめろと諭されて嫁入り道具の一つか歌も

 こうして改めて『サラダ記念日』を読んでみると、この歌集がきわめて「母性的」な歌集であることに気が付きます。俵さんご本人は学校の先生であったということですが、『サラダ記念日』の作中主体は自らを「かわいい女性」として規定しながら、それがやがて「母」になる存在であることを自然に受け入れているような印象があります。自分のことを「万智ちゃん」と自分で言ったり、「サラリーマンは未知の生き物」と表現する作中主体からは、どことなく少女的な「世間知らずでかわいい少女」の感受性がうかがえますが、「シャンプーの香をほのぼのと立てながら」と、先生の視点から生徒を見る歌では、どことなく「母」のやさしさを思わせるものがあります。実際にこの歌集の作中主体は、1首目や5首目に見られるように、自らのことをぼんやりと、「やがて母になる存在」としてアイデンティファイしているような印象があります。
基本的にこの歌集の作中主体と、「母」との関係は、6首目、7首目などを見る限りはきわめて良好ですが、ただ一点葛藤があるとすれば、「恋愛」の歌ばかり作っている主人公を苦々しく思っている親と、「結婚」という価値観に強く反発する主人公の葛藤でしょう。
 『サラダ記念日』の主旋律に流れているのは、自らの「内なる少女性」と「母性」の間で揺れ動きながら、現実(結婚)との葛藤を感じ、やがて自らのなかの母性を引き受けていった昭和30年代後半生まれの女性たちの自己像と言ってもいいかもしれません。この時代の多くの女性たちが、「りぼん」の陸奥A子や、『キャンディキャンディ」を心のふるさとにしながら、半分は独身で会社勤め、半分は結婚して主婦というような選択をしたという指摘が、大塚さんによってすでになされていますが、俵万智の短歌が普遍性を獲得したのも、このような女性の感受性にダイレクトにひびく短歌だったという側面も見逃せないでしょう。
 90年代に入ると、口語女性文体は大きな変容を見せることになります。俵短歌が先駆的に切り開いてきた「少女性」と「現実」という葛藤は、より複雑に、鮮明に私たちの前に姿をあらわすことになります。
 東直子さんは、俵さんと年代的には同い年になる歌人さんです。しかし、第一歌集の出版は1996年。短歌史的には、加藤治郎さんが「インターネット世代」として規定した潮流として登場しました。俵さんと東さんの感受性の違いを考えていくことで、私たちは「インターネット短歌」に見られる感受性を理解することができるように思います。
俵さんと東さんの決定的な違いは、「母性」の問題に帰着するといってもいいかもしれません。自分のなかの「母性」を引き受けながら、現実と向き合う俵的作中主体と、自分のなかに母性を見出さず、そこを客体的に見ることで作品空間を作ろうとする東短歌の違いは決定的です。やはり第一歌集、『春原さんのリコーダー』から、引いてみましょう。

・おねがいねって渡されているこの鍵をわたしは失くしてしまう気がする
・ははそはの母の話に混じる蝉 帽子のゴムを噛むのはおよし
・いいよ、ってこぼれた言葉走り出すこどもに何をゆるしたのだろ
・「ママの手ってわかっていたよしめってて」脱皮したての蜘蛛に朝露
・高熱のこどもとろんと起き上がりアイスクリームが食べたいと言う
・駅前のゆうぐれまつり ふくらはぎに小さいひとのぬくもりがある
・森の中に行ってしまった母さんはいえいえずっとここにいました

 東直子の作品世界から、おもに「母性」に関係がありそうな短歌を抜き出してみました。たとえば1首目は巻頭歌として有名になった歌ですが、「おねがいね」と鍵を渡すのは、日常的な家族の会話にありそうなモチーフです。もちろん、この一首では「母」と断定することはできないのですが、自分より目上の人物から言われた言葉だと想定してもいいかもしれません。そういった人から渡された鍵を「失くしてしまう気がする」というのは、なんとも不安定な心情です。ある種の権力関係を引き受けられない心情が、「鍵」に託されて歌われています。同じ感受性の立場の逆転ともいえるのが3首目で、作中主体は今度は、「こども」に対して「おとな」らしく「いいよ」というのですが、「何を許したのだろ」というように自問自答することで、やはり「親/子」「大人/子供」といった権力関係を、素直に受け止められない不安さを歌の核に内包しています。2首目は、自分が子供として母を見ているのか、それとも他人の母を見ているのかは断定できませんが、きわめて客観的に「母」をとらえている作中主体の姿があります。下句できわめて「母親らしい」フレーズが出ているのにも関わらず、ややノイズのように「母の話に混じる蝉」というフレーズを導入することで、この種の「母親らしさ」を作品世界の一部へと回収してしまうような処理の仕方をしています。
 東短歌には、確かに子どもは非常に多く登場します。しかし、「とろんと起き上がる」こどもには、「シャンプーの香をほのぼのと立て」るようなある種の生活感覚とは違った手触りを感じさせますし、「ぬくもり」という身体的なフレーズを用意した歌にも、「小さいひと」という、他者として子供をとらえるような視点が存在しています。最後の「母さん」の歌は、「森の中に行ってしまった」という上句に家族の名前を織り込んで作った連作で、ここでいう「森」がきわめて暗喩的な役割を果たす言葉として機能していることは理解できるでしょう。
「家族」が「森の中へ行ってしまった」という心情は、まさに東短歌の構図そのものかもしれません。東直子的な潮流は、自分のなかの「家族性」や「母性」というものをたくみに「森の中」へかくして、非常に詩的な作品空間を作りあげる感受性として、登場したのです。

 ・女子だけが集められた日パラシュート部隊のように膝を抱えて
                             飯田有子『林檎貫通式』
・曖昧なmake loveより
切実なfuckをしようシャツ脱ぎ捨てて          村上きわみ『FISH』
 
 ・せんせ、ってきみが呼ぶとねわたしには薄桃色の隙間ができた 伴風花『イチゴフェア』
  ・明日何をして遊ぶかを考えて眠った日々はーまだまだ続く 天野慶『短歌のキブン』
 
 ・ハンサムな
しょくぱんまんを
  好きになるように
  娘は育てるつもり 佐藤真由美『プライベート』
 
2000年以降に第一歌集を出版した歌人たちの歌から、おもに口語女性文体で歌を作っている歌人たちの歌を引いてみました。おどろくことにこれらの歌人たちの口語女性文体には、「少女」をうたった歌はきわめて多く登場しますが、「母」を歌った短歌はほとんどといっていいほど、存在していません。たとえば、俵万智とおなじく教師の視点(塾の先生)で子供をうたった伴風花の作品は、先生/生徒としてではなく、まるで恋人か何かのように自分と子供の関係性をとらえていることがわかりますし、村上きわみ、飯田有子の作品では、いわゆる「結婚―妊娠―出産」といった伝統的な女性像とはかけ離れた女性像が浮き彫りになります。、飯田作品では、「生理」が、村上作品では、「目的をもたない性交」がそれぞれ素材として選択され、そのことが、何か作者自身の自意識の問題に還元されているようです。また、天野慶の作品は、大衆性に基盤を置く作品ですが、そこにはマスイメージとしての「かわいいおんなのこ」像がふんだんに盛り込まれ、その内部で歌をつくることが宣言されているような印象があります。佐藤真由美の短歌も、やはり大衆性に基盤をおいて平易な言葉で歌を作る歌人ですが、恋のせつない魅力にあふれた歌の数々とは別に、母の歌としてはちょっと奇妙な感覚の歌があります。掲出歌では、大真面目に「娘をこう育てる」という感覚ではなくて、どことなく「かわいく」母性を処理してしまう軽妙さを表現しています。
90年代、2000年と時代がくだっていくにつれて、彼女たちの短歌は「母を引き受けない少女」の感受性のなかに、むしろ退行していったかのような印象すら受けてしまいます。
 おそらく「歌クテル」的ないわゆる「ネット短歌」の感受性も、その作品化の技術という点で個々のレベルにはばらつきがあるかもしれませんが、おおむねこのような「少女世界」の内部で作品を作るという点で、きわめて類縁的な感受性を持っていると指摘してもいいでしょう。「2003年組」の歌人のひとりである佐藤りえさんが、やはり「短歌ヴァーサス11号」の評論で、「ガーリー(おんなのこっぽい)」ということにこだわるこの感受性のあり方を見事に代弁していましたが、これは社会学的にみれば、消費社会のなかで徐々に「母性」が力を失い、「商品価値としての少女」に感受性の起源が全面的に移行してしまった歌人が登場した、と、とらえることができるかもしれません。
 さて、口語女性文体の感受性のレベルで、引き受けるべき「母性」がその力を失い、「少女性」が全面的に台頭してきたことは、個別の事象としてとらえるだけでいいのでしょうか。いや、この問題は、70年代生まれの歌人たちの一部と、短歌とのかかわりを考えるうえで、もっとも重要な問題の氷山の一角にすぎません。女性における「母性」の崩壊は、男性における「父性」の崩壊と同様に、ある種の近代原理から、私たちが遠く離れてしまったことを意味するからです。
 それは、一言でいえば、読者のフラット化、という問題です。フラット化をより具体的に言うと、自己の読者をどこに求めるか、という潜在的な欲求のなかで、彼らは消費者か、あるいは友人としてしか、読者を把握できないのではないか、という問題なのです。
 たとえば現在において、若者たちの間である程度の普遍性を獲得している穂村弘と、枡野浩一の立場の違いを考えてみれば、その問題点ははっきり出てくるでしょう。

 「無色透明な孤独、贅沢な退屈、強すぎる自意識、そんなものたちに取り囲まれて、私たちは身動きがとれなくなっている。友達といくら長電話をしてもさみしい。メールを書いても書いてもさびしい。新しい腕時計を買ってもブーツを買ってもさみしい。そして、いつまでもいつまでも(時には結婚して子供ができても)理想の恋人を夢見ている。
 日常の真空地帯にすっぽりとはまりこんで、毎日をやり過ごすのに手一杯で、本当に夢中になれる何かを見つけられずにいる。これだというものがみつかったら、なりふり構わずそいつをやってやってやりまくるんだが、などと思いながら。
だが、何かをみつけるの何かって、いったいなんだ。これだというものって、いったいどれだ。今すぐにそれをやり始めて、世界と自分とを決定的に変えられるような何かはどこに隠れているんだろう。」穂村弘『短歌という爆弾』、

 「穂村弘の短歌を今まさに好きでいる人たちは、すこやかさが嫌いなのかな。いや、現代に生きてる人はだれもが病んでるんでしょうけど。「大丈夫なのかなあ、飲んでる睡眠薬の強さを自慢するようなこと書いて」とか、「そんな透明っぽいペンネームでいつまで生きていくの?」とかって、大きなお世話みたいなことをつい言いたくなってしまう。私がある時期から穂村弘ファンの集う掲示板に顔を出さなくなったのは、あそこにいると余計なことを言って彼らを傷つけてしまいそうだし、結果として自分自身も傷ついて駄目になりそうだったからです。「穂村弘」自身は、人気ある歌人になることで精神的に救われていくのかもしれないけど、穂村弘ファンたちは、穂村弘ワールドを愛しつづけながら救われていくことって可能なのかな。」「早稲田短歌33号」

 枡野浩一さんの指摘は非常に的を得たもので、おそらく穂村さんの持っているある側面を正確に射ぬくことに成功しているといえるでしょう。『短歌という爆弾』で示されたメンタリティというのは、「詩的飛躍の強度」を、「愛の希求の絶対性」と言い換えることからもわかるように、「あくまでも個人的な信仰心の強さ」として、秀歌性をとらえるところが斬新な点でした。その根底にあるのは、枡野さんが既に指摘されておられるように「自分を変えたい」という一種の自意識の強さ=わがままさにあるわけです。
 逆に、枡野さんの立場というのは「渋谷の電光掲示板にあるような短歌を作りたい」という発言(※「短歌ヴァーサス)3号 対談「現代短歌のゆくえ))からもわかるように、「一般の人」をターゲットにシフトしています。その発想の根本は、これは逆に穂村さんが指摘しているように、「他者への愛」が前提になっています。「根はわがままな人間なので、わがままな人間であることをねじまげなければならない」という枡野さんの言葉は、一つの考え方として十分に魅力的なものです。実際の人生や文学の問題は別として、どちらの考え方が社会的、といえるか、と考えれば、圧倒的に枡野浩一の考え方になるでしょう。実際、現代の社会では、どれだけ「自分のわがままを押し殺して、他者に奉仕できるか」という姿勢が、金銭的な価値として交換される割合が圧倒的に高いわけですから。、枡野さんの立場は、現代の短歌を商品として見た場合、商品価値を高める努力を十分にしていると言っても差し支えないでしょう。
 問題なのは、たとえば商品価値とは別の評価基準のなかに、「文学的価値」というものが存在する場合、それを「自意識の強さ」と説明せざるをえない、穂村弘さんの考え方そのものにあります。たとえば、アカデミズムと文学的価値が緊密に結びついていた時代に比べると、現代では声高らかに「文学的価値」を主張することが、はるかに困難な時代になっていると言えるでしょう。
 穂村さんをはじめとして、現代の多くの歌人たちが困難に感じているのは、「文学的価値」というものが、すくなくとも「大衆性・商品価値」と切り離して存在できるとは思えない時代に、私たちが突入しているという事実です。
 枡野さんの主張が若者たちの間でひろく受け入れられたのは、一般の私たちが考える「価値」が、商品価値とほとんど同じようなものとしてしか感じられなかったからであり、穂村さんの主張がこれまでにない新鮮さを持っていたのも、それは、「文学的価値」云々を問うような、近代的な「進化論意識」むきだしの短歌観ではなくて、まさに「個人的な問題を解消するための手段」として短歌という詩形にアプローチしたからにほかなりません。
 私がこの文章の間じゅうずっと、「文体としての口語女性文体」と、「消費社会」的感受性とのかかわりをくどくど論じてきたのも、この一点が大きな問題だからに他ならないからです。80年代の俵万智、90年代の東直子、そして現代の若い女性歌人たちの歌が、
はたして「消費社会的感受性を、文学の立場から掬いとろうとした結果」なのか、「文学的価値自体が消費社会的感受性に全面的に埋没した結果」なのか、「それとも双方が混じり合って、今までの価値基準では全く説明のつかない状況が生まれている」ととらえるか、で、個々の歌人たちの評価が変わってくるという、非常にデリケートな状況になってきている
からです。
ただし、(いつの時代でもそうですが)穂村さんのおっしゃるように、「自分の自意識を解消する手段」としてのみ、短歌を作り続けるということが、「その作者にとって本当に幸福かどうか」を考えることはきわめて重要でしょう。当然、「文学的価値」を保有するためには、「今までの文学の歴史から考えて、ある水準に達しているか、あるいは、新しさが生まれているか」という垂直軸での比較がなされるでしょうし、「商品価値」を主張する場合でも、「商品として新しく、優良なのか」という目配りが当然問われるようになっていきます。「読者のフラット化」という現象は、そういった時間軸(たとえば過去と比べてどうか、あるいは未来の読者に伝わるかどうか。あるいは、自分と異なる感受性を持っている人たちに、自分の作品を理解してもらえるのか)での判断をまったく無視して、「まさに今目の前にいる読者」にのみ、問題を限定してしまう危険性をはらんでいます。それは、「友人」として、「消費者」として短歌をとらえることが、共通してもっている同質の危険性と考えてもいいでしょう。その作品が、「わかりやすい」こと「わかりにくいこと」はそれほど問題ではありませんが、「ある水準に達しているか」の判断がされることは、作者にとっても短歌を続ける動機になるのではないでしょうか。
「ネット短歌」が、蔑称的に使われたのだとすると、そのインターネットの機能自体が、このような「読者のフラット化」を比喩するのに都合のよい道具立てだったからに他なりません。
もしかすると、私たちの本音の部分では、「自分のやっていることが、他人から価値を与えられなくてもいい」と主張したくなるくらいにまで、ある種の「価値体系」が信じられなくなってしまっているのかもしれませんが、そこまで後退してしまった場合、その「自分のやっていることそのもの」の意味を、どこに見出すかということを自分で探さなければならなくなります。そしてその意味が、「ほかの何人かの人にとっても意味がある」と考えられれば、一つの動きになっていくのでしょうが、それが何なのかがはっきりと露出しないことには、その短歌は「自分のためだけの短歌」という枠のなかを出ることはまずありません。それは、ほんとうに短歌にとって幸福と言えるのかどうかは、私には判断がつきません。
 もはやこの文章で指摘できる限界をはるかに超えてしまっていますが、すくなくとも私自身は、何らかの価値体系にむけて、短歌なり文章なりを投げ込んでいかないことには、その言葉が「社会性」を帯びることはまずないだろうと考えています。わたしは、ここでとりあげた飯田有子や、天野慶、枡野浩一といった存在もまとめて「文学的価値のある短歌」としてとらえなおしたいと考えていますし、それは「ネット短歌」といわれる感受性を持った人たちの短歌も同様です。しかし、「ネット短歌」の作り手のほうが、もしかしてそのような意味づけを必要としていないのだとしたら。それは、こうした議論以前の問題ということになってしまうかもしれません。
 
 ずーっとずーっと少女ゆうれいであり続けること これはミッションある意味(日野やや子)

 私が今回歌クテルをひととおり拝読して、もっとも戦慄を受けた作品を最後にあげてみました。もしかすると、ネットに浮遊している短歌、あるいは今なお口語女性文体の焼き直しで歌を作り続ける歌人たちのほとんどが、「なんらかの価値づけ」を一切追及しないまま、永遠に「少女ゆうれい」として、浮遊しているだけなのかもしれません。。そうした「少女ゆうれい」たちが、「個人的な問題を解消するためだけ」にケータイ短歌やネット短歌に寄り集まっているだけだったとしたら。。。私はこのような光景を目に浮かべたくはありませんが、現代短歌の状況を考えるうえで、こうした「少女ゆうれい」たちが、今後何を考えて、どうなっていくのか、ということを引き続き見守っていくことは、非常に重要なことではないかと考えています。
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